1986年からそれまで長年無牧であった首里福音教会で宣教を始めた宮村武夫氏。東京都出身のヤマトンチュ牧師として、沖縄で26年間牧会に当たった。「戦時中の疎開経験、それは初めて沖縄に来たときの感覚に似ている」と当時を振り返る。
自他共に認める「聖書人」である宮村氏は、「沖縄を見るとき、『聖書をメガネに』見てみようと思った」と話す。「全知全能の神が、沖縄に住む一人一人を母の胎でくすしき存在として育て、創り出されたという事実。人は人として創られ、ウチナーンチュ、ヤマトンチュとして創られたのではない。同じように沖縄という地も神様が創られた場所。その事実を通して、沖縄の歴史、さまざまな現実を見るということ。それが『聖書で沖縄を読む』ということではないか」と語った。
自然豊かな沖縄の土地で突如発症した重度の躁鬱(そううつ)病には、20年以上苦しんだという宮村氏。2009年には脳梗塞で倒れ、2011年、ついのすみかと決めていた沖縄を離れ、東京に。その後、クリスチャントゥデイの編集長に就任。「聖書で沖縄を読んだ」経験をもとに「聖書をメガネに」の編集方針を貫き、現在に至っている。
「ヤマトンチュ、ウチナーンチュの間には溝があるかもしれない。しかし、一人一人が神様の創造物だということを忘れてはならない。それは、ひとくくり、『○×メンタリティー』で語れるものではない。ウチナーンチュだから良くて、ヤマトンチュだからダメといったこともない」と話した。
3人それぞれが話した後、パネラー間で質疑応答を行った。質問をしたのは平良氏。佐喜眞氏に「佐喜眞美術館を訪れる多くの『ヤマトンチュ』の方々に絵を通して沖縄戦を語っておられるが、一方で『ウチナーンチュ』の『おじい』『おばあ』たちに語るのは『ものすごく緊張する』と言っておられたのを聞いたことがある。それはどういう意味か」と質問した。
佐喜眞氏は、「私は沖縄戦を経験したわけではない。そうした中で、沖縄戦を知れば知るほど、この戦いがいかに悲惨で残虐であったかを思う。それを実際経験したウチナーンチュの方々に語るのは、やはり容易ではないということだ。しかし、一方で私は、沖縄以外の土地に住む人間がいかに沖縄戦を知らないかも知っている。それは良いことだと思っている。万一、日本に再び戦争が起きるようなことがあれば、今度こそ、取り返しのつかないことになる。この沖縄戦を知らない東京の人たちは、2度と戦争が起こらないように、沖縄のおじい、おばあの話を聞いてほしい」と答えた。
国内唯一の地上戦が展開された沖縄。この地を修学旅行などで訪れる高校生も多く、平良氏は、「地上戦のむごさは、経験してみないと分からない。今の人たちにそれを伝えるには、どうしたらよいか。戦争をもう一度起こして、自分たちが逃げ回る経験をしないと分からないだろう。しかし、そんなことは絶対にあってはならないこと。あってはならないことなのだから、その代わりに『学習』をする。その『学習』は、通り一遍の学習ではなく、真剣なものであってほしい」と話した。
会場からの反応として印象的だったのは、あるクリスチャンの女性からの発言だった。
「沖縄と『本土』の温度差は、主に3つの点が挙げられると思う。『本土』の人は、琉球の歴史を知らない。どのように沖縄が虐げられてきたかということを知る人が少ないということ。次に戦争の記憶について。日本各地で起きた空襲と地上戦の違い。最後に現在の沖縄基地問題を真剣に考えるウチナーンチュが少ないということだ。神様がここに、このような美術館を建てられた意味は非常に大きい。これからも祈っていきたい」と話した。
佐喜眞氏は「この土地の意味というのは、常に意識をしている。沖縄の平和教育、全国の平和教育の一助になればと願っている。アートはモノを言わない。モノを言わないからこそ、訴える力がある」と話した。
宮村氏は最後に「聖書には、『初穂』という考え方がある。この美術館が基地のほんの一部であるが返還され、このようにアートで平和を伝える拠点となっていることは、非常に意味のあること。この美術館が『初穂』であるなら、基地が返還されるという『希望』になっているのでは」と話した。