「グローバル化時代における韓日キリスト教大学の役割と交流―過去から未来へ」というテーマで11日、キリスト教学校教育同盟・関東地区大学部会による研究集会が明治学院大学(東京都港区)で開かれた。
講師は明治学院大学教授、同キリスト教研究所長である徐正敏(ソ・ジョンミン)氏で、韓国キリスト教史、日本プロテスタント・キリスト教史、韓日キリスト教交流が専門。この講演では、韓国と日本におけるキリスト教の歴史を比べながらキリスト教大学の存在意義をあらためて考え、今後向かうべき道を探った。
まず開会礼拝で東京女子大学教授の棚村惠子氏が、マルコ福音書15章37~39節から「隔ての幕が裂けるとき」と題してメッセージを取り次いだ。棚村氏は、「神の子キリストがゴルゴタという最も汚れた場所で命をささげられたことにより、そこが神のおられる聖なる場所となった。これが福音だと主張するマルコ福音書の解釈はなんと革新的か」と語った上で、この箇所はエフェソ2章14節以降の「隔ての壁を取り壊し・・・」という言葉とも響き合うと指摘し、次のように訴えた。
「人は自分の身を守ろうと、隔ての壁や幕を作ろうとする。しかしそれは憎しみや敵意を生むだけで、平和を作ることはできない。心に固い殻を持ち、厚い幕を閉じている学生たちに聖書の言葉を届けるために、教師自らがキリストを心の内に迎え入れて隔ての幕を打ち破ってもらい、日々新たな人にされることを深く祈っていきたい」
続く講演で徐氏は、韓国の国民的詩人・尹東柱(ユン・ドンジュ)が自身に与えた影響から語り始めた。徐氏は2歳で小児まひにかかり、延世大学のセブランス病院で療養生活を送っていた。ある時、同大出身者である尹東柱のことを知り、自分の心に重なるものを感じて、以来ずっと慕い続けた。同大に入学したのも、彼の後輩になりたかったからで、神学科を選んだのも、神学科の建物から尹東柱の銅像が見えたのがその理由。その後、同志社大学に留学したのも、尹東柱と同じ道をたどるためだった。
徐氏は、その信仰も尹東柱から受け継いでいる。尹東柱にとって、歴史の苦難の中で存在する最後の希望が十字架であり、そのことを知って徐氏もキリストを受け入れようと決心した。その他に、「笑顔」の効果も教えられた。尹東柱の写真はどれも笑顔で写っており、苦しみや悲しみに満ちたその詩とはうらはらな明るい表情だ。徐氏は、泣くより笑うことで幸福でいられるということを、彼の写真から知ったという。
何より、韓国のキリスト教を語る上で尹東柱の詩はたいへん重要な意味を持つ。民族の未来への希望、唯一の希望がキリスト教にあるという視点がその詩には貫かれているのだ。
「しかし、今の韓国のキリスト教は民族主義的なものではなく、資本主義的なものになっている」と徐氏。韓国では確かにキリスト教が最大勢力だが、特にプロテスタントではシャーマニズムが共存していることもあり、解決しなければならない課題も多いと語る。
しかし、日本のクリスチャン人口が1パーセントであるのに対し、韓国のクリスチャンは3割で、日本をはるかに凌ぐのは事実。このことについて徐氏は、海外からの宣教のやり方が違っていたと指摘する。韓国では「学校と教会と病院」がセットで作られたが、日本では「学校と教会」だけで、病院は作られなかった。この形を徐氏は「トライアングル・メソッド」(韓国)と「ツーポイント・メソッド」(日本)と名付け、「病院の存在は大きい」と強調した。
また、「日本と韓国は隣国で、宣教の歴史もほぼ同じでありながら、宗教文化はまるで違う」と話す。例えば日本の場合、ノンクリスチャンであっても教会で結婚式を挙げるが、韓国でそれはあり得ない。また、韓国のノンクリスチャンの学生は、キリスト教大学と分かって入学していても、なぜキリスト教概論が必修なのかと、「宗教の自由」や「良心の自由」を盾に強く反発するという。
その一方で、日本のキリスト教大学に通う学生の宗教への無関心さについても言及した。徐氏は、「宗教に関心を持たないことはグローバル化に反している」と言い、「中東、東アジアの問題を考えるときに、宗教を抜きにしたら何ができるのか」と力を込めた。また、「大学生は一種のエリート層であり、宗教を判断する基準を持たない一般の人たちに、宗教を正確に伝える責任がある」と話した。そして、宗教に関心を持たせることは、大学の授業において可能であることを自身の経験から語った。
最後に徐氏は、今後のキリスト教教育とキリスト教大学について2つのことを提案をした。1つは、キリスト教教育のスタンスを広げ、他宗教の人、無宗教の人とも価値観を共有しようというものだ。それは3重の同心円を描き、キリスト教信仰をアイデンティティーとする層から、キリスト教主義を支持する層、そして普遍的な価値観を持つ層へと広がっていく。「キリスト教の価値観を、キリスト教とはまるで関係のない価値観を持つ層にまでオープンにしていくことで、現在のアジアの中でキリスト教が説得力を持つものになっていくのではないか」と徐氏。
もう1つは、キリスト教大学同士での連携の強化だ。具体的には、単位の交換などを挙げ、教育がうまくできているところと、できていないところが協力し合うことを勧めた。「これは、教派の壁が厚い韓国では難しいが、日本はそれほど教派間に大きな壁が感じられないので、うまくいくのではないか」。さらに、関東地区の幾つかの大学で連合を作るアイデアも披露した。