われわれが有意義な生き方をするためには、歴史(=前例)から学ぶことと、創造性のバランスを保つことが大切である。前例から教訓を学ばないと、同じ過ちを犯す危険性がある。でも前例に頼りすぎると、多くのことがストップしてしまうことも事実だ。前例が無いという理由だけで却下される事柄が非常に多い。われわれがビジネスや宣教活動などにおいて何か大きな事・意味あることを実行しようとするとき、前例を見いだせるとは限らない。なぜなら全ての前例は、前例の無いところから始まっているからだ。
聖書にも「前例」の有無が問題となった出来事が記されている。バプテスマのヨハネが生まれた時、父の名前「ザカリヤ」でなく「ヨハネ」にしなければならないと母親が主張した時、人々は「あなたの親族にはそのような名の人はひとりもいません」と言っていぶかしがった(ルカ1:61)。でもザカリヤとエリサベツは、前例を無視し、神から示された名前を息子に付けた。
前例信奉者は、前例の無いものを「作り話」と考える。キリストの処女降誕、奇跡、復活、昇天などは、一切前例が無い。でも「前例の無いこと=作り話」とはならない。実際、聖書は「前例無し」のところから始まっている。「初めに、神が天と地を創造した」という事実は、無から全てが始まったことを意味する。Create(創造する)という動詞は、前例の無いことが前提になっている。人が神の形に似せて造られた時、無から有を生み出す神の性質、すなわち creativity(創造性)においても似せて造られた。創造性を持たない動物は、本能のまま生きるだけで新しいことを発想しないので、文明の発展はあり得ない。人のみが前例の無いことをする能力を持っている。
人の社会には、前例が許されない場合が多くある。私はこれまでに20冊程度の本を出版させていただいたが、もし前例があれば著作権侵害で、出版差し止めになってしまう。また私はReaL Stick(英語の発音矯正具)の特許を取得し、またYouCanSpeak(英語スピーキング習得システム)の特許申請を行ったが、特許庁の唯一の仕事は前例の有無を判断することで、前例があれば申請は100パーセント却下される。
人の「話す」という行為も、創造力によって成り立つ。われわれは毎日それまでに一度も話したことの無い内容とことばの組み合わせで会話をする。誰かが用意した文章を何度も練習し、それらの文章だけで夫婦の会話がなされたなら、必ず破局を迎えることになる。このようにわれわれには前例に支配されないで生きていく性質と能力が与えられている。
にもかかわらず、われわれは何か発展的なアイデアが浮上したとき、前例を物差しにしてしまう弱さがある。前例があればまだましだが、最悪のケースは、前例を見いだせないときの否定的な決断である。「良いこと」には前例はいらないのではないだろうか。
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木下和好(きのした・かずよし)
1946年、静岡県生まれ。文学博士。東京基督教大学、ゴードン・コーウェル、カリフォルニア大学院に学ぶ。英会話学校、英語圏留学センター経営。逐次・同時両方向通訳者、同時通訳セミナー講師。NHKラジオ・TV「Dr. Kinoshitaのおもしろ英語塾」教授。民放ラジオ番組「Dr. Kinoshitaの英語おもしろ豆辞典」担当。民放各局のTV番組にゲスト出演し、「Dr. Kinoshitaの究極英語習得法」を担当する。1991年1月「米国大統領朝食会」に招待される。雑誌等に英語関連記事を連載、著書20冊余り。