40日間の禁酒
ところで、私は14歳の時から酒を飲み、20歳の時にはかなり飲んでいたことはすでにお話ししました。そんな私が、ついに酒から解放されたのです。その時のことをお話しいたしましょう。
38歳の時、大杉製薬という薬品会社から薬膳料理の依頼があったので、いろいろとレシピを作っていました。そのような時、オランダ人で中医学を勉強し、開業している人を紹介してもらったことがありました。彼はオランダ人なのですが、とても日本語が堪能で、中医学に精通しており、普通の医者が見放した患者を特別に見るという特技のある先生でした。彼は奈良で開業しており、患者が多いために3時か4時ごろに一度昼食をとって、また診療――という多忙な毎日を過ごしていました。
私も当時は大阪ガスの仕事で月1回は現地に出向いていたので、仕事が終わると遊びに行き、アドバイスをしてもらっていました。この先生は病院やいろいろな所で健康のアドバイスもしていたために、いろいろな健康に良い食材がそこにありました。私はそのような食材を使ってそこで料理を作り、そして月1回、そこで一緒に食事をしながら交わりをしたのです。先生は私の脈を見て、どこにどういう病気があるか詳しく見てくれたのですが、ある時、脈を見てから、こう忠告してくれました。
「あなたの肝臓はもう限界にきていますね。これ以上酷使すると、使いものにならなくなりますよ」
それで私は、今の飲み方をして1年後に体を壊してだめになるか、それとも1年間酒を我慢して、復帰してから少しずつたしなむようにして、おいしい酒を飲むか――選択を迫られたのです。これはきっと神がこの先生と出会うように導き、この先生を通して注意をしてくださったに違いないと、私は今でも思っています。
私は考えた末、「よし! 自分の意志で何とか酒をやめてみよう」と思い立ちました。しかし、14歳から38歳まで毎日のようにお酒を飲んでいたので、そんなに簡単にやめることはできませんでした。それでも何とかその方法を考え出しました。どうやって酒を我慢したかというと、だいたい酒を飲む人は夕方仕事が終わる少し前から水分をとらないでおいしい酒を飲むものです。自分もそうだったので、酒が飲みたい時間になると、ジュースとか、お茶とか、2リットル入りの大きなボトルを買ってきて、おなかの中にいっぱいに水分を詰め込んだのです。コーラ、ジュース、お茶――何でも詰め込みました。
もちろん、毎日のように酒を飲んでいた生活から水分をたくさんとる生活に変わったとはいえ、酒そのものが嫌いになったわけではありません。でも、自分の意志で何とか40日間我慢することができました。もちろん、41日目にはまた飲んでしまいましたが、この41日目のビールはとてもおいしかったのを覚えています。それほどの量ではなかったのですが、楽しく飲んで酔うことができました。
思えば、自分の意志で禁酒した40日間はとても苦しい期間でした。なぜなら、好きな酒を目の前にし、水分でそれをごまかしたのですから。それにしても、40日間よく頑張ったと自分で思います。そして、40日以降また飲んでしまったことは、また体に負担がかかってしまうことになるのですが、ここで本当に不思議な神の助けが働いたのです。
40日禁酒したという経験を持ったその1年後に、ちょうど弟が家族を連れて泊まりに来たのです。そして、その家族を見ることが私にとって大きな信仰の助けとなり、家族への愛に目覚めた中で、本当に酒を一滴も必要としない経験をしたのです。そして弟の家族の交わりを見て、本当の人間の家族、親子、その中にある素晴らしい愛を発見できたという大きな恵みをもいただいたのでした。
◇
荘明義(そう・あきよし)
1944年中国・貴州省生まれ。4歳のときに来日、14歳で中華料理の世界に入り、四川料理の大家である故・陳建民氏に師事、その3番弟子。田村町四川飯店で修行、16歳で六本木四川飯店副料理長、17歳で横浜・重慶飯店の料理長となる。33歳で大龍門の総料理長となり、中華冷凍食品の開発に従事、35歳の時に(有)荘味道開発研究所設立、39歳で中華冷凍食品メーカー(株)大龍専務取締役、その後68歳で商品開発と味作りのコンサルタント、他に料理学校の講師、テレビや雑誌などのメディアに登場して中華料理の普及に努めてきた。神奈川・横浜華僑基督教会長老。著書に『わが人生と味の道』(イーグレープ)。