日本キリスト教文化協会が主催する連続講演会、第21回「聖書に聴く 生と死の問題 III」が2日、教文館ウェンライトホール(東京都中央区)で開催された。この連続講演会は、今年で6年目を迎え、同テーマでの開催は3年目となる。講師の東京女子大学元学長・関西学院大学名誉教授の船本弘毅氏が、「極みまでの愛」と題して講演した。
復活祭直前の聖木曜日にあたるこの日、船本氏は、受難週の最中にこの講演会が行われるのは初めてだと話し、「なぜこの日が洗足の木曜日と呼ばれるのだろうか」と聴衆に呼び掛けた。十字架にかけられる前、イエスが地上で過ごした最後の一日は、過密スケジュールだった。最も詳細に書かれているルカによる福音書を開くと、イエスは、過越祭の食事の準備を弟子たちに命じ、食卓に着き、パンとぶどう酒を分け与え、ゲッセマネで祈ったことが、時間軸に沿って描かれている。特に、最後の晩餐と呼ばれる食事の場面には、東方教会からカトリック、プロテスタントまで現在でも行われ続けている聖餐の原型があり、非常に重要だ。
それにもかかわらず、聖木曜日が洗足の木曜日と呼ばれるのはなぜか。イエスが最後の晩餐の最中に弟子たちの足を洗ったという記述は、マタイ・マルコ・ルカの共観福音書にはない。唯一、ヨハネによる福音書にだけ登場する。
ヨハネによる福音書は、時系列でイエスの生涯を記す共観福音書とは異なり、「イエスが神の子キリストであること」を読者が信じることができるように、福音の本質を明らかにすることに力点が置かれている。たとえば、宮清めの場面が共観福音書ではエルサレム入城後に書かれているのに対し、ヨハネによる福音書では冒頭の2章に書かれている。これは、イエスの福音の本質の強調であると、船本氏は指摘する。
4つの福音書の中でも最後に完成したといわれるヨハネによる福音書に、洗足の場面が記されていることは、現代の教会に必要な大切なメッセージを語っているからではないか、と船本氏は話す。ローマ教皇や英女王が洗足式を行うと、世界中で話題となる。確かに、イエスは「互いに足を洗い合わなければならない」と語り、善き行いによって互いに仕え合うことを示した。だが、その前にまず、弟子たちの足を洗ったイエスにしっかりと目を留めているだろうか、と船本氏は語り掛ける。
ヨハネによる福音書13章1節によれば、「この世から父のもとへ移る御自分の時が来たことを悟り」「(弟子たちを)この上なく愛し抜かれた」ことの表れが、弟子たちの足を洗うという行為であったことが分かる。十字架の死を意識した上での前段階としての行い、自身を裏切るものがいることを知った上での行い、それが奴隷のようにして足を洗うという行為であったことに気づくときに、イエスの「極みまでの愛」を知ることができるという。
船本氏は、「私たちの信仰と救いは、自分自身の力によって獲得したのではなく、究極まで私たちを愛されたイエスによって与えられたものであることを忘れることなく、その愛をもって互いに愛し合おう」と語り、復活祭を覚えてのメッセージがしめくくられた。
次回の講演会は、7月17日(金)午後1時に開催される。戦後70年を迎える今年、国際的にも国内的にも、平和と自由が脅かされているような極わめて重大な時に直面していると考える同協会は、「毎日を豊かに生きるために、思いを新たにして、聖書のことばに深く耳を傾け、生と死の問題について一緒に考えることができれば」と話している。
詳細・問い合わせは、日本キリスト教文化協会(電話:03・3561・8446)まで。