宣教師。それは、イエス・キリストがもたらした「最高の知らせ」(福音)を、自分の属する共同体を離れ、時には異国の地にまで出て行き、伝える人。日本に最初にキリスト教を伝えたとして知られるフランシスコ・ザビエルも、カトリックの司祭であり、宣教師であった。そして、ザビエル来日から450年以上たった現代の日本にも、宣教師はいる。リンジー・ホーランドさんもその一人だ。「神様を信じる一人一人を励ましていく仕事がしたい」と語る。福音を伝える働きをしつつ、教会の賛美集会ではボーカルを務めるほどの歌声の持ち主で、教会の外ではファッションモデルとしても活躍するなど、その活動は多岐にわたる。
幼い頃は自分に自信を持てなかったと語るリンジーさん。「周りの子と同じように、特別に情熱を傾けるものはなかった。でも、神様をいつも身近に感じて、相談し、信頼していました。多分神様がいなければ生きていけなかったと思います」と、少女時代を振り返る。そんな彼女が宣教師を志したのは高校を卒業する頃のことだった。
「友達との別れや、年相応の悩み、環境の変化などを経験して、『私の人生の中で変わらなかったものって何?』と考えたら、残ったのは神様だけだった。神様は私をずっと愛し続けてくれた。神様がいつも私を本当に変わらず愛してくれていて、二度と離れないという約束が本物ならば、私もイエス様を愛し続けるし、離れないって決断しました」と、その時の心境を語る。「私の人生はこれからもさまざまに変わっていくだろうけれど、神様は今まで変わらず愛し続けてくれたから、これからもきっと愛し続けてくれると確信しています。だから、私はあらゆる場面で『愛すること』を選択したい」と言う。
そんなリンジーさんは、福音を伝えることは、聖書の知識を伝えることだけではないと語る。「心がつながっていないなら、友達とは呼ばないのと同じように、聖書の知識があっても、心が愛から離れているなら、神様がやりたいことに私たちはついていけない」ときっぱり。「だから、大事なのは『伝道者』とか『宣教師』というタイトルではなく、与えられた場所で神様の愛を表し、輝く光になること。それは誰もができることで、そういう意味では誰もが宣教師といえると思います」と言う。
現在、東京都板橋区にあるハワイ系の教会「ニューホープ成増」の宣教師として活動するリンジーさんは、多くの教派に分かれている日本のキリスト教会の現状についても言及し、「右手が左手を『いらない』と言うことは、自分で自分の体を傷つけているのと同じで悲しいこと。教会の外にまだイエス様を知らない人が多い中では、教会同士が同じハートを持ち、教会全体が一つとなれば今までに見たことのないような光が放たれると信じています。私はさまざまな教会を巡って、『ありのままでいいんだよ』と励まして、希望を届ける、キリストの体である教会を巡り渡る“血液”のような働きをしたい」と語る。
さらに、「日本人は、今まで関係に傷つけられてきた人たちだと思います。それは人間の永遠のテーマだし、癒やされる必要があります。でも、それぞれが愛されていて一人じゃないと知ることで、日本は世界に出て行って祝福を与える国にどんどんなると思います」と、日本に対する希望を語る。
リンジーさんは先月、伝道者であり父親でもあるアーサー・ホーランド牧師の米国での十字架行進に参加した。ホーランド牧師は昨年から、長さ約3メートル、重さ約30キロの十字架を担ぎ、約6000キロに及ぶ全米横断の旅をしている。1日に進む距離は30キロほどで、ゴールのニューヨークに今月中旬に到着。現地のメディアでも大きく報道された。
「これは父のやり方だけど、父一人では成し遂げられなかったと思います。物理的な支援、経済的な支援など、またそれ以上に、祈りと励ましがあったからこれまで成し遂げられました。また、この機会を通して父をさらに愛するようになりました。そうやって愛を連鎖させていきたいです」と語った。