今年刊行されたディートリッヒ・ボンヘッファーの入門書『はじめてのボンヘッファー』の翻訳を手掛けた関西学院大学名誉教授・東京女子大学元学長の船本弘毅氏が13日、東京大学YMCA主催の春季公開講演会で講演した。戦後70年を迎える中、平和の危機がささやかれる今、あらためて第二次世界大戦後の日本と世界のキリスト教界に大きな影響を与えたボンヘッファーの思想と信仰を学ぶことで、今を生きるキリスト者がどうあるべきかを、集まった約50人の参加者に問い掛けた。
70年前、ナチス・ドイツの独裁者アドルフ・ヒトラーの暗殺計画に加担したとして、若くして処刑された、ドイツ人神学者ボンヘッファー。その印象的な言葉や衝撃的な行動によって、人々の心に焼き付けられたボンヘッファーについて語るにあたり、船本氏は初め、戦後の日本が頻繁に使ってきた「平和」「民主主義」「自由」という言葉について言及した。船本氏は、これらの言葉はこれまで、「自分がよければそれでいい」というように、極めて自己本位的に使われてきたと言い、「戦後、日本人はこれらの言葉の意味について十分理解してこなかったことに問題がある」と指摘した。
「平和」とは、互いが共に生きられる幸せを享受すること。船本氏はさらに、聖書は、人と人の関係においてだけではなく、神と人とが結び付き、神に生かされている者として、他者と共に生きられることこそが「平和」だと述べていると説明。「民主主義」についても、少数の意見も認められる機能が本来あるはずだが、数の原理にいつの間にかすり替わってしまったと言い、憲法13条で規定されている「すべての国民は、個人として尊重される」ことが空論になってしまっていると語った。
「自由」を求める場合もまた、ほとんどが利己的で、他者を考えていない、と船本氏は厳しく指摘。ルターが、宗教改革の原理とした『キリスト者の自由』の中で、信徒たちに対して「教会組織に忠誠を誓うのではなく、自己愛を捨てて神や隣人に積極的に尽くすようにと呼び掛けた」ことを紹介。「このことが500年にわたるプロテスタントの自由を支えてきた」と言い、十字架の道を通して与えられる自由は、隣人や世界に仕える自由であり、犠牲的奉仕としての「自由」がボンヘッファーの確信でもあると語った。
船本氏はその後、ボンヘッファーの生涯について初めから終わりに至るまで、その生き様を跡付ける形で語った。1945年4月9日、ドイツのフロッセンビュルク強制収容所で絞首刑を執行され、39年という短い生涯を終えたボンヘンファー。その人生は、「ファシズム」「民族大虐殺」といったような言葉が欧州の人々の口に上り始める前の、牧歌的な時代に始まった。恵まれた家庭で生まれ育ち、音楽の才能に恵まれ、平凡な牧師生活に耐えられないのではないか、と家族が心配することもあったという。
船本氏は、こうしたこれまであまり語られることのなかった、ボンヘンファーの人となりを紹介。また、過去40年の間、ボンヘッファーはその時々の解釈者によってさまざまに評価されてきたことを説明した。
1960年代はマルキストであり無神論者、70年代はベトナム戦争の反対者、80年代は中南米の解放の神学の支持者、米国のレーガン・ブッシュ両政権時代は神学的解毒剤として、またこの間はユダヤ人の友として、ホロコースト以後のキリスト者とユダヤ人の和解の基礎を据える神学者と評価されることもあった。
そこで船本氏は、このように多くの見方をされてきたボンヘッファーの姿の真実性を判断するための材料として、「彼の生涯を適切な文脈で捉える」「不十分なところを過大視したり、過小評価したりしない」「ボンヘッファーの生涯と思想を現代の用語に翻訳しない」など9つを挙げた。
また、ボンヘッファーがヒトラー暗殺計画に加わることを決断したことについては、ナチス体制に対する抵抗の到着点として理解されなければならないと説明。暗殺計画が失敗に終わり捕らえられた牢獄で、なぜこの陰謀に加わったのかと聞かれたとき、ボンヘッファーが「牧師として、大通りで酔っ払いが猛スピードで車を運転しているのを見たら、唯一なすべきことは、犠牲者を葬り、遺族の慰めを祈るのみではなく、その酔っ払いの手からハンドルをもぎとることだ」と答えたことを紹介した。そこに、その場にいる人を被害から守るために、自分が介入することを厭(いと)わない確信があったと船本氏は述べた。
絞首刑が執行される前、ボンヘッファーは、「これが私の最後です。でも、主にあっては新たな始まり。私はあなたと共に世界におけるキリスト者の広がりを信じています」と、最後の祈りをささげたという。この最期を見守った医師はクリスチャンではなかったが、「彼は神に全く身を委ねていた」と証言している。ボンヘッファーは、どのような場所であっても、「今」キリストに従うとはどういうことなのかを真摯(しんし)に受け止め、行動に移していったと船本氏は言い、さまざまな見方があるが、「祈る姿が目に焼き付く」ほどの彼の信仰というものを、もっと知るべきではないかと強調した。
船本氏は、高齢化などで日本の社会、また教会の力が失われつつあるとしながらも、「教会において、まだできることがあるのではないか」と述べ、「一点から一点への最短ではなく、挫折や困難を生き抜いて、最長距離を生きることを教えていかなければならない」と語り、エレミヤ書6章16節に聞くことを訴えた。最後に「私たちは、始まりと終わりの時を選ぶことはできないが、その間を選ぶことはできる」と言い、「今を生きる私にとって、キリストとは誰か」、そのことを問いつつ信仰に生きる群れがあれば希望となると話し、この日の講演を締めくくった。
千葉県から来たという70代の女性は、「キリスト者として何をすべきか、いろいろ考えさせられた。戦争に二度と向かわないよう祈っていきたい」と語った。東大YMCAの寮生である女子学生たちは、「ボンヘッファーは、神学者としてのイメージが強かったが、他の面も知ることができて新鮮だった」「1本の道を最短ではなく最長で教えるということについて考えさせられた」などと感想を述べた。