私とフィリピンとのつながりは、すでに48年前にさかのぼります。1968年の春のことでした。短期の交換留学生として20人ほどのグループで5週間ほどフィリピンの各地でホームステイをしながら、現地の人たちと交流をし、その文化や社会を学ばせていただきました。まさかその時、将来その国に住んで仕事をするようになるとは思いもよりませんでした。
その時にフィリピンに行ったのが、私の初めての外国体験でした。いろんなところを訪問していくうちに、自分が日本人であるということがどういうことなのか、考えさせられていきました。その時分はまだまだ太平洋戦争の傷跡があちこちに残っており、日本軍による残虐な行為が、否が応でも耳から入ってきたり、新聞で取り上げられたりしていました。
バターン半島での死の行軍などについても、何度も聞かされました。ホームステイしていた所の子どもが日本軍の残虐な行為をしゃべろうとするのを、その家の方が止めたりする場面もありました。
だんだん肩身が狭くなっていきました。日本ではそれまで学校でも教わったことのないことばかりで、心の落ち着かないことの連続でありました。
その留学の最後の訪問地がマニラにあります国立フィリピン大学でありました。私たち一行は学長室に招かれてひと時の交流を持つことができました。
私はどうしてもその学長に聞いておきたいことがありました。それは、「フィリピンの人たちは日本人を赦(ゆる)してくれますか」ということでした。勇気を出してその質問をしてみました。するとその学長がこう答えたのです。
「私たちは赦すことはできますが、忘れることはできません」と。この言葉の重みをそれから今日に至るまでひしひしと感じてまいりました。これが真実な証言なのだろうと思いました。
英語ではもっとインパクトの強い言葉になります。”We can forgive but we cannot forget.” ですから。後にフィリピンに住んで仕事をしていたときに、このことを決して忘れないよう肝に銘じたことでした。
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福江等(ふくえ・ひとし)
1947年、香川県生まれ。1966年、上智大学文学部英文科に入学。1984年、ボストン大学大学院卒、神学博士号修得。1973年、高知加賀野井キリスト教会創立。2001年(フィリピン)アジア・パシフィック・ナザレン神学大学院教授、学長。現在、高知加賀野井キリスト教会牧師、高知刑務所教誨師、高知県立大学非常勤講師。著書に『主が聖であられるように』(訳書)、『聖化の説教[旧約篇Ⅱ]―牧師17人が語るホーリネスの恵み』(共著)など。