日本聖書協会は4日、「どんな翻訳になるのですか? ―新しい聖書の特徴―」と題して、新翻訳事業の経過報告と情報交換のための懇談会を名古屋市で開催し、約80人が参加した。
まず同協会の大宮溥理事長が開会の言葉を述べ、翻訳者委員会による新翻訳の原稿は2015年12月の時点で61・2パーセントまで進み、2016年末には100パーセントを目指していることを報告した。現在すでに完成した翻訳のパイロット版を販売しており、これを広く手に取ってもらい、その反応や指摘を反映させ、2018年までに最終的な完成版を作っていくと説明した。
会場では、来場者からの質疑応答も行われた。「"標準訳"という名前はどう決めたのか?」との質問に、同協会の渡部信総主事は、「過去の文語訳、口語訳、新共同訳の流れの中で、これら三つの聖書の見直しの結果としての『標準訳』を、概念として目指そうということで決めました。ただ今のところあくまで仮の名前であり、今後、検討委員会で最終的に決定する予定です」と答えた。
また、「新聖書のサイズ、デザイン、価格は?」「タブレットで読んでいるが、データ販売はするのか?」との質問もあった。
これについては、「現在まだ未決定ですが、聖書は紙の値段が50パーセントを占めており、最近は韓国や中国に依頼して制作しています。最上装版はフランスの紙を使い、オランダで制作しています。世界的には、聖書は"その国の一日の食事代程度"が標準とされていますが、日本は購買力があるため比較的恵まれている側面があります。現在は新約の最も安価なものが約600円、新旧約が3千円ですが、それを参考にして決めたい。データ販売については、無断改変などのリスクもあるので著作権を守るための考慮をしながら行いたい」と回答があった。
また、聖書の固有名詞、人名、地名については、基本的に新共同訳を受け継ぐが、最終的には全ての教派が出席しての検討委員会で決定する予定だと報告があった。
来場者からは、「原典に忠実ということを楽しみにしている。期待している」という感想も多く寄せられた。渡部氏は、「2008年にキリスト教の諸教派にお手紙を出し、18の教派と団体から新しい翻訳に賛成を頂き、集まって翻訳方針を決定し、2010年から翻訳作業を開始しました。この18教派で日本のキリスト教会の約8割を占めており、大方のキリスト教会が賛成してくださったということで、教派にまんべんなく150人以上の研究者、詩人、歌人の先生に協力していただいて進めています。なかなか途中経過をお知らせすることはできませんでしたが、ようやくパイロット版を発表することができました。パイロット版をこれから1、2年かけて、教会の先生や信徒の皆様に見ていただき、率直な意見を寄せていただき、それを受けて最終版を決定する予定です。今後とも発信を続けますので、ぜひご覧いただきご協力いただきたい」と述べた。
またこの日は、翻訳者兼編集委員として携わっている小友聡氏(東京神学大学教授・日本基督教団中村町教会牧師)が、「新聖書翻訳の魅力」と題して、旧約詩文学の新翻訳を具体的に示しながら講演を行った。
なぜ今新しい翻訳聖書が必要か?
まず小友氏は、なぜ今新しい翻訳聖書が必要なのかについて説明した。新共同訳(1987年)に慣れてきたのに、教会や学校が混乱するのでは? という問いも多いという。これに対し小友氏は、言葉は生きており、流転し進化するものだからだと語った。
聖書の原典研究は発展し、この30年間でも多くの聖書学の知見が積み重ねられてきた。かつて共有されていた考え方が、現在では顧みられなくなっていることもある。これが、聖書をどう翻訳するかに関わってくるのだという。
具体的には、例えば雅歌2:7、17では「かもしか(新共同訳)」と訳されているが、これは実は「ガゼル」と訳すのがふさわしいというのが共通認識となっている。
(新共同訳)雅歌2:7「エルサレムのおとめたちよ 野のかもしか、雌鹿にかけて誓ってください」
(新訳[案])「エルサレムのおとめたちよ、ガゼルや野の雌鹿にかけて、わたしに誓ってください」
日本では「かもしか」というと牧歌的なイメージを連想させるが、ガゼルはすらりとした足で走るスマートな動物だ。また雅歌2:15では「小狐」と訳されていたが、これは「ジャッカル」と訳されるべきだという。小ざかしい厄介者という「小狐」のイメージは日本人特有のものであって、聖書本来の意味とはだいぶ異なってくる。
小友氏は、「がっかりする方もいるかもしれないが、それは私たちが聖書を正しく理解するために乗り越えなければならない必要なことと考えています」と述べた。
時代とともに変わる日本語と、新共同訳の翻訳理論の課題
日本語そのものも、時代とともに変わる。30年前に普通に使われていた言葉が、今日では使われずニュアンスも変わる。言葉はそのつど検証され、その時代にふさわしい日本語かどうかを吟味しなければならならない、と小友氏は述べ、さらに新共同訳の翻訳理論の課題についても触れた。
新共同訳はカトリック・プロテスタント両教会の礼拝で用いられる最初の日本語訳聖書として16年をかけ1987年に出版された。特徴としては、BHS(BibliaHebraicaStuttgartensia)を底本とした正真正銘の原典訳聖書であるということが挙げられる。口語訳は戦後に英語のRSVを基調としており、文語訳は英語のKJV(欽定訳)を起点にしており、いずれも原典からの直接の翻訳ではなかった。
その意味で新共同訳が、もっとも信頼できる日本語聖書といえるが、翻訳理論の問題があるのだという。
新共同訳に先立った共同訳聖書(1978年)では、翻訳理論として「dynamic equivalence(動的対価値理論)」という、直訳ではなく意訳的な方法が取り入れられた。継承された新共同訳では、意訳的性格から字義的翻訳に近づけられたが、まだその名残りが多く見られ、特に詩文学にそれが多いのだという。
「動的対価値理論」は、ダイナミックな翻訳で意味が分かりやすく読みやすいが、原典に忠実であるということではない。分かりやすくするために、もともと無い言葉を補ったり、不必要に説明を加えている箇所があるのだという。
例えば、雅歌6:6「歯は雌羊の群れ 毛を刈られ 洗い場から上って来る雌羊の群れ。対になってそろい、連れあいを失ったものはない」。
この箇所は、新共同訳では雅歌4:2と全く同一だが、原典を見ると「毛を刈られ」の記述は4:2にはあるが、6:6にはない。並行を意識するあまり、原典にはない下線部が加えられている、と小友氏は説明した。
一方で、省略されている箇所もあるという。ダニエル書11:1(新共同訳)「彼はわたしを支え、力づけてくれる」、(口語訳)「わたしはまたメデアびとダリヨスの元年に立って彼を強め、彼を力づけたことがあります」。
ここでは口語訳のほうが原典に忠実といえるが、口語訳の記述だとダニエル9:1の記述との間に矛盾が生じるため、新共同訳はそれを避けるためにあえて省略を行っているという。小友氏は、「確かに読みやすくなりますが、この判断は余計な詮索(せんさく)ではないでしょうか。やはり原典に忠実であるべきでしょう」と述べた。
小友氏は、「これらの課題を把握した上で、原典の息吹にふさわしい日本語であり、礼拝の朗読に耐えられるものを目指し、時間をかけながら最もふさわしい言葉を探し続けています」と話した。
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