忙しくて聖書を通読する暇がなく、好きな聖句だけを愛読していたり、あるいは聖書日課がない教会で、説教で聞いた聖句だけをあちこち断片的に読んでいたり・・・。そんな経験をお持ちの方はいらっしゃるだろうか?
聖書を断片的に読むのではなく、キリスト教の世界観に立って、一つの真の物語のドラマとして読む――そんな聖書の読み方を提唱している人たちがカナダにいる。リディーマー大学の哲学者であるクレイグ・G・バーソロミュー(Craig G. Bartholomew)教授と、カルヴァン神学院の宣教学者であるマイケル・W・ゴヒーン(Michael W. Goheen)教授だ。
この福音派の両教授がそれを提唱しているのは、昨年7月に米国の出版社ベイカー・パブリッシング・カンパニーから第2版が出版された両教授の共著書『The Drama of Scripture: Finding Our Place in the Biblical Story(聖書のドラマ 聖書の物語の中に私たちの場所を見いだす)』という英語の本だ。日本語訳はまだない。
この本では、聖書のドラマは次のように展開する。
第一幕 神がご自身の王国を打ち立てられる:創造
第二幕 王国での反逆:堕落
第三幕 王がイスラエルをお選びになる:救済の始め
第一場面:王のための民
第二場面:彼の民のための土地
第四幕 王の到来:救済の達成
第五幕 王の知らせを広める:教会の宣教
第一場面:エルサレムからローマへ
第二場面:そして全世界の中へ
第六幕 王の帰還:救済の完遂
本書は、2004年に初版が同社から出版された後、06年にキリスト教知識普及協会(SPCK)からイギリス英語で初版の短縮版が出版された。この短縮版は、出版後しばらくの間、英国聖書協会が推薦していた。聖書は主に、『New International Version』(NIV)から引用されている。
「高等批評の断片、祈りの断片、道義の断片、神学的断片、物語の断片と、聖書が小さな断片へとバラバラにされてしまう傾向がある」と、本書は指摘している。「それは世界のあちこちで起きている」と、キリスト改革派教会(CRC)の説教担当牧師でもあるゴヒーン教授は、2008年に講演のため来日した際、語っていた。
日本カルビニスト協会関東地区会とキリスト教世界観ネットワークの共催で行われたこの講演会で、ゴヒーン教授は「一つの物語としての聖書」と題して講演し、キリストの救いを正しく捉えるには、聖書が一つの大きな救いの歴史であることを知る必要があると語っていた(講演内容の日本語訳はこちら)。
本書の著者2人に少なからぬ影響を与えているのが、著書の日本語訳が近々出版される予定である英国の新約聖書学者、N.T.ライトである。N.T.ライトが聖書を5つの幕からなるドラマとして捉えることを提唱している一方で、バーソロミュー教授とゴヒーン教授は本書で第6幕として終末論的な視点を加えている。
一方、本書にやや似ているもう一冊の本が、プリンストン神学大学名誉教授(旧約聖書学)のバーナード・W・アンダーソン(Bernard W. Anderson)著『The Unfolding Drama of the Bible(広がる聖書のドラマ)』(第4版、Augsburg Fortress、2006年)である。1958年に、この本の初版(1957年)の日本語版『永遠のドラマ 新しい聖書の学び方』(池田鮮訳)が日本YMCA同盟から出ていたことがあったが、その後の新しい改訂版は日本語訳されていない。
アンダーソン名誉教授はこの本の中で、「多くの人々は聖書の全体を意識していない。彼らは詩篇23編や山上の説教など、聖書のあちこちにある2〜3カ所の断片を知っていても、それらの好きな聖句が意味をなしている、より大きなドラマの文脈について、全く無知ではなくとも、非常に漠然としている」として、「木を見て森を見ない」のではなく、「森を見ることができるように木から後ろへ下がる必要がある」とし、それが聖書全体を8つの「幕」からなるドラマとして概観する根拠だと述べている。
そして、110ページを超える程度の短いページ数で、1)初めに、2)未来への道、3)災いというしつけ、4)新しい出エジプト、5)律法の民、6)敗北を通じた勝利、7)世界の中の教会、8)結び:終わりに、という内容構成で、創造から終末に至るまでの聖書全体の鳥瞰(かん)図をドラマとして簡潔に捉えている。なお、本文に引用されている聖書は、『New Revised Standard Version』(NRSV)が使われている。
米合同メソジスト教会牧師や聖書文学学会(SBL)の会長も務めた旧約聖書学者のアンダーソン名誉教授は、SBLによれば、英語圏ではとりわけ『Understanding the Old Testament(旧約聖書を理解する)』(第5版、Pearson Prentice Hall、2006年)という旧約聖書の概説書でよく知られていたという。日本でも同教授の著書の日本語訳は、中村健三訳『深き淵より―現代に語りかける詩篇』(新教出版社、1989年)や、高柳富夫訳『新しい創造の神学―創造信仰の再発見』(教文館、2001年)が出版されていたが、SBLによると、アンダーソン名誉教授は2007年に91歳で召天したという。
バーソロミュー教授やゴヒーン教授、アンダーソン名誉教授も、それぞれの本の中で互いについて言及していない。しかし、両者とも、聖書を救済史的観点から神の物語として読むことを提唱するとともに、N.T.ライトの大著『Jesus and the Victory of God(イエスと神の勝利)』(SPCK / Fortress Press、1996年)に言及している。そして、アンダーソン名誉教授は、N.T.ライトを「重要な聖公会の学者」であるとして言及している(『The Unfolding Drama of the Bible』73ページ)。
ポストモダン(脱近代)といわれる今日の時代の中で、聖書を断片的に読むことは、そして逆に聖書を一つのドラマとして読むことは、何を意味するのだろうか? 聖書を断片的に読みがちな方は、これら2つの書籍を手がかりにそれを考えてみてはいかがだろうか。もっとも、日本語訳が必要な方々にとっては、それらの書籍が良い日本語に訳されれば、それがもっとやりやすくなるのだが。