なぜ困ったときの神頼みなのか
私たちは、普段元気なときは自信があり、人や神様に頼らなくとも自分でできるという気になりがちである。自分自身が本当は弱い存在であり、神様の恵みで強くなれたのだということを忘れてしまう。
だから、いざ病気になって、弱くよろめいている自分を見て、初めて神様に支えられ、神様に与えられていた健康というものが、憐れみであることに気付く。本来の姿は、自立できない弱い姿なのである。神様が恩恵をプラスしてくださって、健康体になるのである。
このことを忘れて、ただ病気の癒やされることのみを神様に祈っているならば、不十分である。これは本当の困ったときの神頼みであり、健康になった途端、その健康が神様の恩恵により成立しているということを忘れて、神様から遠ざかってしまう。
もちろん、弱くよろよろしている私たちに、主の恵みは忍耐強く、そしてイザヤ書にあるように、「主に帰れ。そうすれば、主はあわれんでくださる」(55:7)。主は助けてくださるが、恵みを感謝することを忘れてはならない。病気の時でも、健康な時でも。
神様に拠り頼むことのみでは、神様に栄光をお返しすることができない。
「私はあなたの恵みに拠り頼みました。私の心はあなたの救いを喜びます」(詩篇13:5)
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