遠藤周作の小説『沈黙』を、マーティン・スコセッシ監督が映画化するという噂は1990年代からあり、何度か撮影開始のニュースが報じられてきたが、そのたびに延期の続報が入ってきていた。そのため、契約違反だとして映画の製作会社からスコセッシ監督が訴えられるという事件も発生していた。
そうした紆余曲折を経ながらも、このほど製作資金を確保し、『サイレンス(Silence、原題)』と題して、台湾で撮影が始まった。しかし、撮影延期に伴って出演予定だった渡辺謙が参加を断念したり、野外撮影現場でセット建設中の台湾人作業員3人が死傷する事故が起こるなど、何かと話題が絶えない。米国での配給権の交渉は、パラマウント・ピクチャーズが行っていることが伝えられており、今年末から遅くても来年にはいよいよ全米公開となりそうだ。
小説『沈黙』は、遠藤が17世紀江戸初期のキリシタン弾圧について、史実・歴史文書に基づいて創作した歴史小説。実在するイエズス会の日本管区長代理を務めたポルトガル人司祭のクリストファン・フェレイラが登場し、フェレイラの棄教を聞いた弟子のセバスチャン・ロドリゴが真相を求めて日本に潜入。隠れキリシタンへの布教活動に身をささげるが、裏切りにより捕らえられ、踏み絵に足をかけるに至るロドリゴの心の葛藤、神への問い掛けを描き、神の愛、神への愛を浮き彫りにした作品だ。
ロドリゴ役は、『アメイジング・スパイダーマン』(2012年)で主演を務めたアンドリュー・ガーフィールド、フェレイラ役はリーアム・ニーソン、ロドリゴの通訳を務める日本人役は浅野忠信が務めるほか、アダム・ドライバー、イッセー尾形など、日米の実力派俳優が出演する。
脚本は、スコセッシ監督の映画『ギャング・オブ・ニューヨーク』(2001年)でアカデミー賞脚本賞にノミネートされたジェイ・コックスが担当。音楽を、3度のアカデミー受賞経験のあるハワード・ショア(映画『ホビット』シリーズほか)が手掛けることが明らかになっている。
『沈黙』は出版当初、カトリック教会から大きなバッシングを受け、長崎・鹿児島では禁書になった問題作だった。今でこそ世界13カ国語で翻訳・出版され、戦後の日本文学の代表作として国内外で高く評価されているが、一般にも広く受け入れられ、理解されているとはいいがたい面もある。
米オハイオ州にあるイエズス会系のジョン・キャロル大学で、1991年に「沈黙と声―遠藤周作の著作」と題した学会が開催されたが、その内容を中心にまとめられた『「遠藤周作」とShusaku Endo アメリカ「沈黙と声」遠藤文学研究学会報告』(春秋社、1994年)の中で、遠藤は米国人教授と対談を行い、「日本人と外国人の『沈黙』の読み方の違い」について論じている。
対談相手となったのは、遠藤作品を数多く翻訳しているバン・C・ゲッセル氏。ゲッセル氏によると「アメリカでは、『沈黙』は文学作品としては認められているが、宗教を扱っているものだから興味がないままに読む人が多く、キリスト教に関心を持っている人でないとなかなか共感しにくい」という。遠藤も、「一方のドイツでは、東西分離という歴史的背景から、『沈黙』の問題、裏切るか裏切らないかの問題が表出してきた関係でベストセラーになっている。そういう問題のない国でないとだめだろう」と分析しており、世界における日本文学の独自性を認めている。
しかし、『沈黙』の主人公は外国人司祭であり、日本文学でありながら、日本だけにとどまらない視点が必要になるのがこの作品の興味深い点だ。遠藤自身、「私はつねに日本と西洋との関係をテーマに扱っているから、自分の文学が外国の読者からどう読まれているかは、やはり作者として興味がある。外国人と日本人とでは私の作品の読み方が違うのが、私にとっては非常に面白い」と、同書の冒頭で述べている。もし、遠藤が今も生きていたら、誰よりも『サイレンス』の完成を楽しみにしていたのではないだろうか。