世界クリスチャンデータベースの数字によると、ネパールは世界で最もキリスト教人口が増加している国の一つだ。
ヒマラヤ地方にあるネパールでは、1951年の国勢調査の時点で、キリスト教徒の数はゼロだった。61年には458人にまで増加した。しかし、2001年には約10万2千人に、さらに10年後の11年にはその3倍以上の37万5千人となった。
米国の公共ラジオNPRの報道によると、ネパールの新聞「ナガリク(Nagarik)」のビシュワ・マニ・ポカレルニュース局長は、実際の数はこれよりも多いだろうと述べた。
教会の類いまれな成長は、20世紀におけるネパールの動乱の歴史と関連している。1950年、ネパールは外国に対して閉ざされたヒンズー教を国教とする王国だった。しかし、90年代の内戦と2008年の王政廃止により、ネパールは王国から世俗的な共和国へと移行した。
改宗は違法のままだが、ほとんど実効性はない。キリスト教団体は社会的支援などのために入国し、その多くは活動とともに福音を伝えた。
山岳地帯への伝道を行う「クライミング・フォー・クライスト」(C4C)は、「他の人が行けない、行かない場所」にあえて行く慈善団体の一つだ。
C4Cの提携宣教団体「救い主だけがアジアの人々を贖[あがな]う(Savior Alone Redeems Asians)」(SARA)のテジュ・ロッカ牧師は、「彼らは病気の人や壊れた家族を見つけては話し掛けて祈りました。すると奇跡的にその人たちが確信を持ち、キリストに従い始めたのです」と述べた。「彼らは人々に、幾らかの食料と衣服を寄付しました。そのため、人々は彼らに耳を傾け始めたのです」
ヒンズー教のカースト制も、改宗の無意識的な動機となるだろう。低いカーストの人は組織的な差別に苦しんでおり、キリスト教がそこから逃れる道を示す。
C4Cの創立者で代表のゲイリー・ファルセン氏は、「それだけが唯一の逃れる方法です」と述べた。「そのことを変えるために彼らができることは、社会的には何もありません。そして、私たちが近づいて、イエスと、彼らに対するイエスの愛を分かち合うのです」。ファルセン氏が言うには、制度はいまだ存在するけれども、それは彼らには何の力もなくなるとのことだ。
しかし、国家の指導者は、キリスト教ブームをあまりよく思っていない。昨年9月に制定された初の憲法では、ヒンズー教を再び国教とするかどうかが激しく議論された。最終的に、議会は世俗憲法を制定する決断を下したが、警察は抗議行動を鎮圧するために放水銃と催涙ガスを使用せざるを得なかった。
37万5千人という公式の数値は、国の総人口2780万人に比べればまだ少ないが、キリスト教は急激に成長しており、新憲法の信教の自由条項はその教会を励ましている。