仏教の全体像を知っているか。
5. 部派仏教の時代
(1)釈迦の死後100年の間に、インド西南方や西方に伝えられ、教団も拡大した。しかしその後、教団成員を規制する“律”の条項をめぐって対立が起こり、ついに分裂(根本分裂)。厳格な保守派は上座部、柔軟な多数派は大衆部と呼ばれた。その後、大衆部は9派に、上座部も11派に、それぞれ細分裂し、計20派の部派となった。
(2)各部派は自らの正統性を証しするために、経の注釈や研究、解説に努めたが、これらの文献をアビダルマと言った。それらが集まってアビダルマ・ピタカ(論蔵[ろんぞう])をなした。経・論・律の三蔵が成立した。
*「ミリンダ王の問い」「俱舎(ぐしゃ)論」「大毘婆沙(だいびばしゃ)論」「清浄道(しょうじょうどう)論」など。
(3)(カルマ)は行いであり、身・口・意の三種からなるが、原因から行為へ、行為から結果へと、業の連鎖は生死を越えてどこまでも延びる。死んでも終わらない。このような業感が立てられ、善因善果、悪因悪果の因果応報論が述べられ、業は、輪廻と密接に結びつき、現生の業が死後の生を決定する、と説く。釈迦は輪廻の思想とその来世観を認めず、その宿命観からの解脱を主張したが、部派仏教はここで変質したといえる(*輪廻の生存を十二の因縁で解釈したものを業感縁起という。)
6. 大乗仏教の起こり
出家できない大衆大多数を乗せて、煩悩の世界「此岸(しがん)」から涅槃の世界「彼岸(ひがん)」への流れを乗り切る〝大きな乗り物”、それが大乗仏教だとした。大乗仏教の源流は、① 仏塔、仏像などの信仰、② 仏伝文学、③ 仏讃文学、④ 社会的背景などである。なお、多数の経典も著された。
仏塔は、仏や聖者の遺骨・遺品を納めた祈念碑であり、半椀形のもの。BC2世紀以降、数百年間に多く建設された。その管理、維持、運営は在家信者に任されていたので、そこで祭りや市が開かれ、賑わった。在家信者は法中心の出家にはなり得ないので、仏塔にすがり礼拝して功徳に与(あずか)ろうとした。それにより成仏できると説く経も多く出た。
また、ギリシャ彫刻の影響で、仏陀を像によって表現するようになった。さらに、釈迦の生涯の記念場所へ巡礼するようにもなった。釈迦は教えと修行を強調したが、大乗はそれと大きく違ってきた。
釈迦の成仏の原因となった“行”の探求が始まり、寓話(ぐうわ)や伝承にヒントを得て、釈迦や弟子の前生(あるいは本生[ほんしょう])を主題とする物語となった。これが「ジャータカ」や「チャリヤーピタカ」であり、王・仙人・鹿・猿・牛・鳥・神・夜叉(やしゃ)などを主人公とする物語が続々と生まれた。
また、釈迦は修行時代に、多くの仏陀のもとで修行したとされ、その時代を菩薩(ぼさつ)と呼んだ、とする。そこから多仏思想や菩薩思想が生まれた。「ニカーヤ長部(パーリ)」では、釈迦の出生に至る過去七仏の物語を説いている。
「仏讃(仏の功徳をたたえる)文学」とは、釈迦の誕生から入滅までを文学作品として描いたものである。初めは釈迦仏の伝記であったが、だんだんと発展して釈迦の超人化や神格化が進み、いろいろな奇蹟が創作され、付加された。カニシカ王の欽定詩人“馬鳴(めみょう、アシュヴァゴーシャ)”の「仏讃」が最も著名。
7. 大乗仏教の確立
龍樹(りゅうじゅ、ナーガルジュナ、AD150~250年)が登場して、空の思想を理論化し、諸経典、諸論を体系的に組織化した。彼は、八宗の祖(仏教全ての師)と仰がれている。
次のような経ができた。① 般若心経など般若系統の経、② 華厳経、③ 法華経、④ 浄土三部経、⑤ 三品経など。
「空」について、龍樹が『中論頌(ちゅうろんしょう)』で明快化した。
如来蔵思想:人間は誰でも生まれながら如来〔仏〕の性質を宿しているが、これが成仏の原因である。「一切衆生(しゅじょう)悉有仏性(しつうぶっしょう)」の語となる。このような楽観的な見方、大胆な人間肯定が中国仏教や日本仏教で大いに歓迎され、今日に至っている。
唯識説とヨーガ行派:如来蔵説とは反対に、迷い・煩悩にとらわれて汚れている心の実態を凝視する。唯識によれば、人が外界と思っている物や経験は全て“認識されたもの”で、一切の存在は自分の心から生まれている。この認識作用をなすものが、眼・耳・鼻・舌・身・意の六識と、色・声・香・味・触・法の六境(対象領域)である。六識の奥に、自我意識としての「末那識(まなしき)」があり、これら七識の根底に「阿頼耶識(あらやしき)」がある、とする。阿頼耶識は潜在的で別名「一切種子識」ともいわれ、過去の業がここに保存されており、意識されない経験の総体である、ともいえる。この阿頼耶識の本質を改造して悟りを実現しようとするのが唯識説である。唯識家はヨーガ行(禅定)に沈潜し、専念して解脱に到達することを教える。唯識とヨーガ行とは密接に重なっている。
ヨーガ行は全ての筋肉の収縮を避け、次の四つの観想により現象界の意識を絶対的空虚に固定させようとする。すなわち、① 感覚を制御し、② 妄想を制御し、③ 感受性を滅却し、④ これらの果実を得ようとする。・・・経は『大乗阿毘達磨経(だいじょうあびだつまきょう』』、『解深密経(げじんみっきょう)』、論は無着著『摂大乗論(しょうだいじょうろん)」、護法著『成唯識論(じょうゆいしきろん)』などが著名。
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正木弥(まさき・や)
1943年生まれ。香川県高松市出身。京都大学卒。17歳で信仰、40歳で召命を受け、48歳で公務員を辞め、単立恵みの森キリスト教会牧師となる。現在、アイオーンキリスト教会を開拓中。著書に『ザグロスの高原を行く』『創造論と進化論 〜覚え書〜 古い地球説から』『仏教に魂を託せるか』『ものみの塔の新世界訳聖書は改ざん聖書』(ビブリア書房)など。
【正木弥著書】
『なにゆえキリストの道なのか 〜ぶしつけな240の質問に答える〜 増補版』
『仏教に魂を託せるか 〜その全体像から見た問題点〜 改訂版』
『ザグロスの高原を行く イザヤによるクル王の遺産』(イーグレープ)