都会におしゃれなブティックなどの店が立ち並ぶ、若者に人気の街、東京・代官山で教会と街づくりの関係性を考えようと、日本基督教団本多記念教会(東京都渋谷区代官山町)は22日、「第1回代官山鼎(てい)談 教会は街のお役にたっていますか?」と題するシンポジウムを開催した。シンポジウムはジャズピアノの生演奏も交えて楽しい雰囲気の中で行われ、49人(主催者発表)の参加者らは終了後、「楽しかった」と感想を語った。
開会に当たって、同教会の伊藤大輔牧師は参加者に対し、「早いうちに日本に受け入れてもらえないと、教会はいずれまたなくなってしまうんじゃないか。私たちは何かそういう思いでいます」と語った。
「街が何を考えているのか。そしてまた、街というところはどういう機能があって、何を一人一人に求め、どういう要求があるのか。私たち教会も街のためになりたい、人様のためになりたいと考えています」と、伊藤牧師は述べた。「でもそれはしょせん、自分たちがこちらの都合のいい頭の中で考えた、お役に立つであろうという予想です。それではいつまでたってもなかなか前に進みません」
そして伊藤牧師は、「いっそ、街というのはこういうところですよということをよく体験的に知っていらっしゃる方、実際にこの代官山という街で活動していらっしゃる方、あちらこちらで街の中でいろいろな事業をしていらっしゃる方、私はその方々を今日お迎えして、一緒に街の中で教会というものはどういう役に立つことができるのか、それを勉強しようと思って、この会を開かせていただきました」と、シンポジウムの意図を説明した。
「教会に関係のない方のご意見が私たちはむしろほしいと思っています。『キリスト教は知りません』『宗教は知りません』でも結構です。それでも、そういう方の言葉も私たちは待っておりますので、いろいろ教えてください。ご指導ください」と、伊藤牧師は付け加えた。
続いて、シンポジウムの司会を務めた同教会員で東京神学大学大学院博士課程前期1年の神学生、森下滋さんは、「会堂建築の老朽化などいろいろなことがあって改築する。この機会に、改築後のことも考えて、コミュニティーの方とどういうふうに私たちこのキリスト教会は変わっていくことができるのか、どのように使っていただけるのか、宗教施設ではありますが、ある意味公共的なものも多少は検討されると思います」と語った。
「教会は震災が来たときに避難所になる。当然、3・11の時はこの辺の幾つかの教会もそういうふうな受け入れをなさったと聞いております」と森下さんは震災時における教会の用いられ方に言及。その上で、「いろいろなことが考えられると思います。この2010何年、何が起こるか分からないときに、この地域の皆様にとってどういう、ある意味ではサービスができるのかということを、これから長い時間がかかるかもしれませんが、皆さんのお知恵をお借りしながら考えていきたいということで、教会の側から皆様にお声を掛けさせていただきました」と述べた。
その後、このシンポジウムのプログラムを企画した同教会コミュニティー委員会・教会建築委員会の吉瀬嵂子委員長が開会のあいさつをし、参加者を歓迎した。吉瀬委員長は、「この教会はもう60年たちまして、だんだん老朽化も進んできて、阪神・淡路大震災を契機に新しい会堂にしようという案が持ち出されました。その実現に向けて頑張っているところです」と述べた。
「なかなか私たちは自宅と教会とを行ったり来たりで、街のことはあまり知らないということが事実でございます」と吉瀬委員長は告白した。「代官山の近くから来ている方は何人かいらっしゃるのですが、ほとんど、県外からの方もいらっしゃるし、遠いところからよくいらしてくださっています」
「そのため、今日は本当に代官山の皆様といろいろなお話しができるのをとても楽しみにしております」と吉瀬委員長は語った。
その後行われたセッション1では、3人のゲストがそれぞれ関わっている仕事や街、コミュニティーなどについて各自の立場から発題した。
まず初めに、石川県七尾市で街づくりをしている民間街づくり会社、(株)御祓川(みそぎがわ)の代表取締役、森山奈美さん(日本基督教団七尾教会長老)は、「街づくりに教会?」と題して発題。スライドで「御祓川がつなぐマチ・ミセ・ヒト~異業種ネットワークで進めるまちづくり~」という題を掲げた。
森山さんによると、七尾が誇る青柏祭(5月に行われる大地主神社の例大祭で能登地区最大の祭礼)でも知られ、同市の中心市街地を東西に分けている御祓川が汚くなり、これを何とかしないとその先の街づくりができないということで、(株)御祓川が創られたのだという。
森山さんは2007年の能登半島地震を受けた七尾教会の新会堂建築と、同社によるまち育て(御祓川の浄化)・みせ育て(界隈の賑わい創出)・ひと育て(コミュニティー再生)を紹介。「マチ・ミセ・ヒトの関係を再生する」ことでその三つの循環を生み出し、ネットワークづくりをしていると語った。
森山さんは、諸々の地域の課題をどうやって解決するかを考える場所として、市民が学び活動する場と機会を提供する御祓川大学を(株)御祓川が創ったという。
森山さんは発題の最後に、目的としての自治について、「街づくりはその地域に住んでいる人たちが幸せになるためにやっている。どのようにすれば幸せになるのか調べてみた」と語り、10年前、『幸福の政治経済学』(ブルーノ・S・フライ、アロイス・スタッツァー著、佐和隆光監訳、沢崎冬日訳)の調査結果に衝撃を受けたと述べた。
「それには『政治への参加度』と書いてある。つまり、自分たちの街のことを自分たちで考え、自分たちで決めて自分たちで行動している。そういう人たちこそ幸せだということ」と、森山さんはその本について説明した。
「つまり、コミュニティーというのは、例えば七尾教会から教会の全国のコミュニティーあるいは全世界のコミュニティーとつながりがあるということなんです」と森山さんは述べた。
そして森山さんは、「地域にも地域のコミュニティーがあります。そのコミュニティーで何を決め、何を問題として捉え、どのように行動していくのか?そのことに自分が関与するということが、実は人々の幸せ感を一番左右するのだということで、この御祓川大学で学んでいくということは、単に地域の課題を解決するのではなくて、人々が関わって自分たちの地域の課題を解決できる、そんな人たちを育てていきたいと思っております」と強調して発題を終えた。
続いて、新しいコミュニティーづくりに取り組むNPO法人「代官山ひまわり」代表理事の森田由紀さんが、「代官山のこれからって?」と題して発題した。
スクリーンに「THEORY OF CHANGE これまでの価値・魅力を次の時代へ」という題を掲げた森田さんは、代官山ひまわりでこれまで3年ほど、「暮らしと働きを共にするLoco-workerの普及・啓蒙から地域資源の活用と街づくりに精力的に取り組む」活動をしてきたという。
森田さんによると、Loco-workとは、Local(地域の)とCowork(共に働く)を組み合わせた言葉で、「暮らすと働くを『愛着のある場所』でつなげること」だという。森田さんはそのポリシー(方針)として、「1人では越えられない壁も、チームで働くことにより、社会に一歩踏み出すことができる。自分の好きなこと、得意なことを生かし、自ら手を動かすことから誰かを幸せにし、幸せの連鎖を起こす」のだと語った。現在、Loco-workをする人たち(Loco-worker)には、70人が登録中だという。
母親でもある森田さんは、6年前に代官山に転居したとき、新住民という自らの立場に孤立感を感じたのをきっかけに、子育て世代である母親たちによる新しいコミュニティーづくりに取り組んでいると語った。
森田さんは、代官山の特徴として「住む人」「働く人」「訪れる人」の「つながり」を挙げ、その三つを「可視化していかなければならない」と語った。
代官山ひまわりは、産後の引きこもりをなくし、親子一緒に街へ出掛けるきっかけづくりとして「Babyと一緒!お出かけツアー」を企画し、代官山のすてきなお店を紹介しながらランチタイムで交流を図っていると、森田さんは話した。
また、代官山ひまわりは、地域と親子とクリエイターをつなぐ活動として、縁台・ベンチで人と街をつなぐ「ENプロジェクト」を実施しているという。これは、間伐した木を使って作った縁台やベンチに、それを置いてもらうお店のテーマに合わせて、取材に行った子どもたちがその店に合ったペイントを施すというもの。ただ、これはやや休みがちだという。
同団体は、「代官山朝活」として、走ったり、スポーツをしたり、コーヒー屋でコーヒーの講習会をしたり、自転車屋とサイクリングの企画をしていたが、これも今はお休み中だという。
同団体はまた、代官山商店会で200店舗ぐらいのお店のマップ(地図)ができたのを記念して、マップを使いながらお店をたずね、謎解きをしながら街を巡る「代官山謎解きウォーク2016」も行っている。また、地域の母親と連携して、地域住民優先千人限定のお菓子ラリーをする「代官山ハロウィン実行委員会」もあるという。「ここで大切なことは、いろんな人に力を借りること」と、森田さんは語った。
森田さんは代官山のさまざまなコミュニティーについて、「大切だなと思っているのは、共感と価値を開いていくことだと思っています」と語り、開くことで誰しもが来られる街になるのではないかと付け加えた。
そして、「代官山のこれからは、オープン・イノベーション」だと森田さんは述べ、「アイデアを組み合わせることで革新的な新しい価値を作る、そして外部の開発力やアイデアを活用することで、地域の課題は解決していけるのではないか。そこから価値を作っていけると思っている」と語った。
「共創と連携が私たちの活動を促し、皆さんのためにもなる。誰しもが来られる場所があって、アイデアを持ち寄り、対話を作り、知識を集約する『オープンな集合地』、利用者と提供者の『双方向化』、専門知識や能力を巻き込む調達能力としての『外部リソースの活用』をもっと代官山でやっていく必要がある」と森田さんは述べた。
「やはり、これから人と街をどうやって発展させていき、担い手が手を上げていってくれるのかということを、この教会の場所から一緒に作っていきたい」と、森田さんは結んだ。
次に、ホテルやレストラン、宴会・婚礼の運営・委託・企画などを行う(株)プランドゥーシー社長室室長の晄豪男(ひかり・たけお)さんが、「『代官山のブランドって?』新たな価値を創造する」と題し、同社の事業と教会との関係について発題した。
晄さんは同社について、「もし自分がお客様だったら、どうなっているのがうれしいか?」という問いを考え、答えを出すのがそのやり方だと紹介。「歴史的な物語=ストーリーに思いを馳(は)せる」のが同社のこだわりだという。
晄さんは、過去にいた街づくりが得意な「ひと」として、徳川家康・後藤新平・朝倉虎治郎・槇文彦を挙げた。また、街づくりが得意な「会社」に、ディズニーランドを造ったウォルト・ディズニーを挙げた。その上で、代官山の街づくりについて、代官山にあるレストランなどを写真で紹介。他の街づくりと比較した上で、「代官山の『ある ある』『ない(すく)ない』」と題してその特徴を列挙した。
晄さんは代官山の「ある ある」として「大使館、外国人、教会、イタリアン・フレンチ(のお店)、ウェディング会場、街にみどり、街路樹、公園、裏路地のお店、スイーツ・カフェ、蔦屋、女性への魅力、おしゃれ、ロハス、雑貨屋さん、古着屋さん、休日、歩道橋」を挙げた。
また晄さんは代官山の「ない(すく)ない」として、「住所(意外と狭い)、うどん・そば屋さん、和食屋さん、赤ちょうちん、遊び場としての朝倉邸、電車、夜の遊び、アジア料理、歩行者天国、男性への魅力(ないわけではないが、女性への魅力のほうが強い)、スーパーブランドショップ、男祭り、季節感、お花見、映画の舞台、平日」を挙げた。
晄さんは代官山の街づくりに関するまとめとして、「どこかの巨大なデベロッパーが行政と組んで開発したものではない。どこかの開発会社がリーシングしたのだとしてもそれが根付いている。その結果、街が文化になっている。スーパーブランドショップが軒を連ねるのがおしゃれではない。自然発生的にバラエティーに富んだ『洋』のモノが点在して街の魅力になっている。巨大な商業施設をつくることが街づくりではない」と述べた。その上で晄さんは、「あるあるにフォーカスするのか、ないないにフォーカスするのかは、街の人たちが決めたらいいのではというふうに思っている」と付け加えた。
晄さんは代官山のブライダル業界の潮流が約8年周期で変動していると述べた。それによると、1990年まではホテル・専門式場がマーケットの中心だったが、1990年から1998年はゲストハウス・レストランウェディング企業が急成長した。1998年から2006年はゲストハウスがホテルのシェアを取り、ウエディングスタイルが多様化。2006年から2014年は時代の流れに敏感ではない会場は顧客離れが始まりつつあると晄さんは指摘した。そして2014年からはホテルの婚礼部門をゲストハウス会社が運営する状況だという。
晄さんは婚礼届け出組数の推移について、少子化の影響を受けて2008年に全国で約72万組あったのが、2016年には約62万組にまで減ったと指摘した。首都圏でも約22万組から約19万組に減ったという。ただ、ブライダル会場は代官山駅から0・5キロ軒内に28軒、1・0キロ圏内に51軒、1・5キロ圏内に79軒あることから、「ブランドイメージはあるから、件数が増えているけど、多すぎやしませんか?」と問い掛けた。
「新郎新婦は、教会と他のレストランとなると二つ手配しなければならないが、教会と披露宴会場なら一つで済む。教会と披露宴の要素は違っているので、両者の意義をきちんと分けると、意外とうまくマッチングするのではないか」と晄さんは述べ、教会での挙式で神様に誓いを立て、その地下に披露宴をする場所があればそこでパーティーをすることを提案した。
晄さんは経営学者ピーター・ドラッカーの「(事業の目的とは)顧客の創造である」という言葉に言及し、「今あるものをより良くするのか、今あるものを捨てて新しいものを創り出すのか」と問い掛けた。そして「N+1理論」として、「今あるものに全く違うものを足して新しい価値を創り出す」ことを教会に提案した。
最後に晄さんは、「プランドゥーシーが代官山でお手伝いするとすれば、やはり朝倉邸で何かできるといいなあと思っている」と語った。また、「本多記念教会に対して何かできるとすれば、『教会+1』の何かの価値を創るようなアイデアが提案できるのではないか」と述べ、スライドに「新しいアイデアのウェディング」と記して発題を結んだ。
続いてあいさつをした代官山商店会会長の矢野恒之さんは、「今回、伊藤牧師さんと森下さんから連絡がありまして、初めて教会というところとつながりができたのですが、商店会と教会では何ができるのだろうか?果たして教会は商店会の中で何を売るんだろうか?と考えていました。私たちには商店の中でも毎日のようにいい面と悪い面、いろんな問題があります。クレーム、いろんなお金の問題、人材の問題、それから近所とのトラブル、それらは全部私のところに来ます。でもそういう悩みを解決する所はありませんでした」と語った。
その上で矢野さんは、「今回の伊藤牧師さんのお話ですごく僕が助かったのは、そういう悩みの受け皿ができたなということ。そういうふうにつながっていけたらと思いまして、今後は商店会も伊藤牧師さん、森下ご夫妻に協力しながら、お互いに街を良くしていきたいと思います」と話した。
休憩後に行われたセッション2でのフリートークで、伊藤牧師が他の登壇者に対し、イノベーションをやって「これは面白いぞ」と思わせる感覚やものの見方に関する動機付けについての提案を求めて質問した。
これに対し、晄さんは「『もし自分がお客様だったらこういうシーンだったらうれしいよね』『もしここを自分の家族と過ごすならこういうのがいいよね』といったシーンの総和が結果的にコンセプトになる。非常にバラエティーに富んだお客様がお越しになることになるし、(コンセプトとシーンの間を)行ったり来たりしながらやっていくのがわれわれの面白さの感覚の成功パターンで、私たちはそれが得意です」などと答えた。
また、森田さんは「自分がいかに主体的に何を持ち寄れるかを考えていて、自分が持ち寄ってくることで自主性を促すことによって、好きなことや得意なことを伸ばして関わり、心地よく働ける。本当に頑張っている人を応援することがしいては自分の価値や喜びにもなり、そこに主体的に関わることが新しい価値を創るイノベーションになる。あらためて自分が取り込むことの勇気とか、取り込みながら誰かに『お願い、助けて』ということを言えるようになることが共創であり、イノベーションだと思います」と述べた。
一方、森山さんは「違和感が発見につながっていくと思っている。よく街づくりに必要な要素で、違和感は世代の違いかよそ者なのかというところで生まれやすい。その『よそ者性』をどのように発揮して新しいものを生み出すかというところが普段やっていることだと思う」と語った。
伊藤牧師はまた、「代官山という街は女性の街だという印象を受けている。イノベーションを単純に男性・女性と分けるのは危険だと思いつつも、直感的なもので飛び込んでいく女性的なものとイノベーションは何か重なっているように感じている。その中で代官山という街が女性的であれば、もっとイノベーションというものの可能性を秘めているのか?」と問い掛けた。
これに対し、森山さんは、「直感的であるとか右脳的であるとか女性的であるとかいうのは、街のキャラクターとしてはとてもいいと思う。クリスチャン的にいうならば聖霊的であるというか、そういう部分を街の特徴として捉える部分は大事だと思う」と語った。
「ただ、今までこうだと思われていたものをほぐして、思い込みを捨てて考え直してみるということも、イノベーションを生み出す必要な要素になってくると思う」と森山さんは続けた。そして、「まずはやってみようということが女性にはできる。今回の鼎談自体もチャレンジングですよね。そのチャレンジが生まれている街が、きっとその街が元気であるということだと思っている。お店がどんどんできるということは、それだけの数のチャレンジがあるということ。田舎に元気がないというのはそのチャレンジがすごく少ないから。そういうチャレンジを生み出すための仕掛けを、田舎だけどやろうとしているのが、うちの会社が今一番力を入れていることなので、その時の教会と街との関係が生まれてくれば面白いのかなと思う」と森山さんは答えた。
また、森田さんは、「女性ってけっこう行動的で、アクションを起こしやすいところがあるが、やはり持続的なものは難しいなと思うところがあるので、そこをどうしていくかを考えると、まずは社会課題を解決するアクションの次に、新しい手法を持ってくること。次は変え方を変える。無理なものは休んで俯瞰(ふかん)することも大事。また次に何かをやるときは、その先を考えたものを何かやる。その先の先ぐらいまでの展開を読めれば、だいぶ事業が安定して、課題解決から次に何かを生み出すというところを実感できるようになると最近感じています」と語った。
続いて晄さんは、「女性は強いですね」と語りつつ、「女性が惹き付けられるものがこの街にはある。魅力が(男性と女性の)どちらにとって魅力があるかという点で考えていただいたほうがいいと思いました」などと答え、プランドゥーシーの職場における男性と女性の役割について付け加えた。
その後、司会者でジャズ・ピアニストでもある森下さんが第一問として「ここが変だよ代官山」という質問を登壇者に出した。登壇者が回答用紙に記入している間に、森下さんがピアノでジャズのスタンダード・ナンバーである「A列車で行こう」を演奏すると、参加者から拍手が湧いた。
そして伊藤牧師は回答用紙に「お金がついていけません」、晄さんは「代官山はどこからどこまでですか?」、森田さんは「良くも悪くも、他人のことに興味がない」、そして森山さんは「男祭りがない 教会に男性多い」と記した。
次に第二問として「代官山の教会に望むこと」が司会者から出された。登壇者が回答用紙に記入している間に、もう1人のジャズ・ピアニストでクリスチャンの出口誠さんがピアノでアントニオ・カルロス・ジョビンの作曲によるボサノバの名曲「イパネマの娘」を演奏すると、再び参加者が喜んで拍手した。
この質問に対し、森山さんは回答用紙に「代官山のために祈ってください そして変わらぬ愛のメッセージを」、森田さんは「イノベーションのプラットホーム 創発的・創造的」、晄さんは「教会+ワインバー、ブランジェリー、something」、伊藤牧師は「ここの空気は気持ちいい」とそれぞれ記した。
伊藤牧師はワインバーやブランジェリー(パン屋)について、「教会の中では全部タブーなのですが、今までタブーだといわれていたものに足を踏み出していかないと、イノベーションもサバイバルも救いもないというのが、私の感想です」と付け加えた。
森下さんは終わりにシンポジウムのまとめを「瞬間が永遠になる街 異空間・代官山」と表現。「瞬間が永遠になるというのは、瞬間がないという意味にはならないということなんですね」と説明した。そして、「その瞬間のまさにどこかの点でどこかのスポットで起きないと、それがつながるストーリーに発展しない。瞬間が散発していてもそれもストーリーにならない。代官山に来るとその瞬間が永遠なものに変えられる、そういう雰囲気、エートスを持った街で、これからもっともっと、街づくりに対して皆様と本多記念教会が一緒に取り組みながら歩んでいきたい」と森下さんは結んだ。
森下さんはセッション2で、「この代官山鼎談をゆるく長く続けて、いろいろなテーマを扱ってみたいと思います。子育てのこと、福祉のこと、防災のこと、それからビジネスのこと、お金のこと、ジェンダーのこと、いろいろあると思います。そのうちカルチャー(文化)というテーマで音楽家にもいっぱい登場してもらって、演奏付きの楽しいシンポジウムにしたいと思っています」と語った。
その後、伊藤牧師が閉会祈祷で、このシンポジウムで「豊かな時間が与えられた」ことを神に感謝した。同牧師はまた、他の3人の登壇者と家族、そして社会の上に神の導きがあるようにと祈るとともに、日本と世界の希望と神の励ましと参加者の祝福など求めつつ、神の守りのうちに新しい一週間が始められるようにと祈り求めた。
シンポジウムの終了後、伊藤牧師は本紙の質問に答え、「教会は街を怖がらなくていいんだということが分かって、とても安心しました。教会は期待されているということが分かりましたし、街も教会も境界線なく歩んでいければ何か生まれるんじゃないかという希望が持てました」と感想を語った。
伊藤牧師はまた、「今回の鼎談では『教会の変えるべきところ』を確認するというのも一つの目的ではありました。しかし、それと同時に、『守るべきもの』『思い出すべきもの』『磨き続けるもの』も確認したいとの思いもありました」と伝えた。
「最後に、私が『町も、教会も同じところがあるのではないか。ここに来たら空気が違う。(ディズニーランドのように)それは代官山に限ったことではなく、どの町でも、どの教会でも、そこならではの空気がある。それが、気持ちいいものであるためにはどうしたらいいのか。それが、街づくり、教会形成なのではないか』などと言ったのはそういう意味合いからです」と伊藤牧師は述べた。
「『変えるもの』『守るもの』、この二つを見極める。それが、鼎談の一つのテーマにもなっています」と伊藤牧師は付け加えた。
森下さんは、シンポジウムの終了後、本紙に対し、本多記念教会について、今の段階では「教会は街のお役に立っていない」が、これからこの鼎談を続けて行く中で役に立つ方向を、新会堂建築計画と並行して模索していくと語った。また、「多くの方に礼拝に参加してほしい。そのためには、教会には神様に喜ばれる礼拝を守り続け、また刷新し続けるということが課せられている、ということを常に忘れてはならないと考えている」と話した。
伊藤牧師によると、この教会の新会堂建築計画には、高齢者や障がい者のための障壁を取り除くこと(バリアフリー)が盛り込まれている一方で、同教会員は60代以上の高齢者が多く、この地域から遠くへ移り住んだ人たちも少なくないという。
ある教会員は本紙に対し、「やっぱり若い人たちに来てほしい」と語った。
森下さんと伊藤牧師、および本多記念教会員一同は、5月16日付の手紙を本紙に送付してきた。その手紙で森下さんらは、「この度本多記念教会は築50年を超えた教会堂の老朽化に伴い、新築計画を実施中でありますが、新しい教会堂が献堂された折には、地域とふかく関わり、地域に開かれた教会、地域に貢献できる教会でありたい、との想いが与えられました」と、このシンポジウムを開催する背景を説明している。
「しかし、50年間なかなか地域との深いかかわりを持つには至らなかった背景には、日本の教会に特有である、礼拝を中心あるいは頂点とする教会員相互の交わりからなかなか外に目を向けることができず、また想いはあってもどのようにしてよいかわからなかった、という現実があります」
「ですから、今回よりこの代官山鼎談というシンポジウムの開催により、広く地域内外で様々な活動や生活を行っている方々の様子を学ばせていただき、さらには、教会に対する街のコミュニティーからのニードや要望、意見を幅広くお聞かせいただき、街の歩みとともに成長できる教会を目指していきたいという、考えであります」と、森下さんらはこの手紙で述べていた。
また、「代官山は、渋谷区の中でも現在とても発展が進んでおりますが、そこに至るまでには様々な歴史があるのも事実であり、一朝一夕のことではありません。また現在成長中の代官山に意を決して出店された中小規模の店舗の経営者の方々も、毎日の売上のことで追われており、実際は入れ替えが激しく、根を張るところにまで至るのは、なかなか難しいという現実もあります。急速な発展の故に、まだまだ教育、子育てや福祉、防災、国際交流、等々で多くの課題もあるのも現実であります」と説明している。
さらに、「全国の諸教会の中では、地域の過疎化や人口減などに伴い、地域との関わりが途絶えてしまって、事実上教会は地域の中で孤立している、といった状態にある教会も多数あると考えられます」と、他の教会の現状にも言及していた。
その上で、「私たちは、代官山での街と教会のことを考えながらも、応用編として、地方の教会とコミュニティーとの関わり方の問題も視野に入れております。伝道のわざが進められるために、この地域と教会の関係性を考えていく、シンポジウムへのご参加をお願いすべく、この筆をとらせていただきました」と付け加えていた。