私が高知刑務所の教誨師(きょうかいし)をさせていただいてすでに5年くらいが経ちました。時々礼拝のメッセージの中でも、そこでの経験を差し支えない程度にお話することがありますが、今回は今までに人格的な出会いをした方々のことを書き記しておきたいと思います。
一人はMさんという方で、グループでの教誨に出ておられて、私との個人教誨を希望されて、何回か一対一でお話させていただきました。この方は自分で聖書を読んでおられて、個人的に神様を体験していることをお話してくれました。それらの体験談はちょっとどうかなと思うこともありましたが、それでも神様のことを日常的に考えているということは良いことだと励ましていきました。ある時、Mさんは言いました。「自分はこれまでたくさんの悪いことをしてきました。これからはキリスト様にすべてをささげてついて行きたいと思います。私は刑務所で作業をしてきて、いくらか貯金が貯まっています。それを先生の教会に献金したいのです。させてください」と言ってくれました。このまだ若いMさんはいちずなところがあって、「これっ!」と思ったら猪突(ちょとつ)猛進する性質のようです。悪に向かうととんでもない方向に行くけれど、良い方向に行くと徹底して良い方向に行く人のように感じました。後日、刑務所側とこのことを相談しますと、受刑者と教誨師間での金品のやりとりは勧められないということで、この方の希望はかないませんでしたが、その後、出所されて、県外の教会につながって信仰生活をしていることを知り、うれしく思っています。
実は、このことには後日談があって、Mさんが入っていったその教会というのは、私ども高知県の教誨師がその年のクリスマス集会に講師としてお招きしていたゴスペルシンガーの教会だったのです。そのゴスペルシンガーが講師の招きを受け入れてくださった直後に、なんとMさんがその教会を訪ねて行って、自分が高知刑務所から出所したばかりであることをお話したので、そのゴスペルシンガーは驚いて、神様の不思議な導きを感じ、Mさんのことを、心を込めて現在も見守っていてくださいます。
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福江等(ふくえ・ひとし)
1947年、香川県生まれ。1966年、上智大学文学部英文科に入学。1984年、ボストン大学大学院卒、神学博士号修得。1973年、高知加賀野井キリスト教会創立。2001年(フィリピン)アジア・パシフィック・ナザレン神学大学院教授、学長。現在、高知加賀野井キリスト教会牧師、高知刑務所教誨師、高知県立大学非常勤講師。著書に『主が聖であられるように』(訳書)、『聖化の説教[旧約篇Ⅱ]―牧師17人が語るホーリネスの恵み』(共著)など。