人類が抱えている一番大きな問題が、堕落と原罪であるが、罪の影響がどこまで及んでいるのかが、それに劣らぬほどの重大問題である。何が神に属し、何がサタンに属するかの理解は、われわれの価値観に大きな影響を与える。
多くの人たちは、神の支配する領域とサタンの支配する領域が明確に分かれていると考える。サタンの支配している領域には、神はいないし、神の支配する領域にはサタンはいないという発想だ。この発想の中でビジネスをしている人は、日常的に信仰の葛藤の中で生きなくてはならない。月曜日から金曜日までは、自分と家族が食べていくために、やむを得ずサタンの支配する社会の中で収入を得なければならないと考えるからだ。
でも、聖書をよく読むと、創造主なる神と、サタンが対等な力を持つライバル関係としては描かれていない。サタンがヨブを攻撃したとき、神の許可が必要だった(ヨブ1:12)。この事実を見る限り、全領域を支配しているのは神であり、サタンはその一部を間借りしているようだ。すなわち、サタンの力がどんなに大きく働いていても、あるいはわれわれが神から完全に目を反らしているときであっても、全てが絶対的神の支配下にあるということだ。
ダビデは詩篇139:8で、「たとい、私が天に上っても、そこにあなたはおられ、私がよみに床を設けても、そこにあなたはおられます」と言っている。神が創造された全ての被造物は、人の堕落によってその所有権がサタンに譲渡されたという事実はない。堕落した人間がエデンの園から追い出されたのは、神の支配する国からサタンの支配する国への追放ではなく、罪ある状態のまま「命の木」の実を食べて、永遠に罪人として生きないためであった(創世記3:22)。
神の作品としての被造物全体は、人の堕落によってその価値が失われなかったことが、聖書の多くの個所で述べられている。ダビデは、詩篇19:1で「天は神の栄光を語り告げ、大空は御手のわざを告げ知らせる」と言っている。また使徒パウロは、「神の、目に見えない本性、すなわち神の永遠の力と神性は、世界の創造された時からこのかた、被造物によって知られ、はっきりと認められるのであって、彼らに弁解の余地はないのです」(ローマ1:20)と言っている。
われわれは、神にその所有権があるものを、サタンのものだと思い込み、それらについて感謝することを忘れ、その思いがむなしくなっている可能性がある。
サタンは今なお人の心のアンテナに妨害電波を送り続け、偽りの情報を与え、偽りの行動をとらせようとしているが、キリストの十字架の死と復活によりサタンは敗北し、死刑の日を待ち続ける囚人のようになっている。
われわれはもう一度、何が神に属するものであり、何がサタンのものであるかを、吟味する必要がある。神に対して不遜にならないために。そしてわれわれの経済活動は、神の恵みの中でしか成り立たないことを再認識すべきであろう。
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木下和好(きのした・かずよし)
1946年、静岡県生まれ。文学博士。東京基督教大学、ゴードン・コーウェル、カリフォルニア大学院に学ぶ。英会話学校、英語圏留学センター経営。逐次・同時両方向通訳者、同時通訳セミナー講師。NHKラジオ・TV「Dr. Kinoshitaのおもしろ英語塾」教授。民放ラジオ番組「Dr. Kinoshitaの英語おもしろ豆辞典」担当。民放各局のTV番組にゲスト出演し、「Dr. Kinoshitaの究極英語習得法」を担当する。1991年1月「米国大統領朝食会」に招待される。雑誌等に英語関連記事を連載、著書20冊余り。