このような時に、私の講座が「大阪ガス」のコマーシャルに使われるという、これまたうれしい出来事がありました。大阪ガスは、大阪に多くの料理教室を持ち、「ガス展」という大きなイベントの中でガス器具を紹介し、そしてまた、和食・洋食・中華とそれぞれの講師を招いて、その教室で多くの人々に家庭料理を教える――ということをしていました。私が出演したコマーシャルでは、チャオ(強い火力を持つガステーブルコンロ)を使って料理を作るシーンが映し出され、次のような呼び込みがされました。
「強火は味の魔術師です。チャオを使って、奥さんもわが家庭菜館の味づくり、始めませんか」
つまり、同じ食材を使い、同じように料理をしても、火力の違いによって味が変わってくる。だから、強い火力を持つガステーブルコンロ「チャオ」があれば、いつでもおいしい中華ができますよ――ということを宣伝したものでした。
このコマーシャルは多くの人の目に止まり、ガス器具の売り上げも上昇したと大阪ガスから感謝の言葉をもらいました。そして間もなく私はこの会社の顧問として招聘(しょうへい)され、各料理教室で生徒たちに料理を教えるといった名誉ある仕事をさせていただくことになったのでした。
「仕事の成功はさらなる仕事を呼び込む」という言葉があります。一つの仕事がうまくいって社会的にも知名度が上がると、そのパワーが磁石のように働いて、人脈や別の仕事を引き寄せるものです。大阪ガスの顧問を引き受けて程なくして、高島屋の料理教室、朝日カルチャーセンター、その他一流企業の料理教室に講師として招かれ、多いときには月に5回も6回も出掛けることがあり、私はすっかりテレビの料理番組の顔になりました。そんな時に、スーパーのダイエーが中国の天津市と共同で中華レストランを池袋と浜松町にオープンさせ、私はまたしても顧問として招かれ、両方の店の面倒をみることになりました。
こうして、私は幾つもの仕事をこなさなくてはならない身となりました。レストランの料理長、冷凍食品の開発、料理学校や料理教室の講師、テレビ出演、そして幾つかの食品会社の顧問など。本当に体が幾つあっても足りないほどの忙しさでした。努力し、いろいろなことを研究し、考案すればするほど成功がついて回るような、そんな毎日でした。そして私はこのころ最も活力に満ち、前途に大きな希望と展望を持った、そんな時代だったのです。
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荘明義(そう・あきよし)
1944年中国・貴州省生まれ。4歳のときに来日、14歳で中華料理の世界に入り、四川料理の大家である故・陳建民氏に師事、その3番弟子。田村町四川飯店で修行、16歳で六本木四川飯店副料理長、17歳で横浜・重慶飯店の料理長となる。33歳で大龍門の総料理長となり、中華冷凍食品の開発に従事、35歳の時に(有)荘味道開発研究所設立、39歳で中華冷凍食品メーカー(株)大龍専務取締役、その後68歳で商品開発と味作りのコンサルタント、他に料理学校の講師、テレビや雑誌などのメディアに登場して中華料理の普及に努めてきた。神奈川・横浜華僑基督教会長老。著書に『わが人生と味の道』(イーグレープ)。