あまりに凄惨(せいさん)で残酷で、見ていて本当につらくなる映画だ。しかし、そこには戦争の愚かさ、悲惨さが、余すところなく描き尽くされている。戦後70年、この優しげな時代に、よくぞこの映画を作りきったと思う。塚本晋也監督と制作スタッフの執念と信念に深く頭を下げたい。この映画を見ながら、原一男監督のドキュメンタリー映画『ゆきゆきて、神軍』(1987年)が脳裏に浮かんでいた。
大岡昇平(1909〜88)が、 太平洋戦争で日本軍が最大の戦死者を出したフィリピンでの体験を基に書いた小説『野火』(1951年)は、日本の戦争文学の代表作といわれている。監督で主人公の田村一等兵を演じた塚本晋也は、高校時代に初めてこの小説を読んで衝撃を受けて以来、ずっと映画化を構想してきたという。本格的に映画化を考えてから20年以上たった2005年に実際に制作が始まるが、スポンサーはつかず、また金銭的な問題だけではなく、戦争を懐疑的に描くことに理解を得ることが難しいと感じる中、自主制作・自主配給映画として制作したという。
『野火』は、戦争の悲惨さと共に、極限状況の中での神への呼び掛けを主題として描いた作品といえる。
主人公の田村は、フィリピン・ルソン島の日本陸軍部隊に所属する一等兵だ。しかし、部隊は米軍の攻撃を受けほぼ全滅し、散り散りになる。
島の北部まで移動し、集合せよとの命令を受け、生き残った兵隊たちは、食糧も尽きる中、ジャングルをさまよう。病に倒れ餓死した死体の中を必死で歩き通した先には、圧倒的な軍備を整えた米軍が待ち伏せしていた。
日本兵は機関銃の機銃掃射の前に、虫けらのように逃げ惑いながら殺されていく。それはもはや戦闘ではなく、ただの虐殺だ。ある者は脳漿(のうしょう)や内蔵をこぼしながらのたうち回り、ある者はそうしろと命じられたまま手りゅう弾で自決する。最後に追い詰められた者は、仲間の日本兵の人肉を食するまでになる。
そして、大学を卒業したインテリで哲学やキリスト教を学んでいた田村一等兵は、ついに発狂し、ジャングルをさまよいながら、神に問い掛ける――。
小説『野火』では、その最後の文章はこう締めくくられている。
「もし、彼がキリストの変身であるならば――
もし彼が真に、私一人のために、この比島の山野まで遣わされたのであるならば――
神に栄えあれ」
これが映画ではどのように描かれているのか、できれば原作を読み、映画と見比べていただきたい。
大岡昇平とキリスト教
大岡昇平は、自伝『少年』(1975年)の中で、少年時代にキリスト教に深く影響を受けたことをつづっているが、その影響が映画でも見事に再現されている。
田村一等兵は逃亡中、ジャングルの中のある小さな村のとある教会に迷い込み、疲れのあまり長椅子で眠りに落ちる。田村に気付かずに、フィリピンの若い恋人たちがあいびきにやって来る。食糧を調理するためにただ火を付けるマッチが欲しい田村は、「殺しはしない」と言いながら、二人に銃を向ける。そして――。
この教会でのシーンに、大岡のキリスト教の神観と罪意識が全て凝縮している。
大岡は自伝の中で、少年時代通った青山学院では、毎日午前10時から10時半まで礼拝の時間があったが、「ミッション・スクールが強制する礼拝の時間は、最初は退屈な時間だった」と書いている。
しかし、大岡少年は次第に聖書に興味を持ち、どうしても欲しくなる。当時、教文館でポケット版の『新旧約合本聖書』は4円50銭(現代ではその数千倍以上に相当)だったという。聖書が欲しいと言うと、父から「ヤソなんかよせ、日本は仏教で沢山だ」と言われ、口論になったが、母がこっそり5円札をくれて「これで聖書を買っておいで」と渡してくれたという。
「『ヨハネ伝』冒頭の『はじめに言葉ありき』という句が私は好きだった。『言葉は神と共にありき。言葉は神なりき』と私は信じていた。これはイエスの言葉に魅せられて、神を信じた私には貴重な断言だった。幼い私にとって、イエスの言葉はイエスの存在そのものだった」
また、ロマ書を熱心に読んだという。
「『汝自身を愛するごとく隣人を愛せよ』その他の道徳律は福音書にもあるからわかった。しかし『神の怒り』と『罪』についての説教がわからなかった。私にとって神は怒こらず、信ずる者の罪をすべて許してくれるはずであった」
さらには、牧師になることにも憧れ、母にねだってオルガンを買ってもらったこともあるという。
しかし、その信仰はこの後半年ぐらいしか続かず、夏目漱石と出会ってからは興味が文学へと移っていったと告白しながらも、大岡はこのように書いている。
「こうして私のキリスト教は、少年の日の幻としてすぎ去ってしまう。私はむろん背教が最大の罪であることを知らなかったのだが、私の最初の自我の目醒(めざ)めと超自我の形成がキリスト教によったということがさまざまの形で、私のその後の精神の傾斜を決定していると思われる」
「私がフィリピンの戦場で、叢林(そうりん)中に一人取り残された時、敵を射つのを放棄したのは自然のことだった。(中略)あの時、ほかの方面で銃声が起り、米兵が立ち去ったことに、神の摂理のようなものを考えたのはごく自然だった」
フィリピンでの悲惨な戦争体験とキリスト教。この二つが大岡昇平という人が小説を書く根底にあったことをうかがわせる一文だ。
映画の冒頭、肺を病んだ田村一等兵は野戦病院に行くように命じられ、入院を許可されなければ死ねと言われ、最後の食糧として足元に小さな芋6本を投げて渡されるシーンがある。原作の小説『野火』ではこのように書かれている。
「私の生命の維持が、私の属し、そのため私が生命を提供している国家から保障される限度は、この六本の芋に尽きていた。この六という数字には、恐るべき数学的な正確さがあった」
塚本監督は、今を逃せばもはやこの映画を作ることはできないと感じ、映画化を企画したという。戦後70年を迎えるこの夏、国家とは何か、戦争とは何か、キリスト教徒か否かを問わず、一人でも多くの人にこの映画を見てほしいと、祈りにも似た思いを抱いた。
■ 映画『野火』予告編