麹町教会メルキゼデクの会などが主催する集会「戦争と貧困を考える」が17日、聖イグナチオ教会ヨセフホール(東京都千代田区)で開かれた。7月に安全保障関連法が国会で可決され、日本が「戦争をしない国」から「戦争のできる国」へと踏み出しつつある一方で、東日本大震災と福島原発事故により、全国で避難生活を送る20万人以上の人々がいる。こういった現実を踏まえ、これまで戦争がもたらしてきた貧困の歴史に目を向け、戦争と貧困との深い関わりについて共に考えた。
NPO法人自立生活サポートセンター・もやいの理事などを務める講演者の稲葉剛氏は、広島で被爆2世として生まれた。大学時代に起きた湾岸戦争では、学生ら130人で平和運動を組織している。「自分の根っこには常に、父母が原爆を経験したことがあり、理不尽に人が殺されていくことへの怒りがあった」と話す。その後1990年代にバブルが崩壊し、新宿などターミナル駅に路上生活者が急増するようになった。その中で、路上で病死や、凍死する人を目の当たりにし、路上で人が亡くなるような社会は何とかしなければと感じ、貧困問題に取り組むようになった。
今年春から立教大学大学院に特任准教授として就任した稲葉氏は、7月に同大で結成された「安全保障関連法案に反対する立教人の会」の呼び掛け人となって活動してきた。講演では、同会が出した戦争反対への声明を伝えた。声明は、戦争は抽象的なものではなく、具体的な名前を持った若者たちが戦場で向かい合い、殺し殺されることを意味すると述べ、子どもたちを含む多くの戦争犠牲者を生み出し、命の尊厳を踏みにじるものであることを訴えた。
戦争に反対することと、路上生活者支援は同じレール上にあると語る稲葉氏は、路上生活者の実情について話した。阪神淡路大震災やオウム真理教のサリン事件などが起きた1995年に、路上生活者が増加している。当時、路上生活者は45~70歳までの年齢幅があり、平均は55歳だった。70代の路上生活者には、元特攻兵や元少年兵がおり、路上生活と太平洋戦争が関わっていることを指摘した。さらに「戦争によるPTSD(心的外傷後ストレス障害)があって、うまく仕事に就けず、路上生活に陥っていったことが考えられる」と述べた。
また、戦災孤児や原爆孤児だった人が路上生活者になっている場合も多いという。孤児となり、日雇いで建築現場や炭鉱などを渡り歩き、バブル崩壊後に仕事を失い、そのまま路上生活者となってしまう。ある人は、30代の時に戸籍が抹消されていることを知り、制度への不信が強く、生活保護につながらないという。稲葉氏は、ストリートチルドレンだった人たちは、「日本政府から『ネグレクト』されてきたのではないか、その根っこには戦争がある」と語った。
さらに、60年代、「金の卵」ともてはやされた時代に集団就職で東京に来た人々の中にも、路上生活に陥った人がいる。そこには地方での貧困ということもあるが、親からの虐待の問題もあったのではないかと指摘する。死刑囚・永山則夫の父親が酒、博打に明け暮れた末、家族を捨てて家を出て行ったことを例に出しながら、この父親もまた戦争帰りであったことを伝えた。
また、路上生活者には自衛隊経験者が多いことにも言及した。運転免許が無料で取得できるとか、公務員だから安定しているなどと言われ、自衛隊に志願するといった経済的徴兵制が以前から存在しているという。こういった人たちは、地方の貧困家庭出身者に多くみられ、入隊後に演習などで難聴になったり、隊内の人間関係のトラブルにより精神疾患を患ったりなどして退職後再就職できず、そのまま路上で暮らさざるを得ないのだという。さらに、米国の軍隊が、「大学、お金、旅、愛国心」を売りにして貧困層をターゲットに若者を集めていることを話し、「現在の若者の貧困の広がりは、経済的徴兵制を強化するものだ」と危惧した。
稲葉氏は、「戦争と貧困は連鎖していて、私たちはその瀬戸際にいる」という。軍事を優先する国家は、社会保障を切り捨て、さらに貧困を悪化させ、効率で人を判断する価値観がさらに拡大し、貧困は「次の戦争」のための人員を補給する温床となると発言した。その上で、憲法9条と25条はつながっていて、社会保障、雇用、戦争法制への反対など、さまざまな運動が横に広がっていく必要があると力を込めた。
稲葉氏の講演に続いて、震災と原発事故の避難者を支援する草の根のボランティア団体「きらきら星ネット」の信木美穂さんが、原発事故避難者の現状について話した。全国ではいまだ20万人を超える避難者がおり、中には生活困窮に苦しむ世帯があるにもかかわらず、震災の風化が進んでいることに強い危機感を覚えていることを明かした。
今、特に問題になっているのは、現在は無償となっている避難住宅が、2017年3月には打ち切られることだ。信木さんたちは、「心から安心して帰ることができるようになるまで支援を続けたい」と、無償期間の延長を求める署名を呼び掛けた。また、「国内の避難者と海外の難民は、災害から逃れる点では似ており、戦争も災害も避難の道のりは厳しい」と、避難者の受けるいわれのない誹謗(ひぼう)中傷を例にして語った。
また安保法案が成立したことで、被災や避難、被ばくといった経験をした子どもたちが、今度は戦争への不安を感じていると話し、これ以上大変な思いをさせたくないと訴えた。そして、困難な人たちに手を差し伸べる、そういう社会を作っていく必要があると訴えた。
この日の集会では、パリで13日に起きた同時多発テロに触れ、司会を務めた世田谷事件遺族・ミュシュカの森を主宰する入江杏さんが、インドの女性ジャーナリストが書いた詩を冒頭で読み上げた。また、稲葉氏も自身の講演の中で、フランス人研究者のマリーセシールさん(Marie-cecile Mulin)のメッセージを紹介した。
参加した70代の女性は、「分かりやすく話してもらってよかった。今の時代が過去の戦争とつながっていることをあらためて知ることができた」と感想を述べた。