津田塾大学が創立110周年を記念して創設した「津田梅子賞」の今年度受賞者、浅川智恵子氏の受賞記念講演会が4日、同大小平キャンパス(東京都小平市)で行われた。同大の学生や一般からの参加者など88人が集まった。浅川氏は、「諦めないこと」をモットーに、日本ではまだなじみの薄い、視覚障がい者のための情報アクセシビリティーという分野で研究開発を続けてきた。これまでの道のりを振り返り、その中でチャレンジしてきたことや、情報アクセシビリティーの最先端技術とその未来について語った。
プールでのけがが元で完全に失明したのは、14歳のとき。その後、視覚障がい者でも情報処理の専門知識を学べることを知り、猛勉強の末、1985年、日本IBMに入社。実社会における視覚障がい者の生活向上を支援する情報アクセシビリティーの研究開発に従事してきた。「視覚障がい者は、オンライン上では合成音声の読み上げによりさまざまなものを認識できるようになってきたが、現実の世界では依然として、身の回りを認識したり、好きな場所に行くことができない」と述べ、「目が見えなくてもいろいろなことができる。しかし、できないこともたくさんある。どうすれば晴眼者の助けを借りずにできるようになるか、これが私の研究課題です」と語った。
IBM入社後は、1980年代に点字のデジタル化技術を開発し、90年代にはウェブ上のアクセシビリティーに取り組み、97年、世界発となる実用的な音声ブラウザ「ホームページ・リーダー」を開発した。「ホームページ・リーダー」は、世界11カ国語で製品化され、世界の視覚障がい者の情報アクセス手段が各段に向上するきっかけとなった。2009年には、日本女性として初めてIBM職位の最高職であるIBMフェローに就任。13年には紫綬褒章を受章した。
アクセシビリティーは、障がい者や高齢者を支援する技術の総称として使われ、一般の人たちにとっては直接関係がないと思われがちだが、歴史的に見ると非常に関係があるという。例えば、電話の発明は、グラハム・ベル(1847~1922)の母と妻が聴覚障がい者だったことが深く関わっている。他にも、キーボードや文字認識、音声認識、テレビの字幕などは、当初は障がい者のために作られたが、やがて全ての人が使う技術となった。浅川氏は、世界中のさまざまな分野でアクセシビリティーの研究が進んでいると語り、「私たち研究者の夢は、歴史に残る研究開発をすること」と話した。
1997年に開発した音声ブラウザ「ホームページ・リーダー」は、0から9の数字を操作するだけでインターネットに接続でき、さらに、画面に書き込まれた文字も音声で読み上げてくれる。このことで、視覚障がい者でも一人でインターネットを楽しむことができ、障がいを克服する手段の一つとして大きな役割を果たすものとなった。国内外のメディアで「インターネットが開く世界を障がい者に開く」「視覚障がい者の心の支え」などと紹介され、あるユーザーからは、「私にとってインターネットは、社会に開かれた窓です」と感想をもらった。「情報にアクセスすることは、まさに社会参加につながるという事実を、私自身が再確認した」と当時を振り返る。
「ホームページ・リーダー」開発後、活動範囲は日本から世界へと広がった。目が見えなくても得られる情報の質や量について、もっとアカデミックに研究したいと考え、東京大学大学院工学系研究科・先端学際工学専攻に入学し、2004年に博士号を取得した。この間は、仕事と学業、さらに子育てをしながらの日々を送り、とても大変だったという。しかし、やり通したことが自信にもつながったと話した。
講演会の後半では、考えるコンピューター「コグニティブ・コンピューティング」について話した。これは、「誰が、どこで、何を」に基づく知的支援により、相関関係を見つけて仮説を立てたり、成果から学習したりすることもできるシステムだ。具体的には、2014年9月から赴任している、アメリカ有数の名門工科大学の一つと評されるカーネギーメロン大学(CMU)で、視覚障がい者のナビゲーション向上を目指す試みとして、スマートフォン用アプリケーションの開発を支援する初のオープン・プラットフォーム「Human-scale Localization Platform(HULOP)」を開発した。
さらに、このプラットフォームを活用して、「NavCog」と呼ばれる試作アプリも開発した。これは、スマートフォンに搭載された各種センサーの機能と、CMUキャンパスの各所に設置されたBluetoothビーコンからの情報を組み合わせて道案内するアプリで、キャンパス内であれば、屋内でも屋外でもナビが可能。ドアの位置や進む方向など、イヤホンを通じて音声で具体的に伝えたり、スマートフォンのバイブレーションを使って示したりする。それだけでなく、スマートフォンのカメラで撮影された物体を認識してユーザーに教える機能や、超音波センサーとカメラを使って近づく知人を発見し、名前や表情から読み取った感情を伝えることもできる。
浅川氏が目指すのは、サイバーワールドとリアルワールドを結び付けることで、情報の氾濫する実世界で、健常者にとっては「普通」である、旅行や映画、ウインドーショッピングなどが障がい者でも楽しめるようになることが、目下の目標だ。そのモデルは、子どもの頃に見たテレビ番組「光速エスパー」に出てくる小鳥型サポートロボット「チカ」だという。
「『つながり』は人間だけが持てるもので、情報技術の果たす役割は、人々をつなげていくこと」と浅川氏。そのつながりから、「誰かの役に立つ」という生きがいや「何かを学びたい」という意欲を、障がい者や高齢者に広げていくことが、今後の研究開発におけるゴールだと話した。
今回の受賞について浅川氏は、「憧れの存在である津田梅子さんの名前を冠した賞をいただき、大変光栄だ」と述べた。「今回の受賞が、女性技術者、視覚障がい者の後輩たちへの励ましになれば」と語り、講演会に参加した学生たちや、この日テレビ会議システムを使って中継された関西大学(大阪府吹田市)の学生たちに、自身のモットーである「諦めなければ、道は開ける」という言葉を送った。
6歳で欧米視察の岩倉使節団と共に米国に渡り、その中でキリスト教への信仰も芽生え、9歳で受洗した梅子。津田塾大学の前身となる「女子英学塾」を開校したのは、36歳のときだった。そのパイオニア精神にちなみ、女性の未来を開く可能性への挑戦を顕彰することを目的としたのが津田梅子賞だ。同賞の趣旨説明に立った「津田梅子賞選考委員会」選考委員で同大学長補佐の新本史斉氏は、「明治の日本とは違った困難が、グローバルにもローカルにも現れている現在、津田梅子であれば何に取り組み、そして何に挑戦していたでしょうか。その問いの答えは、浅川氏にあります」と話した。
講演会に参加した、同大英文科で学ぶ1年生は、「障がいがあること、女性であることなど、日本社会では不利となることも多い中で、全てにおいて前向きで、人や社会のために仕事をするという浅川さんにとても勇気をもらった」と感想を語った。