この年齢になって世界文学全集を読み始めるのは遅いのかもしれませんが、青年時代には学校の勉強やスポーツをしていてその余裕があまりなく、その後は仕事に追われて、やっとこの頃になって読み始めています。恐らく若い時に読んでも十分理解できなかったのではないかと感じています。
最近、読んだものでドイツの文学者、ヘルマン・ヘッセの『車輪の下』があります。ハンスという少年の物語ですが、読まれた方もおありでしょう。ハンスは小さな村で生まれ、すこぶる頭がよくて、天才と見なされていました。村の学校の校長はじめ教師たちからも村人からも、教会の牧師からも、そして父親からも(母親はすでに亡くなっていた)ハンスが世に名をなすことを期待されて育っていきました。
少年ハンスもその期待に応えて勉学に励み、州の試験を受け、見事に合格します。少年にしてすでにラテン語、ギリシャ語、ヘブル語を習得していきます。将来は牧師になり、大きな教会で高い講壇から人々を教え導く人として立派に成長するであろうと誰もが期待していました。
ところが、神学校で勉強しているときに一人のクラスメートと友達になり、勉学と友情の板挟みになります。友達を見捨てて勉学に秀でたところで、それが一体何になるのだろうという疑問が生まれ、彼は勉学よりも友情を大切にするようになります。その頃から成績が坂を転がり落ちるように下がり、とうとう教師たちからも見捨てられるようになります。
ハンスは精神を病み、神学校を退学させられ、故郷の村に戻って来ますが、ハンスを顧みる者もいません。やがて旧友からの勧めで職人になろうとしますが、ある日、仕事場の仲間たちと酔っぱらってしまい、川に落ちて死んでしまいます。
著者のヘルマン・ヘッセは、この一人の天才少年を死に至らしめた責任は少年本人だけにあるのではなく、周りの大人たちにもあるということを言いたかったようです。全くの善意から少年を励まし、少年の出世を望む大人たちの期待が、少年ハンスを知らず知らずのうちに追い詰めてしまったのでした。
人の悩みには、他の人には分からない深いものがあるということ、また、全くの善意が人を死にまでも追い詰めることがあるということを鋭く描き出しています。
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福江等(ふくえ・ひとし)
1947年、香川県生まれ。1966年、上智大学文学部英文科に入学。1984年、ボストン大学大学院卒、神学博士号修得。1973年、高知加賀野井キリスト教会創立。2001年(フィリピン)アジア・パシフィック・ナザレン神学大学院教授、学長。現在、高知加賀野井キリスト教会牧師、高知刑務所教誨師、高知県立大学非常勤講師。著書に『主が聖であられるように』(訳書)、『聖化の説教[旧約篇Ⅱ]―牧師17人が語るホーリネスの恵み』(共著)など。