キリスト教精神に基づくNGO団体である日本国際飢餓対策機構(JIFH)は、国連が定める「世界食料デー」(10月16日)に合わせ、10月初めから全国24カ所を巡ってイベントを開催している。17日には、神奈川県の茅ヶ崎市民文化センター内にあるレストラン「ちそう」を会場に「世界食料デー第18回湘南大会」を開催した。
JIFHと共に主催する世界食料デー湘南大会実行委員会は、今なお世界に存在する貧困と飢餓を知り、自分たちの食生活を見直す市民レベルの日常的な啓発運動として、茅ヶ崎市、藤沢市ほか湘南地域で同大会を開催してきた。今年で18年目となる大会は、当初は茅ヶ崎市寒川町エリアのみだったが、4年前から茅ヶ崎、藤沢にも広がってきたという。前回に引き続き、今年も寒川町長の木村俊雄氏が来賓として参加。アトラクションとして真打の落語もあり、ランチョン方式の大会は終始和やかな雰囲気となった。
この日の大会ではJIFHの酒井保氏が登壇し、派遣されているフィリピン・ミンドロ島での活動報告を行った。自らを「技術屋」だという酒井氏は、学校卒業後、建設会社で10年勤務した後、青年海外協力隊でアフリカ・タンザニアで2年3カ月ほどボランティア活動をした後、JIFHに入構したという経歴の持ち主だ。フィリピン・ミンドロ島には2008年3月に派遣され支援活動を続けている。
酒井氏は冒頭、食料自給率40%の日本の食の現状について語り、日本人の生活が海外の人との協力関係によって成り立ち、貧しい途上国の人々の生活の安定が、そのまま日本人の生活の安定につながることを伝えた。さらに1993年の「平成の米騒動」(日本の記録的な冷夏による米不足)で、日本がタイ米を大量輸入したことで米の国際価格が高騰し、貧しい国の米の買い付けに大きな影響を与えたことを例に挙げ、「日本人の食が、世界の人たちにどれだけ影響を与えているか考えてほしい。食事の中で、このおかずの食材はどこから来ているのかと考えるだけで、自分たちにできることが見えてくるのではないか」と訴えた。
酒井氏はフィリピンで7番目に大きな島とされるミンドロ島の山あいの農村で、開発支援を担当している。その地域には、タガログ人と原住民のマンヤン族とが混在している。マンヤン族は他の人々との交流を嫌い、孤立した生活を営んできた歴史がある。その地域は、乳幼児死亡率が高く、対1000で300以上となっている。「コミュニティーの人たちにとって子どもが死ぬのは当たり前で、親たちの価値観や物事の考え方の変革が起きなければ、子どもは被害者のままだ」と酒井氏は話した。
そして、マンヤンの人たちの変革を促すための活動として、大人を対象にした「識字教育」を行っていることを伝えた。それは、酒井氏たちが直接教えるのではなく、まずはタガログ語の先生たちに教授法を教え、さらにその人たちが、周りの人々に文字の学び方を教えていくという方法だ。「私たちがイニシアティブを取ってしまうと、それはサービスになってしまう。サービスは受け身なので、自分たちでそれをやってみようということにはなかなかならない」と言い、「私たちは彼らの持っているものを見つけて、彼らがそれを自分たちで使えるようにしていく手助けをする」と、援助と支援との違いを話した。
フィリピンの労働局には貧しい人々の支援プログラムがあり、これまではその仕組みがコミュニティーの人には分からなかったが、申請の仕方などを教えることにより、その支援を使って活動費を得て、その事業から収入を得られるようになったという。また、2009年から始まったプログラムについても紹介した。スライドには、ビーズクラフトで収入を得ている様子が映し出された。彼らはもともとビーズ細工を作るという基本的な技術は持っていたが、それが売り物になるとは思っていなかったという。酒井氏らは「これは売れる」と思い、デザインできる人を呼び、彼らにどういうものを作りたいのかを聞き、違うデザインのビーズを作り、現金が入るようになったのだと説明した。
スライドに出てきた女性は、そのお金で食料を確保し、教育費にも使うと話した。酒井氏は、「ただお金を儲けただけなら、お酒やギャンブルに使ってしまうことも多い。価値観の変革を促すプログラムと一緒に進めることで、子どもにも大人にも変化が起きる」と、「物心両援」の成果を語った。
7年前に始められた学校では、卒業式も行われた。今コミュニティーの人たちに、どんな生活をしたいかと聞くと、「子どもたちが学校に行き、帰ってきた時にお腹一杯ご飯を食べさせたい」という答えが返ってくると酒井氏は言う。そして、「これは今のニーズからの言葉。この地域の将来に対する展望は聞けなかった。それを彼らがつかめるなら、希望をもって毎日を暮らしていけるはずだ」と述べた。「彼らは、毎日を生きていくだけで精一杯で、『希望』の意味さえ分かっていない。私たちは人として、本来生きていく姿を取り戻すための手助けをしているにすぎない」とこれまでの活動を振り返り、「命のあるところに希望がある」と繰り返した。
「彼ら自身に立ち上がるという意志を持ってもらい、それを尊重し、彼らが望む歩みを支えていく。それが私たちが目指す本来の共生社会だと私は信じている。7年間諦めずに活動してきたことで地域が変えられた。この変えられた地域が、今度はもっと私たちが手の届かない他の地域を助けていく。そういう連鎖を期待して、長い支援ではあるが今後も活動を続けていきたい」と抱負を語り、話を締めくくった。
世界食料デー湘南大会実行委員会の委員長である長谷川信義氏は、17年前、飢餓に苦しむエチオピアの子どもたちが、空腹で石を口に運ぼうとしているシーンを見てこの大会に携わるようになったという。現在、本大会と大会前のプレ大会を開催するほかにも、茅ヶ崎市民活動サポートセンターに毎月第2土曜に集まり、活動を行っているという。「これまで手弁当で何人も協力してくれ、本当に感謝している。これからも飢餓の実情をより多くの人に知ってもらい、貧困や飢餓撲滅のために継続して協力していきたい」と語った。
この日参加した92歳の女性は、「今年初めて参加した。フィリピンの現状を知り、日本に生まれてきて幸せだと思う。寄付など自分のできることで協力していきたいと思う」と感想を語った。