パリ在住の映像ジャーナリスト、栗本一紀さんを奨励者に迎え、津田塾大学のクリスマス礼拝が9日、津田梅子記念交流館岡島記念チャペル(東京都小平市)で行われた。集まった同大の学生や一般の参加者ら78人は、国内外で「平和」に関するメッセージを発信し続ける栗本さんの話を聞いて平和の尊さを分かち合い、世界中で今なお続く内戦や貧困で苦しむ人々のために祈りをささげた。
栗本さんは、カナダのトロント大学、ニューヨーク大学で映像制作を学び、NHKヨーロッパ総局(パリ)映像取材部統括、中国BlueSky corporation(上海)副総経理などを歴任し、現在はフランスのTHE NET TV inc.の取締役を務める。映像ジャーナリストとして南米、アフリカ、アジアの各地に赴いてその現状を伝えるだけでなく、東日本大震災後は、日本とパリを行き来しながら津波や地震をテーマにした短編映画を製作し、高い評価を受けている。戦後70年の今年は、NHKのBS世界のドキュメンタリー「キャノン・ハーシー~ヒロシマへの旅」を制作し、夏に放送された。
栗本さんは、トロント大学に留学していた1987年から88年にかけて、南米のスラム街で生活する人たちのドキュメンタリーを撮るため、アルゼンチンに赴いた。現地では、ユニセフのアルゼンチンチームと共にスラム街で暮らし、その中で献身的に働く南米の神父やカトリック信徒の姿を目にした。信仰が、弱い人や貧しい人、虐げられている人たちを救うものであることを知ったという。そして、政治や科学では決して解決のできない悪や誘惑にも打ち勝つことのできる力を信仰に見いだし、栗本さんは、アルゼンチンの地でカトリックの洗礼を受けた。
礼拝で栗本さんは、クリスマスはイエスの降誕を喜ぶ時であるとともに、世界の暗い出来事に深く内省する時でもあると語り、聖書のイエス・キリストの言葉「一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のままである。だが、死ねば、多くの実を結ぶ。自分を愛する者は、それを失うが、この世で自分の命を憎む人は、それを保って永遠の命に至る」(ヨハネ12:24、25)を読み上げた。「今年、この御言葉を強く思わす出来事があった」と述べ、1月にシリアで過激派組織「イスラム国」(IS)によって殺害された国際ジャーナリストの後藤健二さんについて語った。
後藤さんと公私にわたり10年以上交流を続けてきた栗本さんは、後藤さんが殺害されたことを知ったとき、「自らの十字架を担ぎ、イエス様の愛を自らの行動で示したのではないかと思った」という。また、聖歌「栄えの王にます主の」が後藤さんの愛唱歌であったことに触れ、「後藤さんは、この聖歌の歌詞通りに行動し、考え、命を落としたのではないか」と話した。また、生前の後藤さんが、「人間の持っている幸福の量は制限があって、その総量は一定なものだから、僕はその幸福をこれまでに使い果たし、その量が自分には少ししか残されていない気がする」と語っていたことを明かした。栗本さんは「もしそうだとしたら、彼はその最後の一滴をしぼり尽くすために、最後の地に向かったのではないか」と話した。
栗本さんは90年代、アパルトヘイト廃止後の南アフリカに行き、町全体が混乱するほどの恐怖の中で精神的にも錯乱していたとき、「祈り」によって救われたと話した。「完全に自分を失っていた中で、神様に祈り助けを求め続けた。するとある時、自分の苦しみがはがれ落ちる気がした」と言い、「人は本当に苦しいとき、悲しいとき祈りをささげる。祈るという行為そのもので人は救われる」と述べた。そして、「後藤さんも最後の瞬間まで祈りをささげていたはず。だからこそ最後まで落ち着いていることができた」と力を込めた。
「後藤さんがシリアに向かった本当の理由は、後藤さん自身にしか分からない」と語り、「いずれにせよ、彼は常に社会的弱者に目を向け、戦争になると真っ先に被害者となる子ども、女性、お年寄りのことを考えていた」と、自身が見てきた後藤さんの姿を伝えた。さらに、「拘束されている時も、平和が一時も早く訪れることを、誰よりも願っていたに違いない。そう願いながら、彼は召されたのだと思う」と続けた。
栗本さんは、イエスの死後、ローマ帝国によるキリスト教の迫害は300年以上続いたが、その間人々は信仰心を失うことなく、脈々とイエスの教えを受け継いできたように、後藤さんが蒔いてきた種も、確実に育ってきていると話した。シリアで後藤さんと行動を共にしていたあるシリア人男性は、後藤さんの遺志を継いで、アレッポでジャーナリストを育成していきたいと話している。また、後藤さんがシリアの学校で教えていたある学生は、パリの写真展でグランプリを受賞したという。
内戦で親や親せきを亡くしたあるシリア人が、「健二はわれわれのかけがえのない仲間で、シリアで健二をこれからも生かし続ける」と語っていることも紹介した。栗本さんは、「人々の会話や思いの中に後藤さんは生きている。私の記憶の中にも彼は生きている。ですから、私たちは後藤さんの死を憎しみや悲しみだけで捉えてはいけないと思う」と述べた。
さらに、「後藤さんのこれまでの行動には、神の思し召しが働いていたと思えてならない。彼が最後まで命をかけて伝えたかったのは、イエスの愛、優しさや偉大なる慈しみではなかったか。弱い人たちや虐げられた人たち、貧困の中で暮らす子どもたちへの温かいまなざし、その共感の哲学だったと思う」と後藤さんへの思いを語った。
栗本さんは、「今年のクリスマスには、キリスト者の証しである、献身、無償の愛、自己犠牲を思い起こしてください。世界中の人たちが憎しみ合うことなく、愛し合い、慈しみ合う平和の世の中が、一日も早く訪れることを切望してください」と伝え、「世界中の私たちの家族の上に、今ここにいる皆さんの上に神の祝福がありますように」と祈りをささげた。
津田塾大学では、クリスマス礼拝連動企画として、「アフリカの子どもたち-栗本一紀写真展-」を開催している。展示されている写真は、栗本さんがコンゴ共和国やチャド共和国などの難民キャンプに暮らす子どもたちを撮影したものだ。「どんな困難な状況であっても、子どもは常に好奇心に満ち、楽しいことを見つけると心から笑顔を見せる」と栗本さん。「澄んだ瞳と笑顔の背景にある、悲惨な状況の責任の一端はわれわれにあることを、この写真から気付いていただけたら」と語った。
クリスマス礼拝に参加した同大の1年生は、「後藤健二さんがクリスチャンだったことを知らなかったので、話を聞いて驚いた。自己犠牲の精神であのような行動をとったのだと思うが、たとえ信仰がなくても『自分をささげる』という気持ちを誰もが持てたら、もっと平和になるのではないかと思った」と感想を述べた。
「アフリカの子どもたち-栗本一紀写真展-」は津田梅子記念交流館スペース1で17日まで。午前9時から午後4時(土日休館)、入館無料。問い合わせは、同大総務課(電話:042・342・5111、メール:[email protected])。