クリスマスは過ぎましたが、前回に続いて、聖書に記されたクリスマスの物語を通して、神様からのメッセージをお届けいたします。
たとえ、天変地異のような出来事が起きようとも、私たちの〝人生を決定づけるもの〟があります。それは、私たちに対して「神が語られる言葉」です。「神が語られる言葉」は、私たちの人生を決定づけてしまうほどの実力を持っているのです。
この〝人生を決定づけるもの〟は、悲観的に受け止めないでください。神は愛です。人間の罪深さや無力さに関係なく、祝福を与えようと強く願われている神だからです。
私たちは、自分たちの人生を左右するものとして、地位や名誉、評価、資金、能力、人間関係、健康といったものを考え、それがどうであるかによって人生は変わると思っています。神を信じない、神無き社会では確かにそうなりがちです。
けれども、今、あなたが病弱であったとしても、資金が乏しく借金をしていたとしても、地位や評価、能力が劣っていたとしても、「神の言葉」は、あなたを祝福するために、あなたの人生を決定づけてしまうほどの価値と実力を備えているのです。
「神の言葉」は、あなたの人生、あなたの家庭、あなたの仕事、あなたの将来、あなたの人間関係に言及しています。ですから、あなたと無縁ではありません。むしろ「神の言葉」を聞き逃すことは、人生最大の損失になります。ですから、ぜひ関心を深めてください。
キリスト降誕の物語から、その実例を見てまいりましょう(この類いの実例は、聖書の物語に数多くあります)。
「イエスが、ヘロデ王の時代に、ユダヤのベツレヘムでお生まれになったとき、見よ、東方の博士たちがエルサレムにやって来て、こう言った。『ユダヤ人の王としてお生まれになった方はどこにおいでになりますか。私たちは、東のほうでその方の星を見たので、拝みにまいりました。』それを聞いて、ヘロデ王は恐れ惑った。エルサレム中の人も王と同様であった」(マタイ2:1~3)
「見よ、主の使いが夢でヨセフに現れて言った。『立って、幼子とその母を連れ、エジプトへ逃げなさい。そして、私が知らせるまで、そこにいなさい。ヘロデがこの幼子を捜し出して殺そうとしています。』そこで、ヨセフは立って、夜のうちに幼子とその母を連れてエジプトに立ちのき、ヘロデが死ぬまでそこにいた。これは、主が預言者を通して、『わたしはエジプトから、わたしの子を呼び出した』と言われた事が成就するためであった。その後、ヘロデは、博士たちにだまされたことがわかると、非常におこって、人をやって、ベツレヘムとその近辺の二歳以下の男の子をひとり残らず殺させた。その年齢は博士たちから突き止めておいた時間から割り出したのである」(マタイ2:13~16)
キリストは、誕生直後から殺害される危機の中にありました。夫ヨセフ、妻マリヤが知らないところで、殺害計画が立てられ、軍隊が動員されて実行に移されました。しかし、幼子イエスと両親は、難を逃れました。
難を逃れることができたのは、主の使い・天使が夢の中でヨセフに現れ知らせたからでもありますが、難を逃れた決定的な要因は、この天使の知らせではありません。
「これは、主が預言者を通して、『わたしはエジプトから、わたしの子を呼び出した』と言われた事が成就するためであった」 (2:15)
難を逃れた決定的な要因は、天使の知らせより以前に、幼子キリストに対して「わたしはエジプトから、わたしの子を呼び出した」という「神の言葉」が〝既に語られていた〟からでした。
この言葉は、旧約聖書のホセア書11章1節の言葉です。
「イスラエルが幼いころ、わたしは彼を愛し、わたしの子をエジプトから呼び出した」
ホセア書は、キリスト誕生より約750年前に、神が救い主について、預言者ホセアを用いてイスラエルの民に語られた言葉です。幼子キリストが、難を逃れることができた最も大きな要因は、幼子をエジプトに連れ出すという「神の言葉」が、〝既に語られていた〟からでした。この要因は、確実に実行される実行力を伴うものですから、「決定づけるもの」と理解しても良いでしょう。
ですから、イエスが幼子で無力であろうと、ヨセフが政治情勢を知らなくても、イエス殺害のためのヘロデ王が派遣した軍隊が強くとも、それらのものは、神の言葉、神の力、神の働きには、なんら影響を与えなかったのです。むしろ、幼子はやがて成長し、人類を救うために十字架にかかることも、神があらかじめ語られた通り、神が実現されました。
聖書に記されたキリスト誕生の物語は、神が語られた言葉というものは、いかに実行力を伴うものか、いかに人生を決定づけるものであるかをも、私たちに教えてくれています。これの根拠となる言葉があります。
「わたし(神)の口から出るわたしのことばも、むなしく、わたしのところに帰っては来ない。必ず、わたしの望む事を成し遂げ、わたしの言い送った事を成功させる」(イザヤ55:11)
神の語られた言葉は、キリストに対するものだけではありません。私たちに実現しようと考えられ、語られている言葉が数多くあるのです。
だから、私たちに語られている言葉も、キリストに語られた言葉同様、今は、弱さや愚かさがあろうとも、また無知であろうとも、それらに影響されることなく、神が語られたことは神が実現されるのです。
「まことに、まことに、あなたがたに告げます。一粒の麦がもし地に落ちて死ななければ、それは一つのままです。しかし、もし死ねば、豊かな実を結びます」(ヨハネ12:24)
これはキリストが語られた言葉ですが、当時の弟子たちや、今、私たちに語られている言葉です。私たちの弱さや乏しさに関係なく、神が「豊かな実を結びます」ということを、実行される言葉です。
あなたは、今は、能力の不足を感じ、自信がないかもしれません。今、置かれている環境に満足していないかもしれません。けれども、それらの諸事情がどうあろうとも、あなたに語られている神の言葉を、神が言葉の通り実現されるのです。
私たちは自分の予想に反することが起きると、すぐに心配してしまいます。それは、祝福された人生を決定づける神の言葉を知らず、信頼を置いていないで生きてきたからです。
「神の言葉」と「私たちの人生」は、このような密接な関係にあります。しかし、私たちはよく知らなかったので、神は聖書にそのことを記し伝えているのです。
だからこそ神はまた、「人が何に信頼を置くのか」に、非常に強い関心を持っておられます。
「主はその御目をもって、あまねく全地を見渡し、その心がご自分と全く一つになっている人々に御力をあらわしてくださるのです」(Ⅱ歴代誌16:9)
一人一人をよく見ておられます。聖書の中に記された〝神の祝福の言葉〟をもっと探し出し、信頼を置く人になってください(下段に、箴言の言葉を記載しました。合わせてご覧ください)。
人生を左右してきたものは、これまでは、お金や能力、性格や容姿、可能性や人間関係だったかもしれません。けれども、私たちの人生を決定づける「神の言葉」があることに、心を向けてください。
主が創造された新しい年も、あなたを支え、あなたを祝福し、あなたの人生を確かなものにされる神と「神の言葉」が、あなたの心の最も大きな支柱となりますように。
箴言の言葉
「わが子よ。もしあなたが、私のことばを受け入れ、私の命令をあなたのうちにたくわえ、あなたの耳を知恵に傾け、あなたの心を英知に向けるなら、もしあなたが悟りを呼び求め、英知を求めて声をあげ、銀のように、これを捜し、隠された宝のように、これを探り出すなら、そのとき、あなたは、主を恐れることを悟り、神の知識を見いだそう。主が知恵を与え、御口を通して知識と英知を与えられるからだ。彼は正しい者のために、すぐれた知性をたくわえ、正しく歩む者の盾となり、公義の小道を保ち、その聖徒たちの道を守る。そのとき、あなたは正義と公義と公正と、すべての良い道筋を悟る。知恵があなたの心に入り、知識があなたのたましいを楽しませるからだ。思慮があなたを守り、英知があなたを保って、悪の道からあなたを救い出し、ねじれごとを言う者からあなたを救い出す」(箴言2:1~12)
「わが子よ。私のことばをよく聞け。私の言うことに耳を傾けよ。それをあなたの目から離さず、あなたの心のうちに保て。見いだす者には、それはいのちとなり、その全身を健やかにする。力の限り、見張って、あなたの心を見守れ。いのちの泉はこれからわく。偽りを言う口をあなたから取り除き、曲がったことを言うくちびるをあなたから切り離せ。あなたの目は前方を見つめ、あなたのまぶたはあなたの前をまっすぐに見よ。あなたの足の道筋に心を配り、あなたのすべての道を堅く定めよ。右にも左にもそれてはならない。あなたの足を悪から遠ざけよ」(箴言4:20~27)
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森正行(もり・まさゆき)
1961年兵庫県西宮市出身。建設専門学校卒。不動産会社、構造建築事務所にて土木・建築構造設計部門を5年間勤務。1985年受洗。関西聖書神学校卒。岡山・岡南教会にて伝道師・副牧師3年間奉仕。1995年より現在、日本イエス・キリスト教団宮崎希望教会牧師。