東日本大震災から4年。日本聖公会修士で「被災者支援センターしんち」(福島県新地町)のスタッフ、松本普(ひろし)氏による報告会が3月29日午後、東京都杉並区にある日本聖公会マーガレット教会で開かれた。松本氏は、今なお原発事故による被害に苦しむ福島県を中心とした被災者の状況について話し、会場に集まった多くの信者が耳を傾けた。
日本聖公会では、東日本大震災直後より「いっしょに歩こう!プロジェクト」を立ち上げ、被災者たちと共に歩んできた。昨年は、新たなステップとして、新地町に「『だいじに・東北』被災者支援センター」を立ち上げた。松本氏は、センターのスタッフとして被災者に寄り添い、共に歩みを進めている。
この日のテーマは「被災者と共に歩く」。冒頭で松本氏は、「4年前にあった出来事についてみんなで思い出してほしい」と会場に集まった人たちに呼び掛けた。「4年前、東京に暮らす人も計画停電などを経験し、福島の人たちと同じ気持ちになった」「しかし、4年たって東京では、震災前と変わらない生活スタイルに戻り、動き出している」と、東京ではすでに震災が過去のものになっていると話した。
しかし、福島については、4年たった今もまだ避難生活を続けなければいけない人がいるとし、避難生活者は、ますます絶望的な思いのふちに追い込まれていると訴えた。さらに、「2020年に開かれる東京オリンッピクによって、福島が復興したことを世界にピーアールできるかのように政府は言っているが、これは本来の意味での復興ではない」と強調した。
松本氏は、「事実と真実は違う」と話す。たとえば、政府が出す死亡者の統計。数自体に間違いはないが、その数字は、津波や家の崩壊などで亡くなった人のみで、震災による自殺を含んだ関連死は含まれていない。逆に、遺体が見つからなくても、サインさえすれば死亡となるシステムにも触れ、「政府は数字のマジックを使って亡くなった人への尊厳を欠いている」と語った。また、避難のために医療器具を外したことで亡くなった高齢者もおり、こうした人たちも、政府の発表する死亡者には含まれていないと指摘した。
さらに、原発問題についても、政府が発表する統計をそのまま信じて、「被ばく線量は終息した」と感じることへの危険性を伝えた。政府がこれまで伝えている被ばく線量はどこで測定されているのか。松本氏によると、実際に子どもたちが遊ぶところや、一般の人々がジョギングするようなところではないという。事実と真実は違うことをここでも強調した。
そして、同じ被災者でありながら、避難指示に基づき避難者と認められる人と、避難解除された翌日から自主避難扱いとなってしまった人など、避難者の中でも分断が始まっていると語った。こういった結果を招いた政府の復興政策に対して、松本氏は「棄民化政策」という言葉を使い苦言を呈した。
松本氏は、放射能の恐ろしさは、物語のように語るものではないと言う。「目に見えない」で片づけないで、可視化していく必要があると言い、事実をフェアに伝える信用できるデータを見極めていくことの大切さを語った。
質疑応答の時間では、質問者が参加している絵本の読み聞かせボランティアにおいて、福島の絵本を取り上げようとしたところ、やめてほしいと言われた体験を語り、「真実を伝えるのに限界はあるのか」という質問が出された。
それに対して松本氏は、「確信をもって真実を伝える表現は、もっと豊かであっていいのではないか」「原発事故と言ってしまえば、事故はちょっとした軽い出来事でも事故であり、それにより原発事故の意味が軽くなってしまう」「他の重大さを表す言葉を使ってもいいはず」と表現の重要性について語った。
また、「3・11」と呼ぶことについて、参加者の一人は、「自分の両親が亡くなった日を『3・11』のように略しては決して呼ばない」「亡くなった人を軽んじているのではないか」という意見も出された。
それに対しては、「尊厳に対する思いを行動で示さず『3・11』と呼ぶのはよくないと思う」「しかし、『3・11』の表現が許される場合がある。使い分けることが大事なのではないか」と、被災地で被災者と共に歩み続ける中で、寄り添っていくことでしか分かり合えないことを、これまでの働きを通して語った。
被災者に敬意を払って一緒に生きていく。地域と共に復興活動を行う。そして、主イエスと共に一緒に生きていく。「被災者支援センターしんち」は、この思いで今後も町の復興に関わっていくという。