完全な人の姿をとられたキリスト
イエス・キリストは、この世にあっては完全なる人であった。完全なる人の形をとって世に現れた、霊なる神、目に見えない神であった。
世に住まわれる限りは、極力神としての力を制限され、生まれてから死に至るまで、目に見える体も、その考えも、極力人間に近い、卑しい者として生きられ、そういう制限された生き方に甘んじ、従順に生涯を終えられた。
いやしめられるのみならず、一見理不尽な罪人のために死ぬという目的。その死に従いたくないが従う長年の葛藤の期間。最後には、最も信頼する側近にも全て裏切られた孤独。生きている間に神の救いの御手を差し伸べられず、それでも父なる神を信じて死なれた信仰。
これらは全てイエスが地上で完全なる人であるときに経験されたことであり、神聖をほぼ完全に封印された上、イエス・キリストに起こったことである。生まれたときから死に至るまで、父なる神に完全に従われて完全な人となり、使徒や預言者のような奇跡は必要な時のみ神より与えられた(神が行った、父なる神が)。
「キリストは神の御姿である方なのに、神のあり方を捨てられないとは考えず、ご自分を無にして、仕える者の姿をとり、人間と同じようになられました」(ピリピ2:6、7)
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