バイブル・アンド・アート・ミニストリー(B&A)が主催するセミナー「クリスチャンアートの社会性」が先月11日、お茶の水クリスチャン・センター(東京都千代田区)で開催された。講師は、版画家で名古屋芸術大学美術学部教授の西村正幸氏。クリスチャンアートの持つ社会性について、どのように考え実践していくかを、作品画像を見ながらの講義と討論で学んだ。
この日は20人ほどが集まった。「思っていた以上の方々が参加してくれた」と参加者を歓迎したB&A代表の町田俊之牧師は、「今日は信教の自由を守る日。また、今年は戦後70年、アウシュビッツ解放70年にあたる。戦争という国家間での問題、社会問題をあらためて思い起こさせる中で、クリスチャンアートがいかに社会性を持って表現していくことができるか、『平和』を覚えて今の日本の美術への提言をしていきたい」と話した。
セミナーの前半は西村氏が、聖書を開きつつ、自身の作品制作における姿勢について話した。西村氏の作品は、みことばが軸となっている。味付けはその他のさまざまな題材から持ってくるため、イメージが漠然として土台から外れることのないように、しっかりとみことばに根差すことが大切だという。
ヤコブの手紙3章13〜18節を見ると、「知恵」には神から与えられた知恵とこの世の知恵の2種類があると書かれている。神から与えられる真の知恵は、純真・平和・寛容・温順・あわれみなどの多くの良い実・義の実に満ちている。戦争に巻き込まれたイラクの子どもたちの支援や、日本国憲法9条などの社会問題に積極的に取り組んでいる西村氏にとって、「平和」は大きなテーマだ。自身の作品を「種」だと受け止めている西村氏は、美術という支えを得て、日本の文化に浸透していくように、みことばの種を蒔き続けてきた。
セミナーでは、そんな西村氏の作品、アートプロジェクト、企画展を、時系列に沿って振り返ったが、西村氏の制作する版画は抽象的で、画面に置かれている色や形が非常に不思議だ。1999年に、「INAZAWA・現在・未来展④古川 清・西村正幸 こころからうまれるかたちといろ」という企画展を開いた稲沢市荻須記念美術館(愛知県稲沢市)の学芸員は、その図録の中で、「西村の作品は、一見すると画面に置かれた色や形の不思議さに魅き付けられる。次に暗示的かつ宗教的なタイトルから聖なるイメージが伝わってくる」と書いている。
聖霊をハト、純潔をユリに象徴させて、聖書の一場面を描き、画面に複雑な意味を持たせるという方法は、西洋美術によく見られるものだ。西村氏は、それらの作品を自由に取り込みつつ、版画という手法においてさらにイメージを豊かにしているのだという。また、「キリスト教の考え方にある『予型論』と、“原型があり、それに重なる同じ形が存在する”という版の概念とが、彼の思想のなかで重なった結果」が、西村氏の作品であると評しているところが、非常に興味深い。
西村氏の社会におけるアートの実践の講義を受けて、セミナーの後半には参加者全員での討論が行われた。自由な発言が促される中で、「クリスチャンアーティストとしての苦労はあるか」「教会内でアートに対する理解は得られているか」といった問い掛けがなされた。「会堂に作品を飾ってくれる」という深い理解のある教会もあれば、「アートに関しては一切話題に上らない」という教会もあり、牧師の示す態度によって大きく差が生まれている現状が浮き彫りになった。
西村氏は、ドイツで制作活動を行っていた際、象徴的な宗教画が信仰理解を深めるために使われていることに大変驚いた。宗教改革後、偶像破壊の動きが進み、プロテスタント教会内では彫刻、絵画がほとんど見られなくなった面があるが、本国ではそうではない点に注目すべきだと話す。
また、教会のある兄弟から「おまえの作品はおもろない。おまえの作品は分からへん。でも、祈っているよ」と言われる西村氏。確かに、写実的な作品ばかりではないから、理解されにくいことも多いが、祈られていることが嬉しい。多くの人の祈りがクリスチャンアーティストを支えると、教会とクリスチャンアーティストの関係について話した。
B&Aは昨年、「平和を想う」という題で美術展を開催した。今年は、創立20周年を記念する美術展が、昨年に続き平和をテーマにした第2弾として、「平和をつくる」というさらに積極的な題で開催される予定だ。
西村氏は、「表現の自由は『なんでもありだ』と思っている若い学生がいるが、決してそうではない。表現には責任が伴うし、人を傷つける自由はどこにもない。平和をつくるものでありたい」と語った。