東方正教会コンスタンディヌーポリ全地総主教であるバルソロメオス1世は、少なくとも過去20年間にわたって、由々しき環境問題に取り組む宗教指導者として「グリーンな総主教」と呼ばれるようになった。2008年、タイム誌は、「環境保護主義を霊的な責任として定義した」ことで、バルソロメオス全地総主教を、世界で最も影響力のある100人の1人に選んだ。この記事は、世界教会協議会(WCC)が22日、公式サイトに掲載したものを本紙が日本語に訳して、一部編集を加えたものである。
マリアンヌ・エジデルステン*:記
正教徒の世界における主要な精神的指導者(訳者注:名誉的なトップ)および国境を超えて世界的に重要な人物としての、全地総主教バルソロメオス1世の役割は、ますます不可欠なものになっている。バルソロメオス1世は、今年すでに、クレタ島で正教会聖大会議を主催するために、多大なる努力をした。同様に、同総主教による信教の自由と人権の推進や、世界の諸宗教の間で宗教的寛容を進めるための率先した取り組みは、国際的な平和と環境保護に向けた自身の活動とともに続いている。それらは同総主教を、愛と平和そして和解の一使徒として、地球規模で先見の明がある人たちや平和をつくる人たち、そして架け橋役の最前線という地位にふさわしいものとしている。
コンスタンディヌーポリの大主教および全地総主教としての25年間
コンスタンディヌーポリの大主教であるバルソロメオス全地総主教は、世界教会協議会(WCC)ニュースに特別インタビューを認めてくださった。その会話の一部は、WCC総幹事であるオラフ・フィクセ・トヴェイト牧師・博士がバルソロメオス総主教と会談をした12月の初めに、イスタンブールにある全地総主教庁で行われた。この会談は、バルソロメオス総主教のコンスタンディヌーポリ大主教および全地総主教としての25周年記念と併せて行われた。
私たちが会見した同総主教公邸のオフィスは、温かくもてなしのきいた部屋で、力強い色を持ち、本やイコンが詰められていた。それは同聖下の半生を物語っている。同総主教は心温まるあいさつをし、コーヒーとケーキを用意してくださり、すぐにもてなしてくださった。
バルソロメオス全地総主教は1940年、イムロズ島(今日のトルコにあるギョクチェアダ島)でデメトリオス・アルコンディニスとして生まれた。バルソロメオス総主教は1991年10月、聖アンドレイによって創立された2千年の歴史を持つ教会の第270代大主教に選出され、新ローマ・コンスタンディヌーポリ大主教および全地総主教としての役目を担っている。
質問:聖下は世界教会協議会に信仰と職制委員会の委員としてだけでなく、ボセイ・エキュメニカル研究所の卒業生としても、長年関わってこられました。エキュメニカル運動について最も強く残っている個人的な印象はどんなことですか?
バルソロメオス全地総主教:「私たちがその宣教奉仕の非常に早い時期から世界教会協議会に関わり、その後その中央委員や常議員として、そしてその信仰と職制委員会で15年間委員を、8年間副議長(1975~83年)としての役目を担っていたというのは事実です。実際のところ、私たちがこの委員会の副議長を務めていた頃、『洗礼・聖餐・職務に関する文書』が作られていった間、正教の影響が重大でしたから。私たちはまた、全地総主教庁の代表の1人ないし代表団長として、ウプサラ(1968年)、バンクーバー(1983年)、そしてキャンベラ(1991年)という、3つのWCC総会に参加しました」
「私たちは卒業研究でローマやミュンヘンのローマ・カトリック教会だけでなく、故ニコス・ニッシオティスのような有名な神学者と共に、ボセイでプロテスタントの諸教会やより幅広くはエキュメニカル運動にも触れました。私たちのこの形成は、キリスト教徒同士の関係と対話に(訳者注:全地総主教庁があるイスタンブールの地区である)フェネルの若い神学生や聖職者たちの心を開いてくださった、私たちの尊敬すべき先輩であるアテナゴラス全地総主教のおかげです」
「暗闇を光に変える」
質問:私たちの世界は急速に変化しつつあります。私たちは困難な時代を生きていますが、信者は、主がこの世界に臨在しておられて働いてくださっていることを知っています。今日、信仰生活と福音宣教の最大の課題とは何でしょうか?
バルソロメオス全地総主教:「今は実に困難で、暗い時代でさえありますから、私たちの世界の動乱の中にハリストス(キリスト)の臨在を見いだすことは、複雑な務めではあります。私たちの周り全てにおいて、私たちは痛みや苦しみ、しばしば不確かさや敵対関係をますます目撃しています。ハリスティアン(クリスチャン)にとっての誘惑は、社会とこの世界における明らかな悪に対する裁きや非難に飛びついてしまうことです。しかしながら、それは単純で非生産的な対応でしょう。私たちハリスティアンにとっての課題は、その暗闇を光へと、絶望を希望へと、そして苦しみを和解へと変えるために、ハリストスに自らの目の焦点を合わせ続けることです」
「私たちは、55年前に自らが輔祭に叙聖された日の、カルケドンの故メリトン府主教の説教を思い起こします。『変容した主から決して目をそらさないことです』と同府主教は言われました。『全ての人々のために決して衰えることのないこの光を常に伝えることです』。それが今日、福音を宣教する上での私たちの務めなのです。私たちは自分たちの周りの困難や混乱によって取り乱し、怖がって自分たちの霊的な焦点を失ってしまっているのでしょうか? 何十万人もの人たちが迫害を受けて私たちの中に庇護を求めているのを見るとき、私たちは自らの兄弟姉妹たちの中にハリストスの顔を見つけているでしょうか? あるいは私たちは防護の壁、人々を閉め出す壁、他者を脅威とみなす壁を建造することを選ぶのでしょうか?」
「私たちの食卓で旅人は歓迎される?」
質問:移民の危機がヨーロッパの心を奪っているように見えますし、これから何年もそうし続けるでしょう。けれどもそれはまた教会をも、自らのアイデンティティーに対する脅威について心配する人たちと、より進んで歓迎する人たちとの間に分断しています。多様性を強調する時代にあって、聖下は一致の課題がどのように展開しつつあると見ておられるのでしょうか? どのような希望があなたには見えるのでしょうか?
バルソロメオス全地総主教:「正教会における神の神学的な理解は、出会いと交わりとしての神、歓待と包摂としての神のイメージです。これが、三位一体としての神の伝統的なイコンが、創世記18章に描かれているように、マムレの樫の木の下でアブラハムによって受け入れられた天使たちの形をとった3人の旅人たち—あるいは外国人—を描いたものとなっている理由です。彼はその旅人たちを自分の道や財産に対する危険であるとか脅威であるとは考えませんでした。代わりに、彼は自然発生的かつあからさまに友好と食べ物をその旅人たちと分かち合ったのです」
「アブラハムが不可能だと思われたこと、すなわち、—文字通り不妊から!—何世代にもわたるこの愛の種が増殖するということを約束されたのは、この私心のない歓待の結果です。さまざまで多様な宗教的信条の人たちが語り合い協力するという私たちの意志もまた、不可能だと思われる平和的な世界における全人類の共存という結果をもたらすかもしれないというのは、あまりにも多くのことを望み過ぎているのでしょうか? となると、どれだけ多くの旅人たちを私たちは自らの食卓で歓迎するのでしょうか?」
「『今日の世界における正教会の使命』に関する公式文書の中で、2016年6月にクレタ島で開かれた正教会聖大会議は、『正教会は、お一方である天なる父の全ての子たちの間において、また1つの人類という家族をなしている全ての民族の間において、平和のために純粋に役立ち、正義・友愛・真の自由・互いの愛の道を切り開く全てのものを促すことを、自らの義務であるとみなす。正教会は世界のさまざまな地域で平和と正義の利益を奪われている全ての人々と共に苦しむ』と決意しました」
「多様な世界に向けた開かれた地平線」
質問:聖下は6月に正教会聖大会議を主催されました。正教会とより幅広いエキュメニカル運動にとって最も重要な成果は何だったのでしょうか?
バルソロメオス全地総主教:「クレタ島で開かれた正教会聖大会議を、独立正教会の全ての聖下である大主教たちの合意をもって、私たちが召集する価値があると見なされたことは、実に大きな恵みでした。この大いなる歴史的な催しは、正教会が持つ調停のアイデンティティーと、国家主義的な利益を超えたこのアイデンティティーを保つための限りなき闘いを示すものでした」
「この点で、聖大会議が正教会のエキュメニカルな開放性と二者間の対話を維持することを決定したことに、私たちは自らの深い満足を表明します。というのは、私たちの困難で不穏な時代においては、それに反するいかなるものも、後退と内反を暗示することになるだろうからです」
「私たちのアイデンティティーに対する脅威となるものは対話ではなく、むしろ対話の拒絶であり、不毛な自己制限なのです。これこそまさに、私たちがユダヤ教やイスラム教との宗教間対話をも促し、またそれを常に推進してきた理由なのであり、それは地球規模の和解と、平和という聖なる根拠のために、形ある成果をもたらすことができるのです」
「クレタ島におけるあれほど多くの正教会による空前の集いは、『現代の多彩かつ多種多様な世界に向けて、私たちの地平線を切り開いた・・・常に永遠の視点を持って、場所と時間における自らの責任を強調した』(正教会聖大会議の最終メッセージより)。この聖大会議の公式通達が宣言したように、正教会は『対話における証人』なのです」
「憐れみの心を身につける」
質問:聖下は恐怖が環境汚染に対する最善の抑止であるとお感じでしょうか?
バルソロメオス全地総主教はこう記した。「自然環境に関する私たちの在り方を変える義務を負わせるのは、地球規模の変化に関する、切迫した災害に対する恐怖であるべきではありません。むしろ、それはこの世界に存在する宇宙の調和と本来の美についての認識であるべきです。私たちは自らの社会をもっと敏感にし、自然に対する自らの振る舞い方をもっと敬意あるものにすることを学ばなければなりません。私たちは憐れみの心―それは、7世紀の神秘主義者であるシリアの聖イサアクがかつて「全ての被造物、――人間へ、鳥たちへ、獣たちへ、そして神がお造りになったいっさいへ注がれる、燃えるような心」と呼んだものを身につけなければなりません」
バルソロメオス全地総主教は世界の河川や海のエコロジカルな諸問題に取り組むために、8つの国際的な宗教間シンポジウムや、数え切れないほどのセミナーやサミットを主催してきた。同総主教の率先した取り組みによって、同総主教は「グリーンな総主教」と呼ばれるようになり、幾つかの重要な環境賞も受賞した。私たちには今やパリ協定があり、教会は気候変動に関する正義について活動する責任がある。
質問:環境に関する未来のエキュメニカルな活動をどのようにご覧になっているのでしょうか? 持続可能な未来のために私たちが必要とする変化のために、キリスト教が1つの声となるための、聖下の展望とは何ですか?
バルソロメオス全地総主教:「私たちはパリ協定が幅広く受け入れられてきていることを喜んでいます。実のところ、フランス政府の恵み深い招きで、私たちはCOP21(国連気候変動枠組み条約第21回締約国会議)の準備の早い段階に参加していましたから。この点に関して、私たちは2015年12月の締約国会議を前にして、オランド大統領に付き添ってフィリピンを訪問しましたし、パリで学際的なサミットに出席しました。その一方で、マラケシュで開かれた気候変動に関する国際連合の締約国会議は、お祝いの原因ではあったものの、他方で、1992年のリオ地球サミットの後に発行した条約を今日197の締約国が批准したことを痛ましくも思い起こさせるものでした」
「しかしながら、とりわけそれが地球規模の貧困や移住・不安と緊密かつ分けることができないほどつながっていることを意識しているときに、この環境の危機に対応するために、22年というのは受け入れがたいほどに長い期間です。私たちは利潤のためにどんな代価を支払う用意があるのでしょうか? あるいは、私たちは物質的ないし金銭的な利得のためにどれだけ多くの命をすすんで犠牲にするつもりなのでしょうか? そしてどんな代価をもって神の被造物の生き残りを失い、あるいは出し抜くのでしょうか? 22年もたって、やっと―そしてだいぶ遅いのですが―私たちはみな自らのエコロジカルな罪による影響が持つ人間の顔を見いだす時が来ているのです」
「そして、私たちが繰り返し述べてきたように、『私たちは呉越同舟なのです』。気候変動は1つの国かまたはもう1つの国とか、1つの人種かまたはもう1つの人種、あるいは1つの宗教かまたはもう1つの宗教の問題なのではありません。私たちは、自らの責任を信者そして市民として共に負ったときに初めて、気候変動の要求や部分に対応できるのです」
「キリスト教の一致の促進」
質問:私たちは1952年の「世界教会協議会に関する、独立した姉妹正教会に宛てた全地総主教の通達書簡」からの文章も読むのですが、この書簡は正教会にとって今日何を意味するのでしょうか?
バルソロメオス全地総主教:「独立正教会に宛てた1952年の―つまり、世界教会協議会の創設の最も初期で最も発達しつつあった段階であったとともに、多くの疑念や不本意が支配していたときに、正教会にWCCへの参加を促したいという願いをもっていた―この通達書簡は、ちょうどそれがニューデリー(1961年)のWCC第3回総会で受け継がれたように、正教会の聖大会議の最近の決定と同じ精神で表現されているのです。正教会はその信仰の一側面をもう1つの側面を犠牲にして強調することはありません。それは、たとえ時に信仰と職制、教義と規律、信じることと行うことの両方の微妙な調和であっても、常に聖なるものを維持しようとします」
「これが、『正教会と他のキリスト教世界との関係』に関するその決定の中で、聖大会議が、正教会は『自らの根本的な教会としての自意識において、今日の世界で正教会がキリスト教の一致の推進における中心的な位置を占めていると、ひるむことなく信じる』という信念を確認した理由なのです。さらに、そこに集められた教会や主教たちは、もし私たちが『ハリストスの福音の道に障害物を置く』ことを決して願わないのであれば、この責務は『責任感から、そして相互理解と協力が根本的に重要であるという信念から生じる』のだと合意したのです」
「正義と平和の巡礼に対する正教会の貢献」
質問:聖下の視点からすると、世界教会協議会にとっての主な課題とは何ですか? どうすればWCCは加盟教会やより幅広いエキュメニカル運動にとって関連のあるものであり続けることができるのでしょうか? そして私たちは、正義と平和の巡礼の一部として、あなたがたの正教会から何を学ぶことができるのでしょうか?
バルソロメオス全地総主教:「世界教会協議会は、三位一体の信仰においてキリスト教の諸教派の一致を宣べ伝える一方で、その加盟諸教会の違いを認めることを基本として設立されました。従って、重要なのは、団結するとともに、キリスト教信仰の不可欠な原理を認識することと、しかし同時に各教派の根本的な教えと特定の伝統を尊重することという、2つの柱のバランスをとることなのです。これらの柱のうちの1つの側面を維持しつつ、一方でその他方の側面の擁護者を和解の過程を妨害しているとして非難することは、常に誘惑でありますし、危険でもあるのです」
「聖大会議で、参加した教会や高位聖職者たちは、—時に情熱的に、常に積極的であるにもかかわらず―世界教会協議会の重要な活動について、それもとりわけその信仰と職制委員会について議論しました。『正教会と他のキリスト教世界との関係』に関する個別の文書は、キリスト教の一致を推進する一方で、『あらゆる手段を用いて、自らの意のままに、主要な社会政治的課題における平和的共存と協力の促進に貢献する』正教会の責務を強調しています」
「エキュメニカル運動は『教派間の妥協』ではなく、『1つの聖なる公同の使徒的教会についての真の信仰から離れることのない』キリスト教の一致に対する私たちの義務や任務への忠実です。これがその同じ会議の文書が次のように結論づけている理由なのです。すなわち『この精神において、正教会は、全てのキリスト教徒が、福音の共通した根本的な原理に促されて、現代世界の困難な諸問題に対する答えを、熱心さと連帯をもって提供しようとすることが重要だと考える』。これは、正義と平和の巡礼に対する正教会の固有かつ非常に貴重な貢献となるでしょう」
「神の神(しん)*を呼吸する」
質問:若い世代に関連のある言葉でエキュメニカル運動について述べていただけますか?
バルソロメオス全地総主教:「あなたの質問は、私たちの答えの約束とともに前提を示していますね。エキュメニカル運動はイデオロギー的な忠誠でも社会的な約束でもありません。それは政治的な説得でも地球規模の行動主義でもありません。それは運動であり、そしてそれは運動であり続けなければならないのです。すなわち、それは常に、私たちの心や生活の中で燃えるべき神の神(しん)*(*「神」の右肩に○、訳者注:神の霊のことを日本正教会ではこのように記す)を呼吸することによって促され、力を与えられなければならないのです。教会生活の全ての側面を結合させ理解するのは、この神*なのです。従って、私たちの信仰の主義や伝統に対する責務に理由を与えるのもこれと同じ神*なのです。そして、預言者的なやり方で福音を証しする私たちの責任とともに、『私たちの時代の精神を見いだす』私たちの能力を明らかにするのも、それと同じ神*なのです」
「皮肉なことに、私たちは若い世代に助言をしたり忠告したいとは思いません。多くの形で、彼らは開放性と優しさについて、赦(ゆる)しと寛容について、より古い世代に教えるべきことをより多く持っているのです。差別や分断をする勢力や努力が広がっているにもかかわらず、たぶん私たちは、それに忠実であり続けるよう若い世代に促すことでしょう」
「もし私たちが、隣人を愛し、飢えた人たちに食べ物を与え、旅人をもてなすという、福音の根本的な原理に戻るのであれば、エキュメニカル運動は私たちの世界において関連のあるものであり続けることができるのです」
*マリアンヌ・エジデルステン氏は、世界教会協議会のコミュニケーション部長。このインタビューは、全地総主教座の長輔祭であるジョン・クリッサブギス神父との協力で制作されている。ジョン神父は、環境問題に関する全地総主教の顧問としての役目を担っている、著述家であり神学者である。