父なる神、御子なる神、聖霊なる神。私たちの神は、三つのご性質からなる三位一体の神であるが、この神はまた、旧・新約聖書の中で数百の異なったいろいろな名前で呼ばれている。
これらの名前は、神の異なる人格を表しているというよりは、むしろ異なる性格の一面を表している。聖書の中で表現される名前は、私たちに、より神の人柄を明らかにし、実にどんな方であるかを理解する助けとなる。
「エロヒム」
これは、創世記1章1節で神に与えられた名前である。そして、これは彼のアイデンティティーについての最初の聖書の啓示だ。エロヒムは、ヘブライ語の「エロハ」の複数形であり、「強い、強大な、著名な」という意味がある。創世記の最初の文で、神の三位一体のご性質が、彼の創造力と並んで明らかにされている。神はしばしば、創造主としての関連で「エロヒム」と呼ばれる。そしてこれは、三位一体の神の全てが創造に関わったことを強調している。詩編の作者は、「天はエロヒムの栄光を物語り」と書いた(詩編19編1節)。
「ヤハウェ」
または「エホバ」ともいわれる。「ヤハウェ」は、神の約束された名前である。また、モーセが、イスラエルの人々に答えるために神の名前を尋ねた際に明らかにされた名は「わたしはある」(出エジプト記3:14)だ。「わたしはある」は、イエスが地上での宣教の際に使用している神の名である(ヨハネ8章24節)。それは、神の永遠の性質について言及している。私たちとは異なり、神は常に存在するのだ。ユダヤの文化の中では、文字を完全につづるにはあまりにも神聖なため、へブライ語では頭文字のみ取って、略記し表している。
この名前には、神は現在も生き、働いておられ、いつでも身近で、救いの手を差し伸べてくださり(詩編107編13節)、赦(ゆる)し(詩編25編11節)、そして導く(詩編31編4節)という意味がある。
「ヤーウェ・イルエ」
神のこの名前は、「主が備えてくださる」というヘブライ語の言葉そのものである。アブラハムが息子イサクを犠牲にすることから救い、代わりの羊を備えてくれたという箇所、創世記22章で神のことをこう呼んだ。
「アブラハムはその場所をヤーウェ・イルエ(主は備えてくださる)と名付けた。そこで、人々は今日でも『主の山に、備えあり(イエラエ)』と言っている」(創世記22:14)
これらの言葉は、神が将来を備えてくださるという預言である。神は後に、イエス・キリストを私たちの身代わりとして、犠牲にしてくださった。神は私たちにイエスを与えたので、私たちは、父である神と正しい関係に戻ることができる。神は、彼との完全な関係の中で私たちが生きていく上で必要があるもの全てを提供してくれる。
「エル・シャダイ」
「全能の神」と訳され、エルは神の名前の別の言い方で、シャダイは、ヘブライ語の「山」という言葉から派生した。聖書で山は、多くの場合、国のことを指しているので、エル・シャダイは、私たちの神は私たちの国々の神ということを啓示している。神が主でおられない場所はどこにもなく、彼の存在が遠すぎる場所も存在しない。神は全ての場所において権威を持っておられる。創世記17章では、神がアブラハムに、彼と妻サラが子どもを持つことになることを約束したとき、神は「わたしは全能の神(エル・シャダイ)である」(17章1節)と言ってアブラハムにご自身の権威を示され、アブラハムを安心させた。
「万軍の主」
神のもう一つの名前は、「万軍の主」である。彼はイザヤ書とエレミヤ書の中で、285回もこの名前で呼ばれている。これは、神が天使の軍隊の神であることを意味している。彼の権威は、この世の領域を超えて拡張しており、天空においても全てをご支配されているという意味。私たちは、彼の力の知識の中で、しっかり守られて安心していることができるのだ。
「ヤーウェ・シャローム」
神の名前の多くが力を表しているが、神は戦いに飢えているのではない。神はまた、「平和の主」や「シャローム」と呼ばれている。これはギデオンが、主との謁見後に、感謝の気持ちで祭壇を築いて付けた名前である(士師記6章24節)。この神の特性は、神は和解への願いを明らかにするということだ。それは、十字架に行くという彼の選択により表され、そのおかげで私たちはもはや罪の混乱の下で暮らすことがなく、その代わりに救いの平和を見つけることができる。
「ヤーウェ・ラファ」
「癒やし主」。「わたしはあなたをいやす主である」と神は出エジプト記15章26節でこう仰せられた。「ラファ」は、「回復する、復元する」「癒やす」と訳される。この癒やしは、イザヤ書53章4、5節によれば、肉体と魂の両方に及ぶ。私たちの神は、私たちの身体的健康と霊的健康の両方に関心を持っておられる。イザヤ書におけるこれらの節では、罪の傷を癒やすために来られ、キリストにある本当の息子や娘としてのアイデンティティーに私たちを回復させるイエスのことに触れている。
全能で、平安をもたらし、備え、癒やす。神は名前を通して、部分的に人間にご自身を明らかにされている。聖書の中で明白にされているこれらの真理は、神の性質や性格について、私たちがその多くを発見するのに役立つ。しかし、旧約聖書における神の名は、新約聖書の中での彼のアイデンティティーにつながっており、それはやがて来られるイエス・キリストにつながっている。