日本聖書協会(東京都中央区)は11日、一般読者に向けた新翻訳事業の報告と意見交換を目的とした聖書事業懇談会を、「どんな翻訳になるのですか? ―新しい聖書の特徴―」と題して、メルパルク横浜(横浜市中区)で開催した。新翻訳事業翻訳者兼編集委員の一人である浦野洋司氏(カリタス女子短期大学言語文化学科教授)が、「文化を超えて聖書の行間(神のマイナンバー制度)」という題で翻訳作業を取り巻く幾つかの側面について講演し、「聖書には神から私たち一人一人への素晴らしいメッセージがある」と話した。会場には50人以上の参加者が集まり、新翻訳事業に関するさまざまな質問や意見が出された。
同協会の大宮溥理事長が開会の言葉を述べ、開会に当たって「カトリック、プロテスタント、それぞれに定着している聖書訳があるが、新翻訳事業においては、聖書をキリスト教会全体が聞くべき神の言葉として受け止めている。神の言葉が今後さらに日本の人々の霊的成長、心の糧となるように、人々に受け入れられる深い響きを持った翻訳を目指して作業が進められている」とあいさつした。
同協会翻訳部による概況報告によると、新翻訳事業(=新共同訳の改訂ではなく新訳、翻訳名は現在未定)は、翻訳者委員会の作業は2016年中に終了し、訳文原稿の完成率が100パーセントに達する予定だという。すでに完成した巻の原稿は、次々と最終段階の編集委員会へと送られ、朗読チェックなどの各工程を経て、パイロット版として販売されている。パイロット版は、広く一般読者からの意見を取り入れることを目的としているため、積極的なフィードバックが呼び掛けられている。
浦野氏は、まず講演題に含まれる「マイナンバー制度」という言葉が一部の人に誤解を与えたかもしれないと、「政治的な意味合いは全くない」と詫びた。翻訳者としてだけでなく読者の視点をも取り込んだ四つの側面を示し、翻訳作業を通して見えてくる「翻訳を超えた次元にある聖書」について語った。
まず一つ目は、いかに読者が習慣や固定概念に捉われて聖書を読んでいるか、ということだ。パウロがイエス・キリストの声を聞き回心する場面は、数多くの西洋画のモチーフになっているが、その大半が「馬から落ちるパウロ」を描いている。実際に使徒言行録9:3~8を開くと、そこには「馬」という言葉は一切登場せず、人々は目が見えなくなったパウロの手を引いてダマスカスに連れて行ったと記されている。何かおかしいな、と感じている読者はいるかもしれないが、固定概念から抜け出すのは難しく、ほとんどの読者は「見ていても見えない」「慣れているから見ない」、そういった慣習的な聖書の読み方をしているのではないか、と浦野氏は問う。
二つ目は、聖書は狭い部族社会から広い普遍社会の文化へ、と読者層を広げてきた歴史があるということだ。特に、旧約聖書に描かれるのは、ユダヤ人という小部族の特殊な文化だ。ハバクク書2:16にある「隠し所を見られる」という言葉は、ヘブライ語では「無割礼があらわになる」という意味であるが、割礼という特殊文化を持たない文化の言語では「眠ってしまう」「よろめく」などとも訳されてきた。セム語学者の村岡崇光氏は、「翻訳は文化の違いを超えて意味を伝達する作業であり、言語の移行ではなく解釈だ」と論じているが、ある小さな部族の文化を背景に持つ聖書が、世界中の言語に翻訳されてきた過程の中には、それによって獲得してきたもの、そして失ってきたものがある、と浦野氏は指摘する。
三つ目は、浦野氏自身が翻訳作業で遭遇した幾つかの事例だ。特に浦野氏が新翻訳聖書で「よくできた訳」と振り返るのは、音韻の再現に関わる一文だ。原語の持つ意味だけでなく、朗読されて初めてその響きの中に表れる言葉の美しさを、翻訳を通して再現するのは非常に難しい。ナホム書2:11もその一例だ。ニネベが水で滅びていく場面を、ヘブライ語の「ブカー、ウメブカー、ウメブラカー」という三つの単語を用いて、「ブカ、ブク」という韻によって効果的に表現している。新共同訳では「破壊、荒廃、滅亡」と訳されていたが、新翻訳では「空虚、虚無、廃墟」「破壊、崩壊、壊滅」と訳され、原語と同じように日本語でも韻の再現を実現させたという。
これまでの三つの側面のまとめとして、四つ目に浦野氏が提示したのは、大切なことは聖書のテキストには書かれていないかもしれない、ということだ。全福音書に描かれるイエス・キリストのパンの奇跡がある。マタイによる福音書14:19~20には、イエスがパンを祝福し、裂いて弟子たちに与え、弟子たちがそれを群衆に与え、5千人が満腹したと記されているが、どのようにパンが増えたのかという記述はなされていない。ある一瞬に突然大量のパンが現れたのか、徐々に気付かないうちに増えていったのであろうか。聖書のテキストは、詳細が書かれておらず、そのまま理解しようとすると矛盾が生じてしまうことがある。
原語に忠実であるべきか、それとも意味を補って意訳し矛盾を軽減させるかが翻訳における課題となってきたが、新翻訳では矛盾はそのままにするという方向性が選択された。ルカによる福音書7:38もそうだ。これまでの「後ろからイエスの足もとに近寄り、泣きながらその足を涙でぬらし」という訳が、「イエスの背後に立ち、イエスの足もとで泣きながら」と原語そのままに訳されることとなった。当時は横になりながら食事をしていたという現実を踏まえたとしても、背後に立つ、足もとで泣くという行為が同時に行われるというのを具体的にイメージするのは難しい。
矛盾があるというのはつまり、聖書にはテキストに表れる部分だけでなく、闇に包まれた不思議な空白・余白部分が存在するということだ。原語の語句の持つ意味、聖書作家の伝えたかったイメージの正確な翻訳は、言語学や文学研究の積み重ねに頼る部分であるが、神がその時に読者である一人一人に伝えたい、まさに神のマイナンバー制度ともいえるメッセージは、翻訳の及ばない行間にあるのではないか、と浦野氏は語る。そうであるからこそ、新翻訳事業のためにはもちろん、完成する聖書を読む将来の人々のため、何より聖書を読む自分自身のために祈りを積み上げてほしい、と呼び掛けた。
新翻訳事業に対して、会場から寄せられた意見と、渡部信総主事の回答は以下の通り。
―もっとTVなどのメディアを活用してアピールするべきでは? 一般信徒にあまり知られていないので、広報に力を入れてほしい。
キリスト教のマスメディアが存在しない。映像メディアであればCGNTVを活用しているが、主に福音派の教会を対象にしているので、新改訳聖書が用いられている。新翻訳事業を支援してくれる団体が出るよう、引き続き祈っていきたい。同協会では、日本全国のキリスト教会、団体、約1万6千件にメールや情報誌を送り情報を発信しているが、教職止まりで信徒までの浸透はまだまだであると感じている。積極的にホームページを見てもらい、情報を確認してほしい。
―昭和前期に、列王記と箴言以外は文語訳の改訂版の翻訳が完了しているそうだが、その出版の予定はあるか。
確かに、戦争を機に出版が実現しなかったのだが、残されていた原稿をもとに、口語訳の翻訳がなされたと聞いている。一度も出版されなかった文語訳改訂版のDNAは、現在まで受け継がれている。
―文は人なり、というので、翻訳者の思いを知って新しい聖書への関心を高めたい。翻訳者の書籍の紹介、翻訳者の思いが記された機関紙の発行など、機会を設けてほしい。
委員会訳の特徴は、全員で一致をして翻訳することにある。最初の原稿は、原語担当と日本語担当による数人のチームで行われるが、その後、翻訳者の手を離れて編集委員会で検討され、外部モニター、一般読者の意見が取り入れられていき、最後には最初の原稿がそのまま残るということはない。同協会としては、誰がその部分を訳したか表記することもしない。神から預かった書物であるので、委員会訳として理解してもらいたい。
―どういう言語から訳しているのか。
聖書協会では、ドイツのシュトゥットガルトにあるギリシャ語とヘブライ語聖書を制定している機関が発行している底本を使用している。これは、聖書協会世界連盟(UBS)が認定しており、世界中の聖書学者が認めた唯一の権威ある版である。ギリシャ語はネストレ・アーラント第28版と本文が同じUBS第5版であり、ヘブライ語は第5版の一部が発行されているので、それを使用している。
―新しい翻訳では、「洗礼」の読みはどうなるか。
新共同訳にならって、「バプテスマ」とルビを振り、両方の読みができるようにしている。
―神を「アバ、父よ」と呼ぶことができるならば、ドイツ語などの他言語のように、もっと身近に神を感じられるように「あなた」を「おまえ」と訳すべきではないか。
議論になったが、暗唱するうえでやはり「おまえ」はいかがなものか、ということになった。例外を除き、「あなた」「あなたがた」を用いている。なるべく代名詞を省くようにしているので、文字数が減り、非常に簡略で読みやすい文になっていると思う。
―優しい初心者用の聖書と、教会用の聖書と2種類あると良いのでは。
新翻訳事業を始めるに当たり、各教派の代表が集まって翻訳方針を決めた際に検討された。2種類の翻訳を並行するのは難しいとのことで、まずは教会用の聖書翻訳に取り組むことに決めた。海外ではB版という若者向けの聖書が盛んに翻訳されているが、日本においてもこの事業が終わった後の新しい課題としたいと考えている。
―聖書の中の、引用文「 」の終わりの句点はいらないのでは。
句点をつける、つけないの二通りがあり、新聞、雑誌、政府刊行物を調べると半々という結果になった。どちらが良いかは議論している最中。ぜひ、一般読者からも意見を寄せてほしい。
―非キリスト教社会の日本に浸透するような、美しく簡潔な文体の訳になることを期待する。
新翻訳事業では、これまでの翻訳では数人の日本語担当でチェックをしていたところを、なんと翻訳の最初の段階から原語担当と日本語担当が相談するという画期的なシステムで作業を進めてきた。この点に関しては期待してほしい。
―音読して覚えやすい文にしてほしい。
朗読チェックというのが行われている。「肢体」「死体」など、朗読だけでは誤って理解してしまう異口同音の語句は、文の流れから意味を推察できるように確認している。耳に聞いて、礼拝で読まれても理解できるようになっている。
―長年、日本人の心に染み込んできた聖書の表現をみだりに変えないでほしい。
特に、地名、人名は踏襲している。コヘレトの言葉、使徒言行録など、書名も問題になっているが、最終的には各教派の代表者で議論し決定したい。
―大和言葉を使ってほしい。
詩文体では「獅子」、散文体では「ライオン」など、文体によって注意して言葉を選定している。同じものを指すにしても、使い分けをしている。
―イエス・キリストの言葉が赤字になっている聖書、老眼でも読みやすい文字の大きい聖書は出版されないのか。
赤字の聖書は出版したが、期待に反して在庫がたくさん残っているので、ぜひ購入してほしい。これまでの聖書はフィルムで版が作られていたため、拡大・縮小しかできなかったが、新翻訳事業ではデジタルで版を作成するので、どんなフォントでもどんなサイズにもすることができる。
―解説の付いた聖書も欲しい。
解説付きの聖書としては、スタディバイブルをすでに出版したが、教派によって理解が違う部分があってはいけないので注意を払い、原文・言語に対する批評は掲載したが、釈義に対する解説を掲載するのは難しい。新翻訳事業では、なるべくテキストに対する注を多く入れるようにし、一つのギリシャ語の複数の理解を掲載するなどしている。
―日本では、外典(アポクリファ)は必要ないのか。
日本では、カトリック、聖公会の教会が第二正典を使用する。旧約聖書続編付きの聖書がすでに販売されているので、そちらを購入してほしい。
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同協会は聖書普及の働きの今を報告し、聖書を用いるさまざまな立場からの意見を聞き、今後の活動に生かすべく、毎年春に「聖書事業懇談会」を開催している。2016年は、3月の名古屋、横浜に続いて、4月に仙台、7月に金沢で行われる。現在進められている新翻訳事業の翻訳、編集委員から講師を招き、講演を通して新しい翻訳が従来の邦訳とどう違うかを知ってもらう機会とする。新翻訳事業や懇談会の詳細は、同協会のホームページ。