日記を書く目的
今日は日曜日で、曇天で寒かった。礼拝に行ってきて清々しい気持ちで帰ってきた。同時に天気も和らぎ、青空が広がってきて、太陽も出たり隠れたりするようになった。
今日の日記をつけようと席に着いたが、はて? 私は何のために日記を書くのだろうかと思った。確かに始めたときには、1カ月だけ日記を書いてみようと思ったことを覚えている。肝臓の手術後だったと思う。どういう目的だったかよく覚えていない。
今、どういう目的か考えなくてはならないということは、大した目的ではなかったのかもしれない。正直なところ、私は日記を書くことが目的であるような気持ちである。自分の気持ちを一字一字克明に、分からない字は、辞書を引きながら表現していくという、楽しみといえるかもしれない。
これが400字詰めの原稿用紙なら、もっと楽しいだろうと思うが、作家でもないのに、そんなぜいたくは許されない。
何を書くのか? 書く本人は、非常に大切なトピックについて、項目について書いているつもりであるが、後で振り返って見るときに、実に他愛ないことをくどくどと書いている。これが後で読んでみても、“なるほど、良いことを書いているなあ”と思うくらいのことが書けたら良いと思うが、なかなかそうはいかない。
今書いていることは、日常生活で、TVを通じて、新聞を通じて、人を通じて、また自分自身ふっと感じたことや、疑問を持ったことや興味を持ったことについて気楽に記している。
しかし書いているうちに、どれもこれも、大体聖書に記されてあることに気付く。目新しいことはほとんどないことに気付く。それでも私は書き続けたい気持ちが続いているので書いている。聖書の御言葉の方が、適切に私の気持ちを表現していることが多いので、それを記してしめくくっている。
「私はあなたとともにいる旅人で、・・・寄留の者なのです」(詩篇39:12)
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