主はわが全てです
私たちは、「主はわが全てです」と告白できなくてはなりません。私たちが一番大事にしているものは何ですか。事業、お金、権力、名誉、健康、子ども、妻、夫を神様よりも大事にするなら、神様はその事業、お金、権力、名誉、健康、子ども、妻、夫を通して試みを与えられます。
マタイの福音書19章16節を見ると、永遠の命に関心のあるお金持ちの青年がイエス様を訪ねて来て、質問する場面が出てきます。
「すると、ひとりの人がイエスのもとに来て言った。『先生。永遠のいのちを得るためには、どんな良いことをしたらよいのでしょうか』」(マタイ19:16)
彼は敬虔な生活をしようと努力し、戒律を全て守った人でした。彼がお金持ちだったのは、当時のユダヤ人たちの信仰的観点からみたとき、神様から多くの祝福を受けたという証しです。
ですから、彼は自分が誰よりも神様をよく信じているのだと考えていたことでしょう。実際、彼が神様を崇め、仕えようとしていたのは、彼が律法を守っていたことからも知ることができます。
しかし、彼は神様よりもお金をもっと愛し、命のように頼っていました。イエス様はその青年の心を見抜き、次のようにおっしゃられました。
「イエスは、彼に言われた。『もし、あなたが完全になりたいなら、帰って、あなたの持ち物を売り払って貧しい人たちに与えなさい。そうすれば、あなたは天に宝を積むことになります。そのうえで、わたしについて来なさい』」(マタイ19:21)
この言葉を聞いた青年は財産を諦めることができず、悲しみながら去って行ったと聖書に書かれています(マタイ19:22)。青年がイエス様に従えなかったのは、お金を諦めることができなかったからでした。
私たちは2人の主人に仕えることはできません。神様よりも愛するものがあってはなりません。神様からの試みとは、私たちが最も大事に思っているものを神様にささげることです。
「そこで、イエスは彼に言われた。『心を尽くし、思いを尽くし、知力を尽くして、あなたの神である主を愛せよ』」(マタイ22:37)
イエス様に仕えるには、イエス様と私たちとの間に障害物があってはなりません。完全に主だけに仕えなければなりません。
それでこそ、神様の御旨が私たちの人生において全てに恵まれるように成されることができます。そのことを邪魔するものがあれば、それを降ろさなくてはなりません。
試みに遭うときに一番重要なのは、信仰を守ることです。そして、試みを通過するために私たちがすべきことは、もっと主に頼ること以外ありません。
試みを通過してこそ、主に認められる人になれます。試みを通して信仰の不純物が取り除かれ、信仰が成長し、さらには神様の祝福が臨むようになります。
「そればかりではなく、患難さえも喜んでいます。それは、患難が忍耐を生み出し、忍耐が練られた品性を生み出し、練られた品性が希望を生み出すと知っているからです」(ローマ5:3、4)
(イ・ヨンフン著『まことの喜び』より)
*
【書籍紹介】
李永勲(イ・ヨンフン)著『まことの喜び』 2015年5月23日発行 定価1500円+税
苦難の中でも喜べ 思い煩いはこの世に属することである
イエス様は十字架を背負っていくその瞬間も喜んでおられました。肉が裂ける苦しみと死を前にしても、淡々とそれを受け入れ、後悔されませんでした。私たちをあまりにも愛しておられたからです。喜びの霊性とは、そんなイエス様に従っていくことです。イエス様だけで喜び、イエス様だけで満足することを知る霊性です。神様はイエス様のことを指し、神の御旨に従う息子という意味を込めて「これは、わたしの愛する子」(マタイ3:17)と呼びました。すなわち、ただ主お一人だけで喜ぶ人生の姿勢こそが、神の民がこの世で勝利できる秘訣だということです。
(イ・ヨンフン著『まことの喜び』プロローグより)
お買い求めは、全国のキリスト教書店、アマゾンまたはイーグレープのホームページにて。
◇