「第54回首都圏イースターのつどい」(同実行委員会主催)が10日、東京都新宿区のウェスレアン・ホーリネス教団淀橋教会で開かれた。元カネボウ薬品会長の三谷康人氏が信仰の体験談を語り、キリストの栄光教会牧師の川端光生氏がヨハネによる福音書5章1~14節から「喜ばれる人生の回復」と題してメッセージを取り次いだ。
同実行委員長の高木康俊氏(蓮根バプテスト教会牧師)が開会あいさつを述べ、祈祷をささげた後、この集会では定番となっている救世軍ジャパン・スタッフ・バンドによる演奏、続けて連合聖歌隊が「ハレルヤ・コーラス」を高らかに賛美した。
三谷氏は1952年、鐘紡(後のカネボウ)に入社し、現役時代、3回の降格と左遷を経験した後、カネボウ薬品の会長となり、その間に売上高10億円から400億円を超える企業に育て上げた。
33歳でクリスチャンに。その時から「価値観ががらりと変わり、立身出世ではなく、神に喜ばれる生き方をしたいと思うようになった」という。クリスチャンになって特に良かったのは、「どんな時も平安でいられること」「困難な時も力を与えられること」だと話した。
日本のサラリーマン社会では常識となっている「慣行」に流されなかった三谷氏。幾度も「冷や飯」を食わされることになるが、不思議なことに心は常に平安だったという。ある時、上司の言うことに従えば昇進、従わなければ左遷という究極の選択を迫られたことがあった。「主よ、この問題を全てあなたに委ねます」と祈り通し、最後には左遷の道を選んだ。周りからは驚きと同情の声が上がったが、この時も「神が愛のうちに平安を与えてくださった」と話した。
また、売り上げが低迷する中、50歳で初めて薬局向け営業の最高責任者を任されたときも、「主にあって勝利する」と確信し、毎朝6時から7時まで妻と共に、会社の社長、同僚、上司、部下の名前を挙げて祈った。その中で三つの聖書の言葉、「死の影の谷を行くときも わたしは災いを恐れない。あなたがわたしと共にいてくださる」(詩編23:4)、「主に依り頼み、その偉大な力によって強くなりなさい」(エフェソ6:10)、「神は、おくびょうの霊ではなく、力と愛と思慮分別の霊をわたしたちにくださったのです」(Ⅱテモテ1:7)が与えられたという。
三谷氏は、「気付いたときにはカネボウ薬品の会長になり、さらに鐘紡のナンバー2としての筆頭専務になっていた」と話し、「これは全て主に委ね切った結果だ」と強調した。その上で、「委ね切ること、信じ切ること、ささげ切ること。主に信頼を寄せるとき、主は共にいてくださる」と力を込めた。
最後に三谷氏は、「苦難は忍耐を、忍耐は練達を、練達は希望を生む」(ローマ5:3、4)を引用し、「私たちに希望と力を与える主に心から感謝します。全ての栄光は主に帰します。アーメン」と結んだ。
川端氏は、イエスが十字架にかかり、復活したことにより、憎しみが愛に、死が命に、呪いが祝福に変わったと説き、ベトザタの池で38年間横たわっていた男がイエスに出会い、的外れな人生が方向転換された話を取り上げた。
川端氏は、この男が抱える最も大きな問題は、体が不自由なことではなく、38年間迷信に寄りすがっていたことで、最も不幸だったのは、彼が何の役にも立たずに人生を過ごしていたことだと話した。「神様は、そのままで終わらせるようなことはなさらない。神様は人間を、ご自身のご用に役立てるためにおつくりになった」と伝えた。
また、イエスがこの男に語った三つのことを強調した。一つ目は、「良くなりたいか」、二つ目は「起き上がりなさい。床を担いで歩きなさい」、三つ目は、「もう、罪を犯してはいけない」だ。川端氏は、「これら三つの言葉にどう応答するかで、皆さんのゴールが決定する」と述べた。
「男に語った三つのことを私たち一人一人に語り掛けていると受け取っていただきたい」と述べ、「イエス様に顔を向ければ、良くなるようにしてくださいます。起き上がり、歩けるようになれるかは私たち次第です。人に役立つ生き方をすることで、人を幸せにする力を与えられます」と続けた。
そして、「人間は、人から何かをしてもらって幸福になれるようにはできていない。人を幸せにして初めて、自分も幸せになれるようにできている」と話し、「神様は、ご自身の栄光のために私たちを用いたい、生かしたいと思っている。神様に喜ばれ、人に感謝される、そういう喜びを味わってほしい」と力を込めた。
最後には、川端氏の招きに応じ、イエス・キリストを受け入れる、信仰を新たにすると決心した多くの人々がステージ前に進み出た。川端氏は「ここに集まった一人一人のために、豊かに祝福を下さるように。与えられた決心をイエス様がどうか導いてくださるように」と祈った。
集会では、「ゴスペル王子」ことゴスペルシンガーのジョン・ルーカスがステージを披露した。牧師を父に持つルーカスは、仙台を中心に活躍し、東日本大震災後は被災者を励ますためのCDも制作している。この日も、力強いゴスペルの歌声が、会衆の手拍子と共に会堂に響き渡った。
以前にもこの集会に参加したことがあるというクリスチャンの女性は、「今年もとても素晴らしい集会だった」と感想を話した。
首都圏イースターのつどいは、放送伝道を行っている太平洋放送協会(PBA)が、ラジオ聴取者の決心の場として開催したのがその始まり。1963年に新宿・伊勢丹デパート屋上で初めて開催され、「連合イースターのつどい」「都民イースターのつどい」「東京イースターのつどい」と名称を変えつつ、現在の「首都圏イースターのつどい」として半世紀以上にわたって続いている。