今年の10月は、ハロウィンが日本中で大盛り上がりを見せた。市場規模はこの4年で倍増し、ついにはバレンタインを上回ったという。これから国民的イベントとして定着していくであろうハロウィンについては、諸説ある起源や、キリスト教との関係が各キリスト教会でも少なからず話題に上ったに違いない。しかし、ハロウィンの夜が明けた11月1日には、町は一変してクリスマスカラーに染まり始めた。このクリスマスカラーをめぐって、米国で大きな論争が巻き起こったという。
問題になったのは、コーヒーチェーン店スターバックスのクリスマスを象徴する「レッドカップ」。レッドカップとは、ホットドリンク専用の紙カップのことだ。通常は真っ白なのだが、11月と12月のホリデーシーズンには真っ赤に変わり、スターバックスの緑のロゴと相まって、クリスマスらしさを存分にアピールする。これまでのレッドカップには、雪だるまやオーナメントなどの毎年異なった華やかなデザインが施されてきたのだが、今年はなんと無地という非常にシンプルなデザインとなった。米ニュースサイト「ハフィントンポスト」によると、このデザインには「あわただしいホリデーシーズン中、人々に穏やかな平和を届けたい」という思いが込められているという。
しかしこれに対して、英国を中心に活動するキリスト教団体「Christian Concern」をはじめとする一部キリスト教徒が「クリスマスを侮辱している」と反感を示したのだ。過度なデザインに対してではなく、シンプルなデザインに批判が集まるというのも珍しい話だが、その主張するところは「イエス・キリストを憎むがゆえに、カップからキリスト教のクリスマス文化を消し去ってしまった」。SNS上ではこれに対する賛同の声や、「自分はクリスチャンだが賛成できない」といったさまざまな意見が飛び交った。確かに、今年のレッドカップについて、デザインを担当するスターバックス副社長ジェフリー・フィールズ氏が「すべての人々のストーリーを歓迎する純粋なデザインで、今年のホリデーシーズンを迎えたかった」と語っていたのを聞くと、キリスト教以外の宗教の人々にも受け入れられるようにとの考えが伝わってくるから、保守派のキリスト教徒が反感を抱くのにも一理あるのかもしれない。
だが、そもそもなぜ、クリスマスカラーは「赤と緑」と相場が決まっているのだろうか。クリスマス研究家、若林ひとみさんの著書『クリスマスの文化史』(2004年、白水社)の中で、アドベント・クランツ(アドベントに灯される、環状の土台に立てられた4本のロウソク)に使用される色についての解説がある。それによると、アドベント・クランツは異教時代からの信仰の名残を受け継いでいるというが、緑は「三位一体、キリストと信徒との相互の忠誠や希望と喜び」を表しているといい、赤は「生命、キリストの血」を表しているのだという。他にも、金色は「光」、白は「純潔・完全性・絶対性」など、キリスト教会ではそれぞれの色に意味を込めてクリスマスを過ごしてきた歴史がある。
そうであるならば、雪だるまや雪の結晶といったデザインが施されたレッドカップよりも、シンプルなレッドカップのほうがキリスト教徒にとっても好都合ではないか。クリスマスからキリスト教色が失われたのではなく、むしろ、そこに隠されたイエス・キリストの本質を人に語るチャンスが増えたということになるのだから。レッドカップだけでなく、町中に溢れる赤と緑の装飾を見るたびに、乳飲み子の姿をとってこの地上に来てくださったイエス・キリストこそが三位一体の唯一なる神であること、その生涯の目的が全人類の罪のために血をもって贖(あがな)いをすることであったことを、静かに思い起こしたい。