国際宣教団体「OM(Operation Mobilization)」の創設者、ジョージ・バウワー氏の講演会が7月29日、内灘聖書教会(石川県河北郡)と新宿シャローム教会(東京都新宿区)で開催された。OMは1950年代から、宣教、人道支援、教会開拓、正義(人権問題など)、育成訓練、OM船の運航など、世界各国で多岐にわたる宣教活動を通して「まだ福音に触れたことのない人々に福音を伝え」「地域教会と協力し」「世界に目の開かれたクリスチャンを育成し」「次世代の人々を世界宣教へと動員する」ことを目指して活動を行っている団体。78歳になるバウワー氏は会場に集まった人々に、60年間変わらない情熱を込めてメッセージを語った。
同日夜に新宿シャローム教会で行われた講演会は、会場を提供した同教会の富田慎悟牧師の「今夜バウワー先生の口から語られる御言葉を通して、『全世界に行って、すべての造られたものに福音を宣べ伝えなさい』というイエス様の心を受け取りたい」というあいさつで始まり、まず登壇した通訳の森章牧師(Global Mission Chapel、福島県いわき市)がバウワー氏の略歴を紹介した。
「非常に勤勉な人。高校時代には、悪いことにも勤勉だったようで」と軽快な調子で口を開いた森牧師。今では世界各地に広がっているOMだが、その働きは「地元の高校生が救われて宣教師として世界に出て行くように」と15年間祈り続けていた米国ニュージャージー州の1人の婦人から始まった。
彼女はある日、ヨハネの福音書を1人の高校生に手渡す。それをきっかけに、ビリー・グラハム伝道大会に参加した高校生は、そこで見事にイエス・キリストにとらえられて献身。すぐに高校で伝道活動を始め、1年で在校生200人が救いに導かれていった。
この高校生こそがバウワー氏。献身したその日から毎日熱心に伝道に励み、大学時代には、まだ福音が語られていない世界の国々へと目を向けるようになっていく。最初は10人にも満たなかった米国の大学生の福音の情熱が、メキシコ、そしてスペインからヨーロッパ全域へと広がっていき、200人、2千人と年ごとに次々と仲間が加えられ、OMは世界規模の宣教団体へと成長していった。
創設から59年がたった今も、その情熱は絶えることなく、ますます宣教の働きは前進している。森牧師はバウワー氏について「救われた瞬間から、毎日リバイバルを生きてきた人」と紹介し、バウワー氏を歓迎した。
「日本のために58年祈り続けてきた」というバウワー氏は、日本の現状について「霊的必要が大きく、他の国に人を送るのは難しい」と話した。しかし、「クリスチャン人口が日本よりも少ない国が、世界には少なくとも40ある」と地球儀を取り出して、リビア、モロッコ、ソマリアといった国々を指差し、「ほとんど忘れられ、興味を持たれることのないこうした国のために、祈ったことのある人はいますか」と尋ねた。
祈ったことがある、と手を挙げた人々はほんの数人しかいなかったが、「祈りたいと思う人はいますか」と質問が変わると、集まったほぼ全員が手を挙げた。「祈る気持ちはあっても、実際に行動に移すことがない。ここに、今夜のメッセージの中核がある」とバウワー氏。
「宣教の門が閉ざされているどんな国であっても、祈るときにその門が開かれる」と確信に満ちて話すバウワー氏は、「まず祈ること」の大切さを説いた。祈ること、そして実際に現地に宣教師を遣わすという具体的なアクションによって、OMは世界中の困難な状況にある国で活動を展開してきた。
そうして、1人もクリスチャンのいなかったアルジェリアでは、少数民族の3万人以上が救われ、イスラム教国のイランでは、多くの人々がイエスに立ち返ってロンドンなど世界各地に非常に活発なイラン人教会が建てられるなど、世界は事実変えられてきた。
現在、110カ国で約3200人のスタッフが活動しているOM。数々の素晴らしい証しが打ち立てられている一方、常に多くの問題や危険にさらされ、頭を痛めることは山ほどあるという。これまでの60年の中で、特にひどく落ち込んだのは、最初に送り出したOM船が暗礁に乗り上げてしまったときで、この時ばかりは「みんなが航海の無事を祈っているのに、神はどこにいたのか」と祈ったと振り返る。
また、自分自身も数々の失敗を繰り返し、派遣したスタッフが引き起こす問題にも頭を悩ましてきたというバウワー氏は、「『主の民が2、3人集まるところには混乱が起こる』というバウワー箴言が生まれた」と笑う。だがその上で、「問題が起きると、その問題に集中してしまいがちだが、罪と汚れに満ちたこの世界にあっては、目を留めるべきはただ神のみ」と、そうした問題を乗り越えるための秘訣を語った。
さらに、家庭礼拝中に踏み込まれてトルコで射殺された宣教師をはじめ、宣教活動の最中に殉教していった働き手も数多く、OMの活動には命の危険が伴うことも明かした。数年前にも、ベイルートで医療活動を行っていた医師夫婦が襲われ、夫の目の前で妻が射殺されるという事件が起こった。夫は信仰によって妻を撃った相手を赦(ゆる)し、今では素晴らしいメッセンジャーとして世界中で用いられているという。
バウワー氏も、旧ソ連に聖書を密輸した際、秘密警察に見つかって3日間ホテルに軟禁されたことがあるというが、「神の民である私たちは刑務所に入ることを恐れず、むしろ誇りに、光栄に思う」と臆することなく語り、OMが創設に当たって示されている聖書の言葉、「神の恵みの福音を力強く証しするという任務を果たすことができさえすれば、この命すら決して惜しいとは思いません」(使徒言行録20:24)を分かち合った。
「非常に力に満ちた御言葉だ。この御言葉こそが、私たちの人生を変える。私も、どんな代価を払っても自分の人生をイエスにささげ尽くそう、という決心へと導かれた御言葉だ」と語るバウワー氏は、パウロがテモテに書いた「立派な兵士として、わたしと共に苦しみを忍びなさい」(テモテへの手紙第二2:3)という箇所を重ねて、困難な目に遭うときには、神は簡単な人生を約束していないことを思い出すように、と人々にアドバイスした。
こうした力強いメッセージを語るバウワー氏だが、「気が付くと、すぐに生ぬるさが入り込み、否定的な、間違ったことに目を向けやすい自分がいる。祈ってもかなえられないと、気落ちしてしまう」と、多くの人々が共感できるような素直な思いも告白。人間の弱さを誰よりも自覚しているバウワー氏だからこそ、「この命すら決して惜しいとは思いません」という節に立ち返り、定期的に自分の思いと人生の全てを神にささげ直すことの大切さを語る言葉には、強い説得力がある。
また、私たちを前進させていく力となる御言葉として「動かされないようにしっかり立ち、主の業に常に励みなさい」(コリントの信徒への手紙一15:58)を伝えたバウワー氏。この御言葉が、60年間バウワー氏を導き、バウワー氏の人生そのものであったという。
救われた18歳の時から78歳になった今も、同じ情熱で日々祈り、過ごしているバウワー氏だが、年齢を重ねてきてからは、「死ぬことは利益なのです」(フィリピの信徒への手紙1:20)の御言葉がひしひしと感じられるようになったそうで、同世代の人々に向けて、「大きな益を手にする日が近づいていることを喜ぼう」と元気よく呼び掛けた。
若い世代のクリスチャンに向けては、「情熱を持ってください」と思いを語った。時差ぼけで朝早く目が覚め、人通りのない金沢の町を歩いていたバウワー氏は、ポケモンを探してうろうろしている青年を見かけたといい、「あれくらい熱心に、クリスチャンが失われた人を探し求めて歩いたら、すぐに教会はいっぱいになるだろう」とユーモアを交えて話した。
OMは来年2017年に60周年を迎える。バウワー氏は、「非常に喜ばしいことであると同時に、聖霊の力を新しく受けなければ危険でもある」とし、「私たちが、初めの愛、聖霊様の油注ぎ、福音のために命を投げ捨てる覚悟を失わないように祈ってください」と、祈りによる支えを強く求めた。