今の心を忘れないために
今私の体の状態は、昨年の今頃は不可能であった転移した肝臓のがんを手術で消滅させ、再発や目に見えないくらい小さながんの残っている可能性を防ぎ、消滅させるために術後治療を行っている段階である。
まさに、一度死を覚悟したのを生き返らせていただいた心境であり、また、目に見えぬところの戦いが続いているので、神様にすがって生きている。聖歌609番の“一度死にし我をも イエスは生かしたまえり・・・”は、霊的な死ではあるが、なぜか自然にこの歌詞が浮かんでくる。
そして最近、何かしら心の状態が以前と違うが、それは一体何であろうかと振り返ってみたとき、先ほど述べたように、今まだ神様にすがって生きている身であるので、常に神様のことが念頭から離れない。良く言えば、神様第一の精神状態にあるといえる。
「神の国とその義とをまず第一に求めなさい」(マタイ6:33)
このような大病を患わないと、神様の喜ばれる精神を持てないというのは情けないことではある。しかし、私のような不信仰な者で、その生活も未信仰者と何ら変わらず、精神状態も神様中心とはとても言えなかった状態の者は、神様の愛の懲らしめによって、強制的にでも修正された道に導かれる必要があったのだと思う。何はともあれ、神様のことを常に中心に生きているのは、神様も喜ばれることであると思う。
過去の人類の歴史を聖書で見ると、人間の心は実に移ろいやすいことを知る。満たされるといつの間にか神様に救われたことを忘れ、自己中心の道を歩み出す。
しかし、よく観察してみると、その時点、つまり自己中心の道を歩み出す時点までは、皆似通っているが、その後は2通りに別れる。一つはそのまま自己中心の道を歩む人、一つは、悔い改めて、元の正しい道に戻る人。私が今なすべきことは、聖書を通して神様のことをよく知り、過ちを犯してもすぐに元の正しい道に戻ることのできる信仰を持つことだと思う。
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