いつも喜んでいなさいの別の解釈
私は今、抗がん剤点滴治療を受けているので、いろんな副作用が出る。例えば、精神的には抑圧された気持ちになるときがある。特に、疲れたときなどに感じやすいように思う。
しかし私は、重大なる発見を最近した。それは、そういう圧迫感を感じるときは、笑うとその不快感が消えるということである。最近、落語などが病気の治療に効果を発揮するという記事を何回か見たけれども、なるほど、効果があると実感した。
実際には、唇を逆への字型にして笑顔を作るだけでも効果があることが分かった。こういう笑顔を作ることが神経に働き、不快な感覚を取り除き、爽快な気持ちにさせるのであろう。メカニズムはどうなっているのか知らないけれども、効果があることは事実である。
「いつも喜んでいなさい」(Ⅰテサロニケ5:16)
聖書に書いてあるのは別の意味であり、天国の約束されていることを喜びなさいという意味だと教わったが、聖書には、そのまま単純に解釈して、物質界にも適応できるような御言葉がたくさんある。
この“喜ぶ”を、表面通り受け取って、笑顔と結び付けるとき、私たちのギスギスした人間界の不快感さや、薬の副作用で受ける不快感を癒やすことができるとは、素晴らしいことだと思う。表面的な解釈、文字通りの解釈も捨てたものではないと思った。
笑顔を作るだけで、特に口元を笑顔に作るだけで、精神的に爽快にするというような素晴らしいことを、なぜもっと大々的に述べられないのだろうか。なぜむしろ控えめに述べられてあるのだろうか。
「だれにも何も言わないようにしなさい」(マルコ1:44)
癒やしは、私たち人間にとっては素晴らしいことではあっても、神様にとってはそれが目的ではなく、癒やしが目的となるのを防ぐために、控えめにすべきときには控えめな書き方になっているのだろう。
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