前回の続きです。「人が無価値と思うものを、多くの人々の益のために用いる神」について、「五つのパンと二匹の魚の物語」(マタイ14:13~21)から続いて学びます。
さらに想像もしなかった出来事
神様は時に、私たちの予想や想像をはるかに超えた仕事やミッションを与えてくださるのですが、さらに多くのものを与えてくださることがあります。
キリストの弟子たちは、女性や子どもも含めると1万人前後いたであろう多くの群衆にパンと魚を配り、しかも皆が満腹になるほどのパンと魚を、イエスの手から群衆に配り続けるという仕事・働きを任されました。これだけでも、驚くべきことでした。
ところが、配り終えると「やれやれ」と言いたいところでしたが、それで終わりではありませんでした。
「人々はみな、食べて満腹した。そして、パン切れの余りを取り集めると、十二のかごにいっぱいあった」(マタイ14:20)
イエスの手から配られたパンと魚は、人々を満腹にするほど増え、ようやく配り終えました。けれども、よく見てみると残されたものがあり、集めてみると12のかごにいっぱいありました。今度は、余ったパン切れを集める仕事が待っていました。
12かごのパン切れの意味
余ったパン切れが12のかごいっぱいになったことは、何を意味しているのでしょう。このことは、私たちの人生にも関わってくることです。そのことをご紹介します。
12かごいっぱいのパン切れは、自分たちが満足する分だけではなく、他の人たちにも分け与えることができるものになりました。私たちの視点は、とかく自己中心で、他の人々のことまで考える余裕があまりありませんが、神の視点はいつも万人に向けられ、他の人々にも向けられています。
これはあなたが、あなたの周囲の人たちにも良い影響を与えることを、神は考えておられるということです。神を信じて歩むとは、そのようなことが、やがて現実化していく大きな利点があるのです。
神の恵みの豊かさの表れ
また、これは、神の恵みの豊かさを表しています。イスラエルの人たちでさえ、神の恵みの豊かさを良く知らずにいました。ですから神は、旧約聖書の時代から神が語り続けられた言葉(下記に掲げる)を、現実の世界で現され、弟子たちにも群衆たちにも身をもって体験させたのです。
「主は、あわれみ深く、情け深い。怒るのにおそく、恵み豊かである」(詩篇103:8)
「あなたがたの着物ではなく、あなたがたの心を引き裂け。あなたがたの神、主に立ち返れ。主は情け深く、あわれみ深く、怒るのにおそく、恵み豊かで、わざわいを思い直してくださるからだ」(ヨエル2:13)
この神の豊かさは、今日も、私たちの人生に現されます。神は、能力の豊かさ、愛情の豊かさ、ビジョンの豊かさ、人間関係の豊かさなど、さまざまの豊かさを、神を信じて歩んでいく人に、その人に応じて提供していかれます。先達のクリスチャンの偉人と言われる人たちは、それぞれ、この豊かさが与えられ、活躍した人たちといえるのでしょう。
野球の試合で「ダメ押しの追加点」というものがありますが、「これでもか、これでもか」というようなことを、神は私たちの人生で体験させることがあるのです。
それは、「神の恵みの豊かさ」を神が人々に紹介されるためです。
人生を問い直すチャンスとして
また、この「十二のかごにいっぱいあった」という、考えられないような出来事は、人々に「どうして、こんなに?」「どうして、こうなったのだろう?」という関心を持たせます。
そこで「これは、私たちの信じる神の働きによります」と神を信じる人が伝える機会や、「あの人の信じる神によって、こんなことが起きたとしか考えられない」と人は思い直し、神を信じていくチャンスになることを、神が提供されているためです。
ヨハネの福音書では、この出来事の最後で、イスラエル人たちがイエスを神から遣わされた者として見直すことになりました。
「彼らは集めてみた。すると、大麦のパン五つから出て来たパン切れを、人々が食べたうえ、なお余ったもので十二のかごがいっぱいになった。人々は、イエスのなさったしるしを見て、『まことに、この方こそ、世に来られるはずの預言者だ」と言った』(ヨハネ6:13、14)
かつて日本のラジオ宣教を開拓された羽鳥明牧師は、太平洋戦争中の少年時代、唯一、憲兵を恐れなかった一人の少年の言動を見て、「人を恐れない彼の心の中を知りたい」という思いが湧き上がり、やがて神を信じていくようになった、と証ししています。
私たちの人生にも起こり得ること
人となられた神イエス・キリストは、イスラエルの人たちの真ん中で、パンと魚の奇跡を起こされました。
聖書に記された神を信じて歩み出すということは、現代においても、神が働かれ、私たちの人生に有り余るような不思議・祝福を行われます。それは、家庭や学校や職場の中で、その他、どんなところでも、起こり得るのです。私自身も、ビジネスが絡むクリスマスのイベント活動や、刑務所の中の活動で、「これでもか」という神の恵みを体験してまいりました。それらは予測もしていなかったことなので、いつも驚くばかりです。
神を信じて歩むということは、神がしばらくはあえて何もなさられず、信じる者としては忍耐を強いられることもありますが、また、「すごい」と感動させられる体験をもさせてくださるのです。あなたの人生に、神の祝福があることを願い祈ります。
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森正行(もり・まさゆき)
1961年兵庫県西宮市出身。建設専門学校卒。不動産会社、構造建築事務所にて土木・建築構造設計部門を5年間勤務。1985年受洗。関西聖書神学校卒。岡山・岡南教会にて伝道師・副牧師3年間奉仕。1995年より現在、日本イエス・キリスト教団宮崎希望教会牧師。