広島市の中心部にある旧日本銀行広島支店の館内で7月24日、世界各国から集まったアーティストや学生らがワークショップで制作した作品の展示やフィルムを公演するイベント「Concert for Shadow People」が開催された。ステージには、ワークショップリーダーのキャノン・ハーシー氏も登壇し、「アートを通して、平和を考える機会をここ広島で皆さんと一緒に持てたことを大変光栄に思う。このプロジェクトにリーダーはいない。私たち一人一人がアートを通して、答えを考え、そしてそれを行動に移せればよいのでは」とあいさつした。
昨年、NHK「BS世界のドキュメンタリー」で「キャノン・ハーシー“ヒロシマ”への旅~なぜ祖父は語らなかったのか~」が放映された。この制作に当たったのは、ニューヨーク在住の映像プロデューサー、西前拓氏。この日、西前氏の映像作品として紹介された。
ハーシー氏と西前氏はニューヨークで知り合った。プロテスタントの宣教師の子どもとして生まれた、ハーシー氏の祖父に当たるジャーナリストのジョン・ハーシー氏は、広島に原爆が投下された直後の1946年、原爆の非人道性を訴えた著書『Hiroshima』を刊行。アメリカをはじめ、全世界へ広島の現実を訴えた初めての著書となった。
しかし、米政府と対峙することとなったこの著書がきっかけで、ハーシー氏の人生は大きく狂い始めた。家族にも『Hiroshima』を手掛けたきっかけを話すことはなかった。その理由をさぐるべく、キャノン・ハーシー氏は昨年、広島を訪れた。
『Hiroshima』でジョン・ハーシー氏は、6人の被爆者の経験をつづっている。番組の中で、その中の1人、同書の日本語訳を担当し、当時キリスト教の牧師であった谷本清氏は、「アメリカのいかなる罪悪も『赦(ゆる)す』ことができる。しかし、キリスト教国とされているアメリカが、どこの国にも先駆けて原爆を落とした事実は、決して許されるものではない」と語っている。
この日、音楽を通して平和を訴えた1人、クリスチャンのアーティスト十輝さん。十輝さんは、18歳までクリスチャンホームスクーリングプログラムで育った。そのソウルフルな歌声は、多くの人の心を魅了している。現在は、広島を拠点に全国各地でライブ活動をしている。この日も多くのアート作品を前に、歌声を響かせた。
被爆3世代の女性も、この日、被爆体験を話した。広島で被爆した上野照子さん、照子さんの娘の渡部朋子さん、朋子さんの娘の久仁子さんの3人がステージに登り、それぞれの体験や思いを語った。
朋子さんは、ジョン・ハーシー氏の『Hiroshima』を数十年前に読み、キャノン・ハーシー氏とは、NHKドキュメンタリー制作時に、協力する形で知り合った。「ジョンさんの孫であるキャノンさん。そして被爆当事者である母とその孫であり、私の娘である久仁子。広島の思いを伝えるのは、すでに新しい世代が担おうとしている。いつか世界から『被爆者』という言葉がなくなるようにと願っている」と話した。
また、キャノン氏からの「プレゼント」として明かしたエピソードには、キャノン氏が朋子さんの母、照子さんに、朋子さんを産んだときのことをインタビューしたときのことを話した。照子さんは、自分が被爆していることで、妊娠前後を通してどれだけ不安だったか、「自分は(原爆症を発症して)死ぬかもしれない」と思っていたということ、そして、朋子さんを産んだことは「大きな希望」だったというのだ。
照子さんは、県外に引っ越した友人が「被爆者」であることで、差別的な扱いを受けたこと、姉が亡くなったときには火葬をするのに、被爆者を火葬すると何か伝染するのではといった臆測が広がり、参列者も少なく、とても寂しいお葬式だったことなどを話した。
また、一番若い世代である久仁子さんは、「私は、『被爆者3世』と言われることが嫌いだった。広島に生まれ育ったことで、あたかも広島の人には必ず『原爆投下』を伝えるミッションがあるかのような言われ方が好きになれなかった。しかし、祖母が母を『希望』と語ったことで、少しずつ考えが変わった。誰にも看取られることなく亡くなっていった無数の命が広島にはあった。そのことは伝えていかなければならない。そして、世界には、いまだ戦火に苦しむ子どもたちがいる。あの日も同じように多くの子どもたちが犠牲になった。子どもたちに映る戦争、核兵器を考えていきたい」と話した。
「Shadow People Project」は、広島の後、東京でイベントが行われ、今後は世界の各地で行われる予定だ。西前氏は、「ジョン・ハーシー氏は、『記憶の継承こそ人類が生き残る希望』という言葉を残した。『記憶』を、アートをモチーフにして継承し、それを見た人、聞いた人がそれぞれ平和を考えることを実現していきたい」と話し、対話セッションを終了した。
最後にミュージシャンの岡野弘幹さんが音楽を披露。会場を温もりと希望、そして喜びで包んだ。