軍平は東京に戻らず、そのまま同志社に留まりたいと強く願った。京都の同志社には社会の第一線で活躍している人物が多数出入りし、有名な教授がそろっていたからである。社会の改革という大事業を完成させるためには、十分な学問を修めなくてはならないことを彼は痛感していた。
彼は本科の神学校の試験を受けたところ、見事にパスした。しかし、困ったことにはお金の持ち合わせが全然なかった。授業料はもちろん、食費も一銭も残っていなかった。そのとき、吉田清太郎は自分の学費をそっくり彼に与え、一期分の授業料を月払いにしてもらい、自分の本を売ったり、牛乳配達をしたりして残りの学費を払うことにしたのであった。そして軍平には、心ある人が学費を工面してくれたと言っておいた。こうして軍平は友に助けられ、無一文のまま同志社に入学した。
明治23年夏。軍平は高梁(たかはし)教会から招かれて夏季伝道に出かける。そして熱心にキリストの福音を伝え、多くの人が洗礼を受けた。やがて夏が終わり、同志社に帰ってくると、彼を助けてくれた吉田清太郎は卒業していなかった。彼は牧師になり、千駄木の方に伝道に行ったということであった。
軍平にとって厳しい生活が始まった。授業料は何とか支給される道が開かれていたが、普段は飲まず食わずの生活をしなくてはならなかった。彼は見苦しい様子を見せまいとして、わざと元気に振る舞い、昼になって友人たちが食堂に行ってしまうと、ひとりその場を抜け出して、自分の部屋に入り、祈った。
飲まず食わずの日が、1日、2日、3日と続き、次第に彼は弱ってきた。「山室、おまえ顔色悪いぞ」。友人たちは心配して尋ねたが、彼は笑って首を振るのだった。
そのようなとき、彼は大津(おおつ)の教会から説教を頼まれた。直ちに引き受けて出かけることにしたが、門を出たところでひどいめまいに襲われた。少し行ってはよろめき、塀に身をもたせかけた。それからまた少し歩いてはよろめき、ついに道端にしゃがみ込んでしまった。道行く人は、そんな彼を怪しんでは振り返った。彼は恥ずかしくなり、少し遠回りをして山の中を歩くことにした。
ひとつ山を越すと、三井寺(みいでら)という寺の裏に出た。その竹やぶでついに彼は動けなくなってしまった。ふと見ると、やぶの中に柿の木があって実がたわわに実っている。はうようにして長い棒を取ってくると、その一つを落として口に入れてみたが、渋くて食べられなかった。彼は泣きながら口のものを吐き出すと、そのまま気を失って倒れた。
どのくらいたったことだろう。軍平は自分の名前が呼ばれるのを感じた。その声はすぐ近くで、しかもはっきり心に響く声だった。
「はい、ここにおります」
思わずそう答えて、彼は草の中に座った。
「軍平よ、恐れるな」
声は、はっきりとそう言った。
「わたしはあなたを守る者である。わたしの命令がない限り、あなたの髪の毛一本も損なわれることはないだろう」
気が付くと、そばに小川があり、水を飲もうとしてへりに行くと、その間に何か赤いものが映っていた。よく見ると、熟した柿が一面に落ちているのである。口に入れてみたが渋くはなく、とろけるような甘味が口に広がった。彼はむさぼるように柿の実を食べ、水を飲んだ。そして、神に感謝をして立ち上がった。不思議なことにめまいは収まって、体力が回復したのを覚えた。
こうして無事に大津に着くと、軍平は教会員の家を訪ねた。その家では大変な歓迎ぶりで、たくさんのごちそうを並べて彼をもてなした。軍平は1週間ぶりに食事をすることができたのであった。
大津から帰ると、再び飲まず食わずの日々が始まった。彼は栄養失調のために半分目が見えなくなり、ある日立てなくなってしまった。今度こそは死を覚悟して祈っていると、消えゆく意識の中に母親の登毛(とも)が現れた。「無理をしてはいけませんよ、軍平。さあ、これをお飲みなさい」。そう言って彼女は温かい牛乳の入った器を差し出した。
はっと気がついたとき、コツコツと戸をたたく音がした。出てみると、同志社の幹事、金谷充(かなや・みつる)の使いの人が立っている。そして、その手には温かい沸かしたての牛乳の器があるではないか。そして使いの人は、幹事が呼んでおられますと言った。牛乳をいただき、彼について行くと、金谷充は学校で門番をしながら勉強する学生を探していると言い、軍平の世話をしてくれることになった。不思議なことばかりであった。(続く:売られる少女、捨てられる子ども)
■ 貧民救済に命懸けて:(1)(2)(3)(4)(5)(6)(7)(8)(9)(最終回)
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栗栖ひろみ(くりす・ひろみ)
1942年東京生まれ。早稲田大学夜間部卒業。派遣や請負で働きながら執筆活動を始める。1980〜82年『少年少女信仰偉人伝・全8巻』(日本教会新報社)、1982〜83年『信仰に生きた人たち・全8巻』(ニューライフ出版社)刊行。以後、伝記や評伝の執筆を続け、1990年『医者ルカの物語』(ロバ通信社)、2003年『愛の看護人―聖カミロの生涯』(サンパウロ)など刊行。動物愛護を主眼とする童話も手がけ、2012年『猫おばさんのコーヒーショップ』で、日本動物児童文学奨励賞を受賞する。2015年より、クリスチャントゥデイに中・高生向けの信仰偉人伝の連載を始める。編集協力として、荘明義著『わが人生と味の道』(イーグレープ、2015年4月)がある。