パキスタン北部の都市、ラホールで復活祭の日に爆弾テロが起きてから1週間を経て、一致した連帯の行為と、この襲撃の犠牲者たちに対する同情を示そうと、約200人のキリスト教徒やイスラム教徒、そしてヒンズー教徒が3日、先週の恐ろしい復活日の爆弾による襲撃の現場に集まった。アングリカン・コミュニオン・ニュース・サービス(ACNS)が4日、報じた。
この襲撃による死亡者数は1日に76人にまで上り、パキスタンの当局者たちは、この襲撃で負傷した人たちの一部は生き残れなかったと語った。300人を超える人たちがけがをし、数十人が今もなお病院で治療を受けているとみられている。これらのうちの一部は深刻な状態だ。
グルシャン・イ・イクバル公園で週末に行われた集会は、先週の爆発が起きた同時刻の午後5時40分に、平和的なデモで始まった。
ろうそくが灯され、パキスタン教会の議長、サミュエル・アザリア主教を含めた、キリスト教やイスラム教、そしてヒンズー教の指導者たちが、協力して犠牲者たちとその遺族のために祈った。
出席した約200人の中には、米国聖公会のルイジアナ教区やスコットランド長老教会の代表者たちもいた。パキスタン教会は合同教会である。アングリカン・コミュニオン(全世界聖公会)の管区であることに加えて、それは改革教会世界共同体と世界メソジスト協議会の加盟教会でもある。
タリバンの分派であるジャマートゥル・アフラルがこの自爆テロについて犯行声明を出し、この襲撃の標的は復活祭を祝うキリスト教徒だと述べた。しかし、グルシャン・イ・イクバル公園にある女性と子どもたちの区域への入り口付近で起きたこの自爆テロによる犠牲者は、キリスト教徒よりもイスラム教徒のほうがずっと多かった。
ジャスティン・ウェルビー・カンタベリー大主教は、英国のフィナンシャル・タイムス紙のコラムでこの襲撃について記した。
「ラホールは私もよく知っている場所です」と、ウェルビー大主教は記した。「2年前に、私はこの都市を訪問し、キリスト教の指導者たちと会って、彼らと共に祈りました。私は体験談を聞いて深く苦悩しました。パキスタンのキリスト教徒たちが強烈な圧力の下にあり、礼拝することを恐れ、自らの命のために恐れてさえいると実感しました。先週の日曜日の殺人行為はその感情を払いのけるものではありません」
「パキスタンは自らとの平和とその少数者たちとの平和のうちにある国という展望をもってつくられました。実際、その国旗の白は同国内の少数者たちの場を表しています。少数者たちの安全と繁栄は建国の原理でした。この建国の展望は今や重大な脅威の下にあるのです」と同大主教は述べた。
「今週に私が話し掛けた友人は、日々脅しや圧力を受けて暮らしているのですが、礼儀正しく聴いてくれました。彼は、犠牲者たちに対する私の悲しみの言葉や、このような恐ろしい残虐行為に対する非難の言葉に感謝してくれました。しかし、それから彼はこう言ったのです。『ジャスティン大主教、非難だけでは十分ではありません。私たちはより良いものに向けて非難を超えていかなければならないのです』」
「非難を超えて? それは一体どういう意味でしょう?」
同大主教は、指導者たちにとって「世界中のキリスト教徒や他の少数者たちに対する迫害を明確に非難する」ことが重要である一方で、「具体的な行動を起こすこと」も「極めて重要だ」と続けて説明した。国家は、人々が自由に自らの宗教を信奉することを確実にしなければならないし、いかなる国も「偶然であれ意図的であれ、宗教的な信仰を理由とした誰に対する迫害も支持」しないよう確実にするために、外交による圧力をかけなければならないと述べた。
これは政治指導者たちだけの務めではないと同大主教は語り、自らのような宗教指導者たちは「もっと改善の努力をして」、お互いの対話とコミュニケーションを通じて模範を示し、お互いに責任を負う備えをしなければならないと論じた。
「これには、どんなに善意であれ、決まり文句ではなく、宗教指導者たち同士の正直で強靭(きょうじん)な関係が必要です。このような関係には、少数者たちを守るために積極的にお互いを励まし合い、違いを利用しようとする人たちに挑戦しようとすることが伴います」と、同大主教は述べた。
2日には、パンジャブ州のシャバズ・シャリフ州首相が、この襲撃に対応した多くの警察官や救助隊員および医療職員たちをたたえるために歓迎会を開き、彼らの「高貴な模範」によって彼らは多くの命を救い、「この国の英雄たち」になったと語った。