老いても実を実らせる
人と交わりを持っているときに、時々我に返るときがある。そして“ああ、いつまでも若い時の気持ちのままではいけない”とか“年をとっているということに甘えてはいけない”とか思うことがある。
また自分と同年齢の人たちを見ていて、同じ世代の人として好ましく思える人と、そうでない人がいることにも時々気付く。好ましくない年配は、元気がない。何となく年寄りという名に甘えているような人々であり、好ましく思える人たちは、元気があり、依頼心がなく、甘えた心がないように思える。
年をとるにつれ、行動が若い時のように積極的、広範囲ではなく、いろいろ制約を受けるようになるのは、生理的にも仕方のないことであるが、年寄りらしくすることと、年寄りらしくしないことが大切である。
年寄りらしくせよとは、自分を客観的に見て、よく知っているということである。特に身体的な衰えはどうしようもない。また年齢も然りである。これらをあるがまま受け止めて、それ以上でも以下でもなく素直に認めることが大事である。見栄を張って若ぶっても仕方がない。
年寄りらしくするなとは、年寄りという名に甘えるなということである。必要以上に年寄りらしくして、憐れみを買ったりするのは、まことに見ていて見苦しい限りである。年をとっても自立心を持ち、独立の精神を常に持つことは、肝要である。
「彼らは年老いてもなお、実を実らせ、みずみずしく、おい茂っていましょう」(詩篇92:14)
「年老いて、しらがになっていても、神よ、私を捨てないでください。私はなおも、あなたの力を次の世代に・・・告げ知らせます」(詩篇71:18)
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