キリスト教とイスラム教はどう違うのか。
キリスト教が成立しておよそ600年も経ってから、イスラム教ができたのです。イスラム教は、ユダヤ教やキリスト教に似せて造られたのです。
創立者マホメットは、アラビア半島中部のメッカに生まれました。
彼は若い頃、旅をしてユダヤ教やキリスト教に接し、多くを学びました。メッカの裕福な未亡人と結婚し、生活が安定したと伝えられています。40歳の頃、メッカ郊外の洞窟にこもり、瞑想(めいそう)にふけり、啓示を受けたとされています。
それによって、モーセやイエス・キリストは先行預言者の一人で、自分マホメットが“最後の、最大の預言者だ”と主張し、それを経典クルアーン〔コーラン〕にまとめました。
また、唯一の神の名は《アッラー》であるとし、アッラーは全知全能の神で、天地の創造者であり、アダムとその妻を造り、審判の日があり、信じる者には楽園、信じない者には地獄が約束されている、としました。旧・新約聖書の枠組みを取り込んでいます。
コーラン以前の(旧約聖書の)モーセ五書やダビデの詩篇、イエスの福音書も尊重するが、「歪曲(わいきょく)されているので、神は、最後に最大の預言者マホメットを通してコーランを示した、このコーランが正しく、完全な書である」とします。
〔疑問点〕
- マホメットは洞窟で一人で啓示を受けたとするが、間違いなく神からの啓示だったという証拠らしきものがあるでしょうか。一人の瞑想体験は、他の人がその内容を確認することができません。
- コーランは、ユダヤ教やキリスト教から、基本教理や人物などを多く取り込んでいます。新たな啓示というよりも、取り込んだものを自分の体験や頭脳で自分に都合よくなるように修正したもの、といえないでしょうか。
- マホメットが“最後で最大の預言者だ”といえる根拠は何でしょうか。
- コーランの内容が正しいといえる根拠は、何かあるでしょうか。歴史的な裏付けか他の何かがあるのでしょうか。
- コーランを聖書と読み比べますと、コーランが一人の人間が創作したものだとの印象を強くします。また、内容の卑俗性をも感じるところです。これに対し、聖書はその内容が壮大で奇(くす)しく、神聖です。半面で、歴史性に満ちています。また、これを信じる人を有為の人に変え、それを通して歴史を変えてきました。コーランは、人を戦いで強くする以外に、有為の人を生み出したとは聞きません。
イスラム教の戦闘性
マホメットの立てたイスラム教を、彼の故郷メッカは、古来の土着宗教の故に受け入れず、かえって彼を迫害したので、メディナに移ってこれを広め、信徒を増やし、組織化し、軍隊を備えました。
その揚げ句、メッカの軍隊と3度の戦闘をして、勝利し、メッカに入城し、メッカのカーバ神殿の多数の偶像を破壊し、そこを「アッラーの館」として、聖地にしました。
イスラム教は、そもそもの成立の時から、教えそのものの正しさよりも武力で、教えの力よりも戦闘の力で勝利を得、そこから出発したのです。
マホメットは、生前すでに預言者としての権威と政治的・軍事的権力を行使する実力者になりました。彼の後継者たるイスラム国家は、彼の死後100年の間にサラセン帝国として軍事力によりアラビア半島各地を征服し、シリアのダマスカス、ササン朝ペルシャを滅ぼし、エルサレムを攻略し、エジプト、リビアなど北アフリカを一気に西進征服し、ついには、ジブラルタルを渡ってイベリヤ半島まで支配し、巨大なイスラム教圏を打ち立てました。
これらの推移から、イスラム教圏は征服戦争によって成立したものということができます。右手に剣、左手にコーランといわれる通りです。
その後、イスラム帝国オスマン・トルコは、征服戦争によって帝国の版図すなわち教圏を拡張しました。
ここでも戦争ばかりで拡張しました。
暴力性
イスラム教は、他国であれ他宗徒であれ、マホメットやコーランへの表現いかんで襲撃対象とするなど、暴力的です。
イスラム教徒は、政治情勢や国際情勢への反発などで、近隣の平和なキリスト教会を襲撃・破壊・焼き討ちにするなど、粗暴です。
イスラム教徒は、政治情勢、国際情勢に反発してテロやゲリラ活動に走ります。そのための“殉教”は、他を害するために、志願して行う自己犠牲です。イスラム教はこれをあおり、美化し、イスラム神学校などで教育します。〔しかし、「殉教」の本当の意味は、下の表の通り初期のキリスト教徒が福音のために追い込まれてやむなく死に至るもので、受け身です。決して、他を害するものではありません〕
寛容性
イスラム諸国では、キリスト教徒も住めるとはいいながら、イスラム教徒がキリスト教に改宗すれば死刑、イスラム教徒に伝道すれば投獄という制度です。これでは、寛容な宗教とは言えません。
キリスト教諸国では、おおむね、信教の自由が認められています。表現は、行き過ぎであっても法的に対処されます。
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正木弥(まさき・や)
1943年生まれ。香川県高松市出身。京都大学卒。17歳で信仰、40歳で召命を受け、48歳で公務員を辞め、単立恵みの森キリスト教会牧師となる。現在、アイオーンキリスト教会を開拓中。著書に『ザグロスの高原を行く』『創造論と進化論 〜覚え書〜 古い地球説から』『仏教に魂を託せるか』『ものみの塔の新世界訳聖書は改ざん聖書』(ビブリア書房)など。
【正木弥著書】
『なにゆえキリストの道なのか 〜ぶしつけな240の質問に答える〜 増補版』
『仏教に魂を託せるか 〜その全体像から見た問題点〜 改訂版』
『ザグロスの高原を行く イザヤによるクル王の遺産』(イーグレープ)