日本国際飢餓対策機構(JIFH、大阪府八尾市)は、世界の食料問題を考える日として国連が制定した10月16日の「世界食料デー」に合わせて、10月、地元で組織された実行委員会と共に、東北から沖縄まで全国21カ所で「世界食料デー大会」を開催した。テーマは「わたしから始める、世界が変わる 育てよう、希望の苗を」。途上国で懸命に生きる子どもたちに焦点を合わせ、世界が直面する食料問題や飢餓、貧困を解決するためのさらなる取り組みへと人々を大いに啓発した。今年の第1回大会は10月1日、千葉県柏市内のキリスト教会と協力して、アミュゼ柏(同市)で開催され、JIFH特命大使の近藤高史氏とスタッフの吉田知基氏が、飢餓に苦しむ人々の現状と対策の成果を報告した。
柏大会は今年で3回目。実行委員会の1人、倉沢正則牧師(日本同盟基督教団沼南キリスト教会)があいさつに立ち、「昨年国連サミットで採択された『持続可能な開発のための2030アジェンダ』の17項目で1番に掲げられるほどに、世界の貧困と飢餓は非常に重要な問題。ここ柏市に住む市民の活動として、自分自身の食の在り方や生き方そのものを見つめ直し、たとえ小さくともこの問題に終止符を打つためにできることは何か、考える機会としたい」と開催の主旨を説明した。
特命大使である近藤氏は、JIFHが支援活動を行っている現地に赴き、活動の成果をその目で見て、日本の学校やロータリークラブ、キリスト教会などで伝える役割を担っている。この日はまず、昨年アフリカのコンゴ民主共和国(旧ザイール)を訪れた際の様子を写真と共に伝えた。コンゴは国連が発表している人間開発報告書の総合評価で下から2番目の186位に位置付けられている国。近藤氏も実際に、国連の平和維持軍が銃を持って街角に立って初めてやっとの平和が保たれている状態を目の当たりにし、大変な驚きを覚えたという。
この時のコンゴ訪問の目的は、パメラさんという1人の男性に会いに行き、話を聞くことだった。紛争により避難民となったパメラさんは、数年前にJIFHの農村開発セミナーに参加し、1つの決心をして行動を起こした。「自分の生まれ故郷に戻ってゼロから村を築き直そう」。
散らされた家族を探し集め、仲間を説得して故郷に近い小さな町プエトで共同農場を始めた。周囲の人々は誰も期待していなかったが、わずか数年でトウモロコシをはじめとするさまざまな野菜を収穫できるまでになった。車でやっとの道を500キロかけてパメラさんの元を訪ねた近藤氏は、ちょうど2回の収穫を終えた広いトウモロコシ畑を見せてもらい、彼の小さな決心が地域社会に大きな影響を与えていること、彼に続くリーダーがたくさん生まれる必要性を強く感じたという。
飢餓は、十分に食べることができないことによって人々の命を奪うだけでなく、子どもたちの未来をなくすさまざまな問題を引き起こす要因ともなっている。何とかしてその日の食物を得なければならない子どもたちは、児童労働に駆り出されたり、少年兵として連れ出されたりして、学校に行く機会と時間が奪われる。読み書きができないままに大人になってしまっては、いつまでも貧困から抜け出すことができない。
貧困と飢餓をなくし、子どもたちに生きる希望や将来の夢を与えるために、JIFHはアジア、アフリカ、中南米の開発途上国で、自立開発支援、教育支援など多岐にわたる活動に取り組んでいる。「JIFHがなくなることが私たちの目標です」と話す近藤氏は、「みなさんには何ができるでしょうか」と来場者に問い掛けた。日本の食べ残しは年間1700万トンに上り、その約半数が家庭で捨てられるもの。一方、世界の飢餓地域に届けられる食料支援は合計しても年間400万トンだ。飛行機に乗れば1日ほどで行けるようになった今の時代、アフリカでの問題が果たして自分には無関係だといえるだろうか。
世界の飢餓について話すとき、近藤氏は聞き手に1つのことをお願いするのという。「世界で一番遠い距離を克服してください」。それは、頭から手の先までのわずか1メートル足らずの距離のこと。耳で聞いて頭で理解しても、人間は往々にしてすぐに忘れてしまうもの。心で受け止めて覚えていることができたとしても、その手を実際に動かさなければ何も変わらない。「今日聞いたことを、行動に移してください」と、この日も近藤氏は来場者に呼び掛けた。
スタッフの吉田氏は、国内外で災害が発生するとすぐさま現地に駆け付け、何カ月も現地に滞在して支援活動に当たる働きをしている。JIFHに入って6年が経過するが、そもそもなぜこの働きに従事するようになったのか、自身の学生時代からの歩みを振り返りつつ、支援活動における大切な心の在り方について話した。
それまで「自分さえ楽しければ良い」という考え方をしていた吉田氏は高校時代、ある女子高生の「人間ってなんだろう」という詩を読んだことをきっかけに、「自分はどう生きれば良いのか」を考えるようになった。大学生になり、フィリピンのパヤタス地域を1週間訪れた吉田氏は、ゴミ山で生活する人々の実情を目の当たりにして、「こんな世界があるのか」と大きな衝撃を受けた。もっと知りたいという思いが強まり、今度は大学を休学して約1年、パヤタスで現地の人々と生活を共にした。
その期間に、何もしてあげることができない自分、むしろ人々に助けてもらうばかりの自分に気が付き、また、どんな環境にあっても同じ人間であるならば、思いを分かち合い、互いに助け合うことができることを知った吉田氏。ちょうど時を同じくして、「喜ぶ人と共に喜び、泣く人と共に泣きなさい」(ローマ12:15)という聖書の言葉と出会い、「この生き方をしたい」と「自分はどう生きれば良いのか」に対する答えを得たという。
世界各地の被災地で支援活動に当たる中で、たくさんの悲しみに触れ、自身の無力さに戸惑うたびに、この御言葉に立ち返ってその手を動かし続けてきた吉田氏。現場での非常に印象的なエピソードとして、台風の被害を受けたフィリピンで教えられた出来事を紹介した。パンの缶詰や飲料水のフィルターなど、数多くの支援物資を持って現地に入った吉田氏は、ある1人の男性に「今まで受けた支援で一番嬉しかったことは何ですか」と尋ねてみた。返事は思いがけず、「スマイルグループというおそろいのTシャツを着た団体が、ただ笑顔で街を練り歩き、出会う人とハグをしていく」というものだった。「被災した人々が涙を流してハグに応える姿を見て、もう一度立ち上がろうと思えた」と言う。
物質的な支援だけではない。寄り添う心が届くときに、人は変わる。その男性の話から、吉田氏はそう確信を得たという。「何をしている時が人間にとって一番の幸せなのか、今一度考えてみてください。『喜ぶ人と共に喜び、泣く人と共に泣きなさい』という御言葉の通りに行動することができるなら、必ず世界から飢餓はなくなるでしょう」と、締めくくった。