モンゴル・ユニオン聖書協会は、2014年から「モンゴル人による原典からのモンゴル語聖書翻訳」プロジェクトを開始し、28 年の「モンゴル語標準訳」完成を目指して翻訳を進めている。日本聖書協会(東京都中央区)は16年度、同プロジェクトに対して支援を約束し、500万円を目標に募金を呼び掛けている。
日本聖書協会は18日、日本基督教団銀座教会(東京都中央区)でモンゴルでの聖書翻訳の働きについての講演会を開いた。同プロジェクトのリーダーを務めるガラム・バヤルジャルガル氏が来日し、講師を務めた。通訳・解説者は、在モンゴル歴20年以上の嶌村貴氏(しまむら・たかし、津久野キリスト恵み教会モンゴル派遣宣教師、モンゴル・ユニオン聖書協会理事)。
最初のあいさつに立った日本聖書協会の大宮溥理事長は、関心を寄せて大勢の人々が集まったことへの感謝と、モンゴル・ユニオン聖書協会に対する支援の決意をあらためて述べた。2003年に発足したモンゴル・ユニオン聖書協会は、2016年5月に正式な承認を受け、聖書協会世界連盟(UBS)に加盟することが決まっている。UBSには140カ国ほどの聖書協会が属しているが、他国をサポートできる自立した聖書協会は40ほどで、日本聖書協会もそれに含まれる。
「大きいとはいえないが、サポーティング協会としての責任を果たしていきたい」とする大宮氏は、これまで支援してきた中国や東欧諸国同様、「相撲などの文化的交流によって親近感のあるモンゴルにも、新しい形での聖書が誕生することに期待し、友情をもって熱烈にバックアップしたいと願っている」と話した。
続いて、本講演に際して2年ぶりに帰国した嶌村氏が紹介され、モンゴルの歴史の大筋と、同国の聖書翻訳をめぐる現況を説明した。モンゴルは、1989年に民主化運動が起こるまで、1924年から社会主義政権が続いていた国だ。当時はアルバニア、北朝鮮に次いでキリスト教迫害の激しい国とされていた。
そのため、モンゴル語聖書というのは、1846年にロシアで旧新約全巻が翻訳されて以降、新約聖書にわずかな改訂が加えられたのみであった。また1940年代に、それまで使用されていた縦書きのモンゴル文字が政府によって廃止され、キリル文字を使用した横書きの表記が採用され、モンゴル人がモンゴル文字を読めなくなった経緯もあって、社会主義政権が崩壊するまでは、モンゴル人が読むことのできる聖書は出版されなかった。
ついに1990年、外国人宣教師が翻訳したモンゴル語聖書が発行されるが、急ピッチで翻訳が進められたその内容はほぼ意訳で「聖書物語」と呼ぶにふさわしいものだった。92年にモンゴルに派遣された嶌村氏は、より原文に忠実なモンゴル語聖書の必要を覚え、93年に他国の宣教師らと共に「モンゴル語聖書翻訳委員会」を立ち上げた。
現在、モンゴルで使用されている聖書は、嶌村氏らが2000年に出版した聖書、もしくはその改訂版だ。しかし、それも外国語訳から重訳された聖書であったため、理想的な原語からの翻訳、なおかつモンゴル人自身による、モンゴル人の心に合った自然な聖書翻訳が求められるようになり、2014年に「モンゴル人による原典からのモンゴル語聖書翻訳」プロジェクトが始められたという次第だ。
社会主義政権下にあった約70年の間、信仰・思想・出版・集会・海外旅行の自由がなかったモンゴルだが、民主革命によって社会が開かれると、キリスト教も数百年の時を経て再び広がりをみせ始めた。91年には最初の4人のクリスチャンが誕生し、バヤルジャルガル氏も第一世代の入信者として92年に信仰を告白した。
バヤルジャルガル氏は、英語を学んで世界の情報に触れたい、そう願ってその頃国内に一つか二つしかなかった教会に足を踏み入れたのだが、そこで見いだしたのは、英語の学びだけでなく、彼が長年求め続けていた、人生の意味と目的だった。聖書を通して創造主を知り、その主が自分の人生の導き手であり目的であることを知ったバヤルジャルガル氏の人生はまったく変えられた。
バヤルジャルガル氏は現在、ライフコミュニティーチャーチ(生ける家族の教会)の牧師を務め、多くの人々が主に立ち返り、その歩みが変えられているのを目にしているが、自身も神と出会ったことにより、それまでは想像のできなかった歩みに導かれ、神の力によってのみ成し遂げられてきた多くの恵みと愛を体験してきたという。
今から15年前、「聖書翻訳の道を歩め」と神からの示しを受けたバヤルジャルガル氏は、それまで勤めていた会計の仕事をやめ、少しずつ聖書翻訳の働きのための準備に取り組み始めた。まず、モンゴル語で初めて「聖書辞典」の翻訳を行い、それから米国のゴードン・コンウェル神学校で二つの修士号を取得、イスラエルのヘブライ大学で聖書翻訳者プログラムの学びをし、その後英国のケンブリッジ大学で聖書学の博士号を取得した。
現在、モンゴルのクリスチャン人口は1・7パーセントで、ほぼ全員がこの20年間で信仰を持った人々だ。聖書学の博士号を取得したのは、モンゴル国籍ではバヤルジャルガル氏が初めて。同国内には聖書学の修士まで進んだ人も少なく、聖書翻訳の主戦力となる人材がほとんどいない。聖書を原語から翻訳するというのは、歴史の浅いモンゴルの教会にとっては、非常に大きな挑戦だ。
そのため、同プロジェクトの最初の2年間の準備期間では、バヤルシャルガル氏が翻訳者チームのメンバーにヘブライ語・アラム語・ギリシャ語・モンゴル語の文法構造、翻訳理論、そして文化研究や地理学など聖書学全般の学びを行い、人材育成に力を注いできた。また、それと並行して、まずは聖書の固有名詞の翻訳に着手した。というのも、これまで英語の発音に基づいた表記がなされていたものを、原文の発音に近いモンゴル語表記に変更する必要があるからだ。
ヘブライ語とモンゴル語は発音が似通っており、ほとんど原語そのままに置き換えることができると期待されている。英語由来の古い発音が浸透する前に、いち早く全ての固有名詞を変更しなくてはならない、まさに時間との戦いといえる。そうした努力の副産物として、モンゴル語でヘブライ語を学ぶことができる「ヘブライ語辞典」が生み出されている。すでに、聖書学校などで使用が始められており、出版の日も近いという。
2015年からは、8年の計画で旧約聖書の翻訳に取り組み始めた。翻訳に当たっては、次の五つの目的が掲げられている。▽原語から翻訳する、▽内容が原文に忠実、▽自然なモンゴル語と表現を使う、▽読者に分かりやすい、▽朗読されても聞きやすい。
バヤルジャルガル氏は、これら全てを兼ね備えた訳を実現するのは簡単ではないとした上で、歴史叙述や箴言などのさまざまな文体で記される聖書のテキストに配慮しつつ、直訳すぎず、それでいて意訳すぎることもないバランスのとれた聖書を出版したいと意気込みを話す。特に、ヘブライ語とモンゴル語では詩文のスタイルが非常によく似ているため、従来の重訳では奪われていたその味わいが、原語からの翻訳によって取り戻されるのではと期待がかかっているという。
この翻訳は、モンゴルの教会の標準となるように「モンゴル標準訳」という名前が付けられている。また、バヤルジャルガル氏は、この翻訳がモンゴルの人々にとってだけでなく、世界各地に散らばるモンゴル系民族にとってもよい手本になるのではないか、と考えているという。
モンゴルに住むモンゴル人は約300万だが、中国には400万人以上、ロシアには50万人以上が住んでいる。話し言葉は通じるものの、異なる書き言葉が使われている。同プロジェクトによってモンゴル国唯一の公用民族語の聖書が確立することが、それぞれの表記に合ったモンゴル語聖書の誕生へとつながっていく大きな第一歩となるだろう。
15年には、ルツ記、ヨナ書の翻訳が完成。16年には創世記、出エジプト記、ヨシュア記、士師記の翻訳完成が予定されている。来月には、専用のウェブサイト(www.msv.bible)を開設し、原稿・朗読した音声ファイルを公開、より良い訳になるように読者からのフィードバックを呼び掛けていくという。
同プロジェクトに必要な経費も、国外からの援助だけで進めることがあってはならないと考え、でき得る限りモンゴル人からの支援によって実現させるため、モンゴルの教会に広く呼び掛けているという。バヤルジャルガル氏は、最初に支援の手を差し伸べた日本の諸教会にあらためて感謝の意を表した。
講演後には、質疑・応答の時間が設けられ、会場からは質問や激励の言葉が寄せられた。「日本では、キリスト教の『神』という言葉を、神道の概念から借りて翻訳した経緯があるが、モンゴル語では適切な翻訳があったのか」という質問が投げ掛けられると、バヤルジャルガル氏は「モンゴルでも非常に難しい問題だった」と応答した。
モンゴルでの主要な宗教は仏教であるが、全知全能の創造主を意味する「ボルハン」という言葉が、仏教の『仏』を指す言葉に取り込まれてしまっており、伝統的なモンゴル語の「ボルハン」を使うと仏教用語であると勘違いされる可能性が高いと懸念された。
だが、歴史をさかのぼれば仏教が入る以前からこの言葉は使用されており、古い聖書翻訳でも「神」を表すときには「ボルハン」が使用されていた。他の表現と比較してもこの言葉が一番モンゴル人の心に響いてふさわしいと結論付けられた、と解説した。
日本聖書協会は、同プロジェクトに対しての募金を、500万円を目標に呼び掛けている。募金はこちらから。詳細・問い合わせは、募金担当(電話:03・3567・1980、メール:[email protected])まで。