日常の中で私たちはどのくらい「自分の言葉」で語っているだろうか。多くの人が使う言葉を用いれば楽に生きられる社会の中では、自分の言葉で語ることは生きづらさにつながる。だが、多数派の生き方に迎合しない人々は確かに存在する。第39回日本カトリック映画賞を受賞した杉本信昭監督の『谷川さん、詩をひとつ作ってください。』は、そんな「自らの言葉で語る人々」と「自らの言葉を探す詩人」を追ったドキュメンタリー映画だ。
「何もかも失って 言葉まで失ったが 言葉は壊れなかった 流されなかった ひとりひとりの心の底で ・・・」(「言葉」『こころ』朝日新聞出版、2013年)
詩人谷川俊太郎が東日本大震災について書いた詩「言葉」を入り口にして、さまざまな土地で暮らす人々が発するかけがえのない言葉を追い、そこに潜む喜びや悲しみから再び谷川の詩が生まれるまでを描く。映画に登場する人々は、自分の言葉を自分で探し出そうともがき、時にはそれをのみ込んで無言を貫こうとする。谷川もそれらの言葉や無言を受け止め、自分の言葉=詩を探し出そうとする。ドキュメンタリー映画といっても、ナレーションも音楽もほとんどなく、インタビューと詩の朗読だけで構成されている。
映画に登場する「自らの言葉で語る人々」は、福島県相馬市の2人の女子高生、大阪・釜ヶ崎の日雇い労働者、東京の農家を営む父息子、長崎・諫早湾の漁師とその妻、青森のイタコ(霊媒師)の5組。それぞれがさまざまな過去を背負いながら、自分自身に起こった出来事について語る。それは、未来への希望であったり、境遇に対する落胆であったり、長年連れ添ってきた妻に対する愛情であったり、さまざま。取り留めのないように聞こえるそれらの言葉は、その一つ一つが暮らしの奥底から生まれる言葉だ。彼らの真摯(しんし)な日常には「自らの言葉」があるということをこの映画は伝える。
一方、「自らの言葉を探す詩人」として登場する谷川は、「詩は人々の日常と向き合えるか」と自身に問い、挑戦していく。言葉が詩になるのは、紙の上でもウェブ上でもなく、読者の心の中だと考える谷川は、人々の心の中で自分の詩が機能しているのか、常に不安に思うと言う。谷川のこれまで作った詩が、映画の中で「自らの言葉で語る人々」の一人ひとりにあてがって朗読される。驚くのは、読まれる詩がまるでその一人ひとりのために作ったかのように感じることだ。5組の登場人物の心の中には、谷川の詩を芽吹かせる土壌が既にあったということを物語る。
自らの言葉で語る5組の登場人物の話に横のつながりはない。それぞれ1話で完結となっていながら、ラストシーンでは、谷川が新しく作った詩により、5組全員がつながる。
杉本監督は、当初は詩人谷川俊太郎の詩が生まれる瞬間を撮影するつもりだったが、谷川から内面を撮影することは無理だと言われ、今回のように出演者に自らの言葉を語らせ、そこから谷川が新たな詩を作るという形を思いついたと言う。
映画『谷川さん、詩をひとつ作ってください。』は、既に昨年一般公開されている。今後は、10月3日~9日に静岡シネギャラリー(静岡市)で上映が決まっている。劇場以外でも、各地で自主上映会が行われている。劇場公開、自主上映会の情報は、随時公式サイトで告知される。