1. 見えていたのに、見てなかった
私は、3人の男の子の父親です。父親になり、急に目に飛び込んでくるようになったものがあります。妊婦がつけるマタニティーマークです。
わが家では、この9年で3回、妻の妊娠・出産を経験して、妊婦がどれだけ大変かを身をもって知りました。
つわりで寝たきりの妊娠初期から始まり、食べ物の好みなど体の内側が変化する中期。立つ、歩く、横になる、全てに体力を消費する妊娠後期。
ハードな妻の妊娠・出産期を見てきているので、街中で頑張って歩いている妊婦を見ると「荷物を持つのも、シンドそうだなぁ」と他人事ではない気持ちです。
私が独身の時も、おそらくマタニティーマークを付けている方、妊婦の方を街で見かけていたはずですが、私自身、妊婦に意識が向いていなかったので、マタニティーマークが視野に入っていませんでした。
しかし、自分自身の子どもを授かる経験を通して、ようやく、電車の中や歩道で、マタニティーマークが目に入り「あの妊婦さん、大変そう!」と気付くことができるようになったのです。
2. 問うのではない、問われているのだ
「宗教体験とは新しい視点を与えられること」だそうですが、私にとって聖書との出会いは、まさに価値観を変えられる出来事でした。
私は、キリスト教の家系ではありません。大学在学中にYMCA寮に入ったのがご縁で、聖書を読み始めました。
最初は「聖書なんて役に立たないし、つまらない」と思っていました。しかし、洗礼を受けてから、この書物の面白さに目覚めました。
特に、
「神は、神を愛する人々のために・・・万事を働かせて益としてくださる」
「苦難は忍耐を、忍耐は練達を、練達は希望を生む」
「神は、乗り越えられない試練を与えない」という言葉が、心の支えになりました。
かつて、つらいことがあると、ただジッと我慢したり、イライラしたりしていました。「何で自分だけ・・・」と問うスタンスでした。
しかし、一連の聖書の言葉から、逆境の時は「なぜ、自分が・・・?」と問うのではない。神から問われていることに耳を傾けるのだ、と気が付きました。
もちろん、今でもシンドイことは、できれば避けて通りたいし、試練の時は「神様!! 何でですか」と相変わらず、問うています。しかし、「神は、乗り越えられない試練を与えない」ことを体験して、「試練の先の希望がある」「神から問われている」という気付きが与えられました。
3. この世界は、神の言葉によって造られた
また、聖書の「初めに、言葉があった」「全てのものは、神の言葉によって造られた」という世界観は衝撃でした。
地の深みは主の御手のうちにあり、山々の頂も主のものである。
海は主のもの。主がそれを造られた。陸地も主の御手が造られた。
来たれ。私たちは伏し拝み、ひれ伏そう。私たちを造られた方、主の御前に、ひざまずこう。(詩篇95:4~6)
創造主なる神を意識することで、同じ景色、同じものを見ても、見えてくるものが違ってくる。夕日や海、山などの景観を見ても、「神がデザインしたこの自然の風景、キレイだなー!」と感動の振り幅が広くなりました。
私は、妻の妊娠と出産を体験してから、それまで見えていなかった他の妊婦さんに意識が向くようになりました。それと同じように「神が全てをプラスにしてくださる」「初めに、言葉があった」という言葉を体験して、「試練の次の希望」「自然の美しさのデザイン」という目に見えないものに意識が向くようになったのです。
あなたが聖書の言葉を通して与えられた、新しい視点はありますか?
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関智征(せきともゆき)
ブランドニューライフ牧師。東京大学法学部卒業、聖学院大学博士後期課程修了、博士(学術)。専門は、キリスト教学、死生学。論文に『パウロの「信仰義認論」再考ー「パウロ研究の新しい視点」との対話をとおしてー』など多数。