日本クリスチャンアカデミー関東活動センターと早稲田奉仕園の共催企画「これでいのか日本のキリスト教」が12日、日本基督教団早稲田教会(東京都新宿区)で行われた。日本基督教団東北教区被災者支援センター「エマオ」の専従者として活動する佐藤真史氏が講師として招かれ、東日本大震災の「いま」から見えてくる日本のキリスト教会への問い掛けを分かち合った。
この企画は今回が初めての開催。日本の教会では、「若者が来ない」「いつまでたっても日本のキリスト教人口は1%の枠を超えられない」といった声をよく耳にするが、日本の社会には世界と関わる若者たちが多く存在する。そうした現実に目を向け、「教会に何が足りないのか」を率直に聞くための場として開かれた。
2011年7月から、被災者支援センター「エマオ」でコーディネーターとして働く佐藤氏はこの日、被災者、被災者支援、原発事故による放射能汚染について、「いま」どういう状況にあるのかを共有することから話を始めた。
エマオのスタッフ、ワーカーが毎日通っている仙台市と石巻市の仮設住宅では、次々と入居者が災害公営住宅に移転したり、区画整理区域に建てた新しい家に転居したりし、震災後に形成されたコミュニティーの解体が進んでいる。仮設住宅から若い人たちが次々と出て行き、独居者の高齢化率が高まり、いまだ行き先の見通しが立たない人たちの心の負担は増す一方だ。仮設住宅を出た先でも、課題は尽きない。公営住宅は、プライバシーに配慮し壁が厚く造られているが、それがかえって近隣住民に気付かれないままの高齢者の孤独死を発生させているという。玄関の鍵を閉めなくてもよい文化の中で生きてきた人たちが、都市化された生活で覚えるストレスは計り知れないものがある。
エマオが被災者支援活動の中で大切にしているのは、「祈り」と「スローワーク」だ。「スローワーク」は、「出会い」という言葉に置き換えることができると、佐藤氏は話す。エマオは、被災農家の作業を手伝う活動も行っているが、速さ・効率を重視するのではなく、人々とのコミュニケーションを大切にしている。祈ることから始め、ゆっくりと、確実に関係を築いていくことで生まれる出会いが、そこにはある。エマオには、これまでに7千人以上の若者がワーカーとして働きに来たというが、繰り返しやって来るリピーターが多いのは、この「出会い」を体験したからでは、と佐藤氏は話す。
今年5月に亡くなった神学者、栗林輝夫氏が、著書『荊冠の神学―被差別部落解放とキリスト教』の中で、「信仰的プラクシス(実践)」について、「差別の現場に参与するなかで信仰を考え、信仰を考えるプロセスのなかでまた差別を克服するという、統合的な円環である」と記した箇所を引用。エマオにおける「祈り」と「出会い」の繰り返しが、まさに信仰の実践の統合的な円環ではないか、と語った。
このことから、「なぜ若者が、特に日本基督教団の教会に来ないのか」という問いを考える佐藤氏は、「『出会い』という双方向の関係性を教会は提供できているだろうか」と問い掛ける。そして、「教会に対する問い掛けがなされ、深められ、答えが与えられていく循環の中にこそ、運動体としての教会にこそ、若者は集まってくる」と語った。
エマオに何度か足を運んだことがあるという参加者からは、「震災への関心が薄れ、被災地全体でボランティアの数が減っている中で、エマオがリピーターを絶やさないために意識して工夫していることは何か」という質問も出た。佐藤氏は、主体性を育てることを大切にしていると答え、夏期休暇中に多く訪れる学生たちに対する取り組みを紹介した。「特に、発言の場や活躍の場が与えられた学生たちは、一歩踏み込んできてくれる感触を感じられる」と言い、「教会には、若者たちが活躍する場をいかに作っていくことができるかが求められているのではないか」と話した。
主催者は最後に、「被災地での具体的なエピソードを通して、『教会はこれでいいのか』という問いについて考えることができた。一番の問題は、若い人たちの働きが全体に共有されていないことではないか。問題意識を持って、継続して講座を開催していくつもりだ」とまとめた。
次回の講座は、全国34大学で活動する日本YMCA同盟の学生専従スタッフ、森小百合さんを講師に、11月7日(土)午後2時〜4時半に早稲田教会で開催される。参加費1000円(学生500円)。事前申し込み不要。問い合わせは、日本クリスチャンアカデミー関東活動センター(メール:[email protected])まで。