軍事政権下での過ちを主の前に徹底的に悔い改め、71年目となる終戦記念日を新たな始まりの日として迎えたいと「戦後70年 荒野で叫ぶ者の声~信者の罪の告白と悔い改め聖会~」(実行委員長:奥山実・世界宣教センター所長)が14日、東京都渋谷区の21世紀キリスト教会広尾チャペルで開催された。
同教会主任牧師の増山浩史氏が「この日を聖めてくださり、悔い改めによってリバイバルが起こされるように」と開会祈祷をささげ、同聖会を提唱した世界宣教センタースタッフ・伝道師の石野博氏があいさつに立った。
石野氏は、この日が終戦70年の大晦日であること、また、ユダヤ人にとってはエルサレムの神殿を失った悲しみの日「ティシャ・ベ・アブ(アブの月の9日)」で、神の前に罪を悔い改める日だとし、「これは偶然の重なりではなく、神の力だ。主はこの聖会を受け入れてくださっている。私たちは主に呼ばれてここにいる」と語った。会場からは「アーメン」の声が大きく響いた。
ティシャ・ベ・アブには聖書の「哀歌」全5章が朗読されることにちなみ、聖会でも「哀歌」が抜粋で朗読され、会衆は御言葉に聞き入った。
再び石野氏が登壇し、聖書のイザヤ書49章2節を引用して「私たちは今夜、神の秘密兵器として集められた」と伝え、聖会を開催したいきさつを語った。きっかけは、石野氏が日本基督教団牧師の鈴木崇巨(たかひろ)氏の著書『韓国はなぜキリスト教国になったか』を読んだことだった。近年の韓国の大リバイバルについて緻密に分析した同書を通して、韓国のクリスチャンたちが、子どものようなピュアな心で真摯(しんし)に神を愛し、戦時中迫害に遭っても、神の前で逃げたりごまかしたりしないいちずなキリストの僕である姿に心打たれたという。
石野氏は、信仰の証しに準じた韓国人クリスチャンの血の叫びが、戦後、史上類のない韓国の大リバイバルにおいて実を結ぶ一方で、日本の教会が「命を投げ出してまで私たちを救ってくださった方のために殉ずることのできる機会を得ながら、その手を振り払ってしまった」と語った。戦後も、偶像礼拝の罪を直視せず、国策における戦争問題にばかりに目が向いていることを批判し、「問題の本質が転換されてしまった。国家の罪の陰に、信者の罪がごまかされている」と述べた。
石野氏は、「戦前・戦中の時代も、神は支配しておられた」と話し、「歴史はまさに、悪い時代と迫害の到来を前もって予告した神の言葉通りとなった。すなわちそれは、あの時代に対する主の特別な召しだったのに、私たちはそれを踏みにじってしまった」と語った。その上で、「神は、ご自分の苦しみを通して私たちを招いている。内側にキリストの愛が生きたものであれば、キリストの愛に無関心でいられない。キリストの愛に近づきたいと思うのではないか」と訴えた。
自身も、数年前に神の召しから逃げてしまうという過ちがあったことを告白し、「自分は、立ち上がるべきときに立ち上がれなかった聖徒の代表として、今この場にいる」と語った。イザヤ書45章3、4節を引用し、「主は恵みを運んできてくれた。その恵みが私をとらえ、ここに連れて来てくれた」と証しした。
実行委員長の奥山実氏は、日本はイエスが統治し、神を礼拝する国になることを宣言した上で、戦時中の「偶像崇拝の罪」と「召しに応ずることができなかった罪」、戦後の「私たちの責任がごまかされた罪」の3つに焦点を合わせて祈ることを確認した。
各方面から代表者が登壇し、代表祈祷をささげた。登壇したのは、新宿シャローム教会主任牧師の稲福エルマ氏、日本聖書協会総主事の渡部信氏、聖書キリスト教会会長牧師の尾山令仁氏、鈴木崇巨氏の4人。
稲福氏は、宮崎県でアジアの人々に対する悔い改めの集会を持ったとき、偶像崇拝の罪も示されたことを話した。また、空港の近くの公園でさらに祈りの時を持ったときに聖霊が注がれ、主の臨在が降りてきたことを証しし、徹底的に祈ることが平和の突破口になることを強調して祈りをささげた。
渡部氏は、日本は過去の戦争から一歩も進んでいないと指摘し、日本のクリスチャン人口1パーセントを打破するためには、「悔い改めから次のステップに進まなければいけない」と話した。この聖会を契機として積極的に伝道を行っていくことを提案し、さらに教会から、クリスチャンの企業家やクリスチャンの政治家をもっと送り出すことが大切だと伝え、キリスト教国として日本が歩むことができるようにと祈った。
尾山氏は、戦前・戦中において日本の教会が犯してきた罪について、神社参拝をしたことや、神格化された天皇を崇拝したことなど、具体的に一つ一つを挙げて悔い改めの祈りをささげた。当時まだ未信者だった尾山氏が、戦前・戦中の教会の罪を自分の罪とし、涙の中で祈りをささげる姿に、会場のあちこちからすすり泣く声が聞こえた。
鈴木氏は、過去の歴史は現在の歴史、過去の不正は現在の不正だと述べ、今も教会の中に不正があるとし、霊的な知恵で過去の不正を正しく理解し、何が本当になされるべきなのか教えてくださいと祈った。さらに、栄光は全て神にあり、人間には栄光はないことを示していきたいと語った。
代表祈祷の後、奥山氏が「戦後70年 信者の罪の告白と悔い改め宣言」を行った。戦前と戦中、真理のために教会が立ち上がることができなかったこと、戦後においては、教会の悔い改めが政治的事柄に終始し、自分自身の罪を責任転嫁してしまったこと、また、その時代に対する主の特別な招きがあったにもかかわらず、応じることができなかったことを、自分たち教会の罪と認め、懺悔(ざんげ)の告白をすることを宣言した。
その上で、「我らのいずれかの世代が、いずれかの将来、再びあの苦き杯を飲むよう召されているのなら、己(おの)が十字架を担うて主イエスの御足の跡に踏み従い、最後まで勇敢に立ち向かう勇気を与えてください。我らは今再び、主イエスの十字架の御旗のもとに立ち上がり、エリヤの日のように『主こそ神です』と、この時代の残りの者として、力の限り宣言します」と読み上げた。「使徒パウロの信仰の高嶺に、我らをして引き上げ、やむをえぬのなら死に至るまでも信従する忠実さを与えて、我らの告白の祈りに応えてください」と祈り、「主に栄光がありますように」と結んだ。
聖会に参加した50代の女性は、「今まで隠されていたものが明らかになり、縛られていたものから解き放たれた感じがする。これから日本の状況が変わっていくことを信じます」と感想を語った。